松江哲明炎上は古くて新しい

 松江哲明の最悪の人格に、世のサブカル好きの興味関心が集中している昨今。久々の大事件でオッサン心がうずいてしまうが、最悪の人間性を娯楽として楽しむ文化が、サブカル界にはそもそも存在した。それが根本敬の「内田研究」である。

 内田という男がお婆ちゃんに粘着。徹底的にわがままで貢がせながら、しかしセックスで大満足させてしまう。金をひたすらむしられながらも、性欲ゆえに別れることができない、お婆ちゃんの「トリコ仕掛けの日々」がひたすら描かれるのだ。

 昭和に起きた出来事で、これが最悪の人格を見物して楽しむ娯楽の始まりである。

 最悪の人格を研究する娯楽は、それ以降は途絶えた。正確には唐沢俊一上杉隆、日垣なんとかが研究対象になったと解釈できるが、まー誰かさんがかかわったものばかりだよなあ。

 ちなみに誰かさんは根本敬を尊敬していることを公言してはばからないが、最近の反日ぶりからすると、ディープコリアについては腸が煮えくり返っているのではあるまいか? どう思ってるのかずっと気になっていたのだが、現状から忖度した結果そう思う次第である。

 話はそれたが、根本敬の内田研究は研究してるだけで批判はゼロだったのである。見物して、娯楽として楽しんでるだけだった。

 今はサブカル界の皆さんは松江哲明の最悪の人間性を研究する楽しみに浸っていると察するが(私がそうだし)、バッシングする娯楽がプラスされるのではないかなあという気もしてる。フェラするだけで円満解決するのだから、ハードルは高くはないが……。なんだか、懐かしい現象だと思うわけだ。

 松江哲明の最悪の人格を楽しむのは根本敬の内田研究がルーツ。そして加賀健三が松江に復讐するのを楽しみにするのも、サブカルの古くて新しい楽しみだ。宅八郎の復讐山脈が原点で、違法行為以外の全てを行う宅の手法に興奮したものだ。SPA!誌上で「小林よしのりを殺す!」と宅は宣言した。

 この段階から最悪の人格は見物して楽しむだけではなく、攻撃して楽しむ段階に突入したのである。

 宅の殺す発言は大問題になったが、当時の私は理解できなかった。実際に殺すわけないと思っていたからだ。後に宅八郎も冗談前に決まってるのに……と愚痴っていた。当時の私と宅の感覚では、セーフだったのだ。

 今の感覚では犯行予告なんで完全アウトなんだけども。

 当時の感覚ではセーフだが、今の感覚ではアウトというのは、よくあることだ。松江哲明の性行為強要も、当時の感覚としてはセーフであった。でも今はアウトである。

 当時のサブカル好きは宅八郎の復讐に興奮しながら賛同し、さらなる過激化を期待した。そして、やりすぎな彼に徐々にひいてゆき、興味を失った。

 最初は面白かったから良い暴力だったのに、最後はつまんなくなったから悪い暴力に化けてしまったのである。これも松江哲明のフェラ強要という暴力への印象変化と似ている

 宅八郎の復讐に興奮した我々だから、加賀健三が松江哲明に復讐するのを期待するのは当然のこと。皆さん期待してるでしょ?

 過去に根本敬宅八郎によって起きたことが、現在も起きている。因果は廻っているわけだ。スパイラル状に。まさに根本敬の因果鉄道の夜なんだが……。

 そういった意味で、古くて新しい事件。そして懐かしい。

 こんな懐かしい事件が起きたのだから、サブカルおじさんは熱狂するしかないわけだが。中年が大喜びする加齢臭が漂う現状なのはいかがなものかと。水道橋博士や町山を老害あつかいしながら、自分たちはオッサンまるだしでは自己矛盾であり恥ずかしい。