SAFE/セイフ(2)
●少女よりも少年のほうが、感情移入させやすいのでは?
いつも思うのだが、ヒーローが誰かのために戦う場合、少女よりも少年の方が感情移入させやすいのでは?
そりゃ安易に考えれば、かわいい少女のために戦う方が簡単に観客を感情移入できそうだ。でも監督にロリ性癖がない場合、魅力的なロリータちゃんを描けないのである。
何の魅力もない少女のために、ステイサムが大暴れしても、なんだかピンとこないわけである。本作で起きたのは、それだ。男が少女のために、戦う理由がないのである。
しかもロリ趣味がない主人公なら、なおさらだ。子供とセックスはできないから、殺されそうになってまで戦う意味がない。ロリちゃんのために戦わさせられるくらいなら、巨乳ちゃんのために戦うほうがマシである。巨乳ちゃんとは、セックスできるから。
巨乳かどうかはさておき、要は魅力的な成人女性のほうがマシという意味である。恋愛対象として魅力的だから、彼女のために戦おうという動機が産まれる。トランスポーター1でのステイサムは、そうだったのだ。
巨乳ちゃんでなく、ロリ少女となると難しい。心を通い合わせたところで、セックスはできない。つまり男として少女と関わる理由がないし、どうコミュニケーションをとっていいのか、わからないのである。てゆうか、男として彼女に伝えるべきことが、特にないわけで。
セックスできないうえに、通じあうものがないのがロリ。そんなものを映画に登場させる意味は、あんまりないと思うのである。ロリータ趣味があるなら、別だけど。
少女を出すくらいなら、少年を登場させる方がマシだ。セックスできない点では、ロリと同じ欠点がある。しかし男として人生の先輩である主人公は、少年に伝えるべきことが沢山ある。
男の生き方を教えることができるのだ。
少年とセックスをすることはないが、通じ合うものがあるし、気持ちを通い合わせることもできるのだ。男どうしだから、無言でも伝わることもあるわけで。
少女と共感しあえる中年男性ヒーローよりも、少年と共感しあう中年男性ヒーローのほうが、描きやすいはずである。観客もまた感情移入しやすいと思うのだ。
だったらこの種の作品の場合、少女よりも少年を登場させるべきではないかと感じる。
●死にたがってる主人公
物語序盤でのステイサムは、死にたがっている男だ。エンド・オブ・デイズのシュワルツェネッガーや、たぶんケープタウンのフォレスト・ウィティカーもそうである。
単なるアクションヒーローではなく、何か「深み」をつけくわえたくなった時にわりとすぐに思いついてしまう設定ではなかろうか。アクション役者も、ついつい食いついてしまうだろうし。
しかし本作では成功してるように見えなかった。
死にたがってたステイサムが、ブスな中国ロリを見た瞬間に生きようと決意するのが唐突すぎて、何の感動もないのである。なんで中国ロリを見ただけで、生きる希望がわいてくるのか、わかんないし。