すすむ町山智弘ばなれ(3)

 

 

 松江哲明と町山智弘のことしかブログを書いておらず、どんだけ彼らが好きなんだって話なんだが、興味深い観察対象なんでついついウォッチしてしまう。

 過去に町山を好きだった読者たちの町山離れしつつあるが、それはおそらく40代以上の中年男性ではなかろうか。むしろ最近は新規の読者を開拓が進んでいて、読者層が入れ替わっているのだろう。

 我々にとって現在の町山は「サブカル老害おじさん」だが、新規の町山読者にとっては「インテリ映画おじさん」だ。映画評論そのものはマトモなので、頼もしい書き手に見えてしまう。

 ……で、町山がネットで課金して原稿だの音声だのを販売してるが、今やそっちの方が収入は多いのではないか。月額100万円はいってないだろうが、50~60万円にはなってるのではないかと勝手に妄想するのである。

 映画コラムを書いても数万円。

 単行本を出しても印税は200万円くらいだろうか。

 そんな中で月額数十万円の売り上げを誇り、しかも右肩あがりだった場合、そちらに比重を移したくなるのは書き手の心理だ。月額数十万なら年収は数百万になる。単行本一冊の稼ぎよりもはるかに多い。しかも楽だし。

 そしてネット販売に食いついてる層は、昔からいる40代の中年男性ではない。新規の読者たちなのである。

 我々のように、町山批判はするが金払いは悪い読者。町山本は買うもののネット販売には食いつかず、印税率10%どまりでしかない昔からの読者は、商売相手としては美味しくないのである。

 ついつい切り捨てたくなってしまうのではないだろうか。

 新規の読者は過去の町山を知らないから、過去と現在では論理矛盾を起こしていることに気づかない。映画好きだが政治にはウトいので、町山から反日パヨク思想を吹き込まれたらうっかり信じ込んでしまう。

 映画評論がマトモだから、政治についての言及もマトモだと無意識に思い込んでしまうのだ。実際にはいい加減なところも多々あるのだが。 

  お笑いは政治的なことをどんどん発信すべきと町山は主張するが、トランプの悪口を文章とイラストで表現してるだけの文春の町山原稿に、ひねりもツッコミも笑いもないのが現状だ。ひたすら発狂してるだけなのである。

 文春の町山原稿がひどすぎるので、もはや私は読まないことにした。

 世界同時渋谷化という概念があったが、世界の各地で起きることは日本とも連動している。トランプ現象に似たものは、日本でも起きているのだ。だからトランプ現象にからめ、現在の日本について言及するのはむしろ正しい。

 ただ米国の現象について解説した直後に唐突に反日な文章が挿入され、困惑することが増えてしまった。それと日本とはあまり関係がないのでは? ということまで、町山原稿では連結されてしまうのである。

 反日パヨク原稿が悪いとは私は思わない。

 私は朝鮮日報をネットでよく読むが、韓国そのものが反日のお国柄なので、原稿のあいまに反日が挿入されるのはよくあることなのである。だが読んでてスムースに反日が挿入されるので、不快感がない。

 反日はどうかと思うけど、とりあえず韓国側の言い分はよくわかった……と、スッキリした読後感が残るだけなのである。

 そして町山智弘原稿と朝鮮日報は文章の構成がよく似ている。

 似ちゃうのは、もうしようがない。

 ……てゆうか、同じモノだよね。

 いろんな意味で同じだよね。

 だけど朝鮮日報は読んでて不愉快にならないのに、文春町山原稿は不愉快になってしまう。反日の挿入のされ方が唐突だからだ。文章スキルとて、朝鮮日報よりも文春町山原稿の方が低いのである。反日そのものは慣れてしまったので、今さら不愉快と感じる私ではない。

 最近の町山智弘に異常事態を感じ取ってる中年読者は多いはずだ。

 反日むきだし、パヨク性むきだし、言質さえとられない範囲内であれば可能な限り最大限の印象操作を平気でやる。書き手としてのバランス感覚を失ってまで。

 こんなやり方に中年男性読者がどれほど落胆と失望をさせられているか、彼はわかっているのだろうか? わからないわきゃないのだろうが、今の彼にとってはどうでもいいことのようだ。

 反日やりたいのなら、いっそ反日本だけで一冊だしてくれないだろうか?

 その方が読んでる私はスッキリするのである。なるほど最近の町山は、そんなふうに反日化が進んだのか。スジが通っていると、賛成はしないが納得するだろう。

 米国事情をくわしく知りたいと文春町山原稿を読んでいたら、直接的な関係のない反日が唐突に挿入されて読みづらくイライラするのだ。

 もう町山に対して金を払うことは基本的にしないし、書籍は全てブックオフで買うことにした。中年読者としての、精いっぱいの抗議である。