妬みや僻みをなくす方法(1)
妬みや僻みを無くす方法。あるんじゃないかな? ねたみ、ひがみ、つらいもんなあ。生きてるだけでつらいこと沢山あるのに、自分で妬んで僻んで、さらにつらいこと増やしてどうするよ?
そんなことを考えてしまう。
いつ頃からだったか忘れたが、私は妬みや僻みを感じたら、それを消し去るようにしてきた。自分で不愉快なことを増やすのは、意味がないと感じたからだ。
具体的には妬みや僻みを感じたら、うらやましがるようにした。素直にうらやましがった方が、妬んだり僻んだりするよりも精神的に楽だからである。
しかもうらやましがるほうが、努力につながりやすい。
そこは楽したほうがいいんじゃないかと思ってしまうのだ。
さらにうらやましがるには、なるべく口に出すといい。「ゾゾ前澤って金持ちでいいなあ……。うらやましいなあ……」などとはっきり言うと、気持ちが楽になるのである。
これはマジだから実践して欲しい。
……で、あんまりうらやましいと思えない場合、実はさほど妬んだり僻んだりしてないのではないか? 本気で妬んでないのに、過剰に意識してしまっているのである。
自分で本気で僻んでないのだから、小ネタなのだ。そんなものはさっさと捨ててしまった方がいい。
嫌なこと多すぎな世の中だから、自分で負の感情を増やすのは馬鹿げている。とっとと楽になってしまった方がいいのだ。
負の感情を忘れるなんて嫌だ。負けたみたい、逃げたみたい……。なんて感じる人もいるかもしれない。被害者意識が強そうである。
そこはねえ……忘れるのではなく、捨てたんだよ。いらないから捨てたの。ゴミを捨てるのと同じ。空き缶を捨てるのと同じ。邪魔だから捨てたのだ。
空き缶を捨てるたびに、人は自分を責めるだろうか? しないよな? あなただって、したことはないはずだ。
感情の空き缶を捨てただけなのに、自分を責めるのはおかしいよ。感情の断捨離をして、心の中が整理整頓されたのだから、それだけ勝ったし、快適さを獲得できたわけじゃん。
ユー、勝ち組よ!
そんなこと言われても、できないよ……。なんて人たちもいるかもしれない。そんなあなたに、さらなる方法を提案したい。
マイルド底辺(1)
底辺生活はみじめなものだ。収入アップしようと努力するのに、年収は下がる。こうなったのは自分のせいと言い聞かせ、さらに努力をするが年収は下がる。
努力が足りなかったからと、自己分析。
さらなる努力をするが、年収は下がる。
気がめいること10年くらい。あの時にああしとけばよかった、こうしとけばよかった。そんなことばかり考えてしまった。
あくまで自分的にだが、さんざ努力したのだ。
それでこれか……と気分はガン落ち。自分を責め続けた。そして最終的にたどり着いた。
ぜんぶ不況が悪い!
自分は悪くない!
自分は悪くない! すべて日本のせい!
……って、そこで全て不況や日本のせいにしてしまう自分に驚いた。しかも自分に何の責任もなく、なんも悪くないと思いはじめたことにも、驚いてしまった。
最も驚いたのは、気分がすっきりして、前向きな気分になれたことだ。もう少し、がんばってみようという気持ちがこみあげてきた。
努力が足りない自分のせいと、自分を責めてた時よりも、自分は悪くない不況のせいと甘えてるほうが、なぜか努力の量は増えている。
この現象は何なのかなあ……?
普通に他人のせいにせず、自分のせいにしたほうが前向きに努力できるはずなのだ。
しかし自分を責め続けて限界に達した場合、他人のせいにした方が気持ちが楽になるし、むしろ努力するようになるのである。
もしかして10代や20代までは、自己責任でヒリヒリ努力するほうが、人間は伸びるのかもしれない。限界に達してから、実力がじわじわとついてくるのである。
しかし30代や40代になると、自己責任でヒリヒリやるのは体力的に無理だ。歯をくいしばっても20代のような無理はきかない。努力するにも限界があるのである。
心がもたなかったりするし。
自分は悪くない。悪いのは他人! そうやって気持ちをリラックスさせながら、現状の自分にできる努力の全てをやるのが年相応なのかもしれない。
努力をするが、自分がつぶれるギリギリまでは追い込まない。追い込まれてからの底力がわいてくる年齢でもない。
絶対にあきらめない!
あきらめたら、そこで試合終了!
