あべりょうのウザさは何なのか?
YouTubeで政治動画をよく見るせいか、あべりょうの動画が頻繁に表示されるようになった。見た瞬間になり、毛嫌いするようになった。深刻なテーマを曲にしてるくせに、歌ってる感じが軽くチャラい。社会問題を本気で考えてるようには、思えなかったのだ。
しかしたびたび表示されるので、とりあえず動画をちゃんと見ることにした。ムカつく内容だったら、こっぴどく批判してやろうと思ったのだ。
ところが歌詞を熟読したら、極めてマトモな内容なのだ。マトモな内容すぎて、批判するとこがないのである。ド正論とゆうか。内容そのものには同意するしかない。
しかし、その主張に全く賛成する気になれないのである。
なんじゃコイツは?
私は首をひねった。YouTubeで「あべりょう」と検索すると、「あべりょう ウザい」と表示される。皆が私と同じことを考えているようだ。私だけの特殊な感情ではなさそうである。
最初から批判する気まんまんで歌詞をチェックしたのに、歌詞そのものは極めて妥当。つっこみどころがない。しかし「意外にいいこと言ってるな」とは、とても思えないのである。
この気持ちは何なのか?
そう感じる理由は何なのか?
ついつい考え込んでしまう。
たぶん慎重に熟考を重ねたうえで、この歌詞になってるのはわかる。批判されるような、隙を見せたくないという防御的な態度がうかがえる。だから極めて妥当な歌詞になってしまうのだ。批判できるトコがどこにもない。間違ったこと書いてるわけでもないし。
だけど批判されないかわりに、踏み込んだ内容になってるわけでもないのだ。
「だから何なの?」「お前は何が言いたいの?」という、疑問がわいてくるわけだ。問題提起はしたがってるが、自分の思想はないし、あっても批判されるから言いたくない。そんなふうに見える。
言いたいことが特に無いなら、別に曲にしなくてもよいのでは?
批判リスクが嫌なら、歌詞にしなくてもよいのでは?
そんな疑問がこみあげてくるわけだ。
しかもそれを軽くチャラく歌ってしまうお前、本気で悩んでるの?
何も考えてないなら、曲にすべきではないのでは?
いっちょかみ、とゆうのであろうか、そうゆう軽率な感じがビンビン漂うのである。
いろんなモノが複合した、もやもや感。その集合体があべりょうに感じる「ウザさ」なのではないだろうか。