松江哲明に批判集中(1)
松江哲明『童貞。をプロデュース』舞台挨拶事件の背景にある2つの事件と関連性について - 映画は人助けをしない https://t.co/KDW9We9q0I
— 吉田光雄 (@WORLDJAPAN) 2017年8月26日
井口昇監督の『あんにょん由美香』評(というより松江哲明評)が全てを物語ってるんだよな~ https://t.co/w6jZZNadYV
— バーバー<サード・シーズン> (@baba_8988_333) 2017年8月26日
池袋シネマ・ロサでの『童貞。をプロデュース』は本日2日目から最終日までの上映を中止することになりました。楽しみにしていた方、本当にすみません。遠方からの参加を予定していた方もいると聞いています。本当にごめんなさい。
— 松江哲明 (@tiptop_matsue) 2017年8月26日
いや、なんだか伺い知らぬところでプチ炎上があったようで、放置気味だったブログのアクセス解析を見てみたら、10年前に書いた記事のビュー数が半日で2万件近くございまして。
— 加賀賢三 (@catme05) 2017年8月25日
インターネットの世間じゃ誤解や曲解は付き物とはいっても、ただの日記のつもりだったんですけどね…。
松江哲明がいきなり批判されている。
私は彼の作品は山田孝之がやってた赤羽を舞台にしたものしか見てないが、中途半端な才能しかない映画監督なのかなあと感じた。ドキュメンタリーも制作できないし、フィクションとしての物語も制作できない人物とゆうか。
普通に映画シナリオが書けない人物なんじゃないすかね。
リアル感ある嘘の物語がつくれないから、ドキュメンタリーという形式にして「そもそも事実ですから」とリアル感をかもしだそうとしているように見えた。山田孝之が演技力あるのと、赤羽という街か味わい深いので、リアル感は発生してしまう。
だが松江哲明の腕によって生まれたものではない。
リアル感をつくっているのは、山田孝之と赤羽なのである。
山田孝之が赤羽の街にやってくるまでは良かった。だが山田孝之が街に住み始めてから、ちょっと変わった日常がダラダラと続くだけなのである。最後に山田が芝居をやって、なんとなくオチがついたっぽくなるのだが、結局、山田にどんな変化が起きたのかさっぱりわからない。
そりゃ私も売れないライターなんで、企画意図を忖度することはできますよ。
山田孝之が赤羽にやってきて、自分自身を見つけた。赤羽は山田自身であり、このドラマは山田そのものだ……なんて。意味わかんなかったから、適当に浅く考えてそんなテーマじゃないかと思っただけだが。
あまり深読みしたくなる作品でもないのである。
トータルな印象として、物語がつくれないからボンヤリ赤羽取材して、赤羽の面白さと山田孝之の演技力で退屈しない程度に味わいをもたせた。しかし松江哲明に実力がないので、物語の結末をつくることができず、オチだけつけて完成したふりをした……という風にしか私には見えなかった。
山なし、オチあり、意味なし。
物語がつくれない人物の典型的なミスである。実は進撃の巨人の映画の、町山智弘も同様のミスを犯してると感じた。原作があるから山もオチも意味もあるが、それは原作がそうなだけで町山の腕によるものではないのである。
エピソードがボンヤリと串刺しになってるだけで、最後にちょろっとオチつけだだけだった。枡野幸一の離婚小説もそうだが、物語づくりができない人物が物語をつくろうとすると、まず最初にこうなる。
竹熊健太郎が最初に書いたマンガは地球が大爆発するラストだったが、それも同じ現象である。物語を終わらせることができず、大爆発というオチだけつけて完結したように偽装したにすぎない。
松江哲明の実力は、その程度だ。
物語づくりのできないトウシロと感じた。
(続く)