そんな風にイキってつぶれないでいられるのは、やはり30代前半までではないか。
あきらめつつ、あきらめない。
絶対にあきらめないが、あきらめるところはあきらめる。
そんな断捨離をしたほうがいいのが、アラフォー世代の在り方ではないかと思うようになったのだ。
トランスポーター3 アンリミテッド
トランスポーター3アンリミテッドを鑑賞。
快適なアメニティが戻ってきました(笑)。トランスポーター2は画面そのものが安くてチープ。ステイサム以外の全ての役者が安い感じでツラかった。
しかしトランスポーター3では一転し、全てが高級感あふれる感じに。きっと製作費が増やされたんだろうなあ……。ステイサム以外の役者にもメジャー感が出てきて、全てが好印象。
しかし女優がぶっちゃけブスで、エロ要素に関しては、今ひとつそそられないのでああった。そばかすだらけなのと、スモーキーアイなメイクと、髪型がレオンのナタリーポートマン的なとこは、リュック・ベンソン好みなんだろうけど。
もちろんベンソン、女優とハメてんだろうな。
オッサンむけのアメニティ充実の旅館のような作品だったのが第一作。しかしそこから脱皮して、普通に面白いアクション映画になってしまった。さみしい気もするが、これはこれでヨシとしたい。
エロ本やエロ文化の地位低下について
エロ本の地位低下について。
90年代末期まで?だと、文化人が意図的にエロアピールしてた面があったのだ。「自分は自由でやんちゃ、カッコいいんだぜ?」的な。当時の私は実際にそう思っていた。元SMの直木賞作家とか、ウリになってたしね。受勲までした大物作家は、ホモ経験を語ってたし。
昭和ノリの大物芸能人が、エロやヤクザを語るのもそんな文脈は本人や周囲の空気にもあったと思う。大物作家が裏本制作の現場を取材するのも、皆が知らない時代の裏をレポートするエキサイティングなものだったのだ。「当時は」ね。確か三島由紀夫も、SMだか切腹ショーだかやってたような?
だから結構な大物がSM雑誌でコラム書いてたりとかしてた。当時の印象はやっぱり自由でやんちゃでカッコよく、大物なのにSM雑誌で原稿書きとは寛容な……さらにカッコいい。ケツの穴がデカい。大物は違う。なんて印象だった。ただ、そんな空気が90年代後半から消え始めた。
女子高生の援助交際ブームの最中あたりからだったと思う。当時の私は「さすがにこれ以上はエロを許したら大変なことになる」と世間が思い始めたなと感じた。流れが変わったのだ。中学生や小学生の女のコたちが、自ら進んで楽しそうに売春するのは時間の問題かもしれんと思ったし。
元々からエロは逆風なものだったが、そこからの逆風はどんどんキツくなった。しまいにはコンビニに置くなとまで言われ始め、小島慶子に至っては嘘ついてまで置くなと言い出す。しかも彼女がイメージする成人誌(テープどめされてないもの)には、彼女がグラビアやったものまで含まれている。
彼女周辺のサブカル文化人だって、その種の立ち読みできるエロ本で仕事してたりもしたのだ。本人の意思で遠ざかったり、あるいはエロ本が売れなくなってオファーできなくなったりしたとか、色んな事情で彼らがエロ媒体で仕事することも減った。さみしいことだが、時代だ。しかたない。
しかし小島慶子が彼女と親しそうなミュージシャン・ライター・役者といった人たちが仕事してた媒体を、さも正論で「善いこと」としてコンビニに置くなと言い出したことに愕然としたのだ。彼女本人ができない立ち読みを、できると嘘ついてまで叩きはじめたのには呆れたしね。
それをやっても許される空気みたいなものを、彼女がビンビン感じてるとも思うのだ。嘘ついてまで売るなと吠えていいのだ、たとえ親しい人々が仕事してた媒体でも。それは正論であり、善いことなのだ。という、なんちゅうか、洪水のような抵抗できない時代の流れや、反抗しようもない空気とゆうか。
小島慶子個人やバズフィードを批判して(だって正当な批判なんだし)、黙らせることはできるかもしれない。しかし彼らの背後にある。洪水のような時代の流れとか、鉛のようにずっしり重い空気みたいなものが無くなるわけがない。それらに勝てる気がしないのである。無力感…。
小島慶子は責任能力のない女性という認識も、私の中であったりする。しかしそれを理由に放置するわけにもいかんと判断した。はっきり週プレが視野に入ってると忖度したので、普通にポストや現代もコンビニに置くなという認識だろうと私は解釈した。言質はとってないが。
ただこの種の発言をするときに、コンビニから追い出す雑誌の定義を本人が明確にしないと、いろいろとまずい。女性ファッション誌は売れてるモデルが普通に下着姿になるし、尻の割れ目のちょい上部分を見せたりする。やってることはエロ本と同じだ。私もたまにエロ視点で買う。
「エロ本をコンビニで売るなと。おっしゃる通りですね。では女性の下着姿や尻がのってる女性ファッションもコンビニから撤去していただくことに賛成していただけますね?反対なら根拠を述べてください。言質はとりますよ」と詰められたら、返答に窮して逃走するしかないわけで。
石野卓球に怒られた件(2)
*2019年4月28日に追記*
私のブログアクセスが1万1千を超えていたのに衝撃を受け、調べてみた。石野卓球に引用されてのブレイクだ。前回に引用された時は、2千だか3千だかだった。改めてピエール瀧が逮捕されたことの、インパクトの強さを感じてしまう。
さて、石野卓球のツイートが気になったので、ちと検索してみた。彼が「坂上忍」「バイキング」でどのようなツイートをしているか、調べてみたのである。反省の色がないなどと批判されているようなので、現状を知りたくなったのだ。
ツイッターには高度な検索という機能があり、石野卓球のアカウントで「坂上忍」「バイキング」などで検索すれば、卓球が坂上忍とバイキングについてどんなツイートをしたかわかるのである。
すると石野卓球本人が、坂上忍とバイキングという番組に対し、名指しで批判や反論をした事実は一切ないとわかった。反省の色がないかどうかはしらんが、反論するつもりはなさそうである。
意外に小心な臆病者……と表現したら怒られるだろうか?
「坂上忍」「バイキング」といった直接的な名前はつかってないし、特に批判や反論をしてないのだから安全……と石野卓球本人が考えているとしたら、がっかりである。だったら普通におとなしくしときゃいいんじゃないかとも思ったし。
坂上忍という名前を出すのはこわいから、バイキングという名前は出す。しかしバイキングに対して具体的な批判はしない……というのも、腰がひけてやしないか?
スジ違いの批判をされたら、たとえ相手が坂上忍であれ、反論するほうがカッコいいなどと私は思ってしまった。
*追記おわり*
石野卓球には黒歴史のまんま、白歴史になることないなどと叱責された。
傷ついたりヘコんだりすべきなんだろうが、卓球に指摘される前に既にさんざん悩んだことなので、なんとも思わなかった。100万円欲しさにRTした時と同様にである。すでに答えは出ているのだ。悪いことなのかもしれないが、慣れてしまったのである。
白歴史になることは永遠にないから、黒歴史から灰色歴史に近づけてゆくべく過ごすのが、人生の味わいなのでは? としか言えないのである。多少は白くなったかなあ? くらいのトコで、一喜一憂する感じとゆうか。ご指摘はありがたいけど、今さらそんなこと言われてもなあ……という感じなのである。
世界的なアーティストの石野卓球に底辺の気持ちはわかるまい。しかし彼の仕事をささえている、周辺のスタッフさんたちはそんなもんじゃなかろうか。家計を助けるために、酒のアテを塩に切り替えたと書いてた音楽ライターもいた。なんだか鎌倉武士みたいだと、当時は思ったが。
過去のエロ仕事が彼の中で黒歴史になってるのは、想定はしていたがショックだった。言及された時の、ふるまい方も事前にシミュレートされたものとも感じた。それもまたショックであった。彼の過去の悩みみたいなものを、感じてしまったからである。
最初は好きで始めたエロ媒体での連載だったが、飽きたというのも深刻である。連載に飽きたというよりも、エロ媒体そのものに対する不快な感情に耐えられなくなったと理解した。それも共感してしまうのである。
飯島愛と似た感じとゆうか。
書きたいことはいろいろあるが、本人が嫌がりそうなので書かない。迷惑をかけるのも不本意だからだ。
トランスポーター2・その2
●魅力のない女優たちに興ざめ
肝心の恋愛模様もつまらん。
アラフォー人妻にいきなり欲情されるのだが、唐突すぎてモテてる気分になれない。ご都合主義すぎるんだよ。しかも仲良くなった子供の母親なので、セックスしちゃったら後味が悪い。子供を裏切ったような気分になるからだ。
こんなセックスは断るしかないし、実際にステイサムも断っていた。しかし本当に断らざるをえないセックスを、映画に登場させる意味があるのだろうか? ここは不要なシーンなのだ。
アラフォー女性というのも微妙だ。経産婦ゆえ、あそこの具合はむしろ若女子よりはいいらしい。とはいえ、アクション映画のヒロインがオバさんではマズいだろう。しかも貧乳。
普通のオフィス恋愛を描くなら、年相応にオバフォー女性がいい。むしろ年相応で、リアル感があるとゆうか。しかしアクション映画は、夢を描く作品だ。やはりアラサー女性あたりをヒロインにしてもらわないと困るのである。
JDに目の色を変えるバカになりたくないが、とはいえオバさんで大満足できるわけでもないという、中年男性心理を少しはわかって欲しいのである。制作のリュック・ベッソンさんには。
女殺し屋に何の魅力もないのも困惑だ。そばかすだらけのスリム女子で、メイクはスモーキーアイ。ベッソンさん好みなのはわかる。元モデルだそうな。
しかし細身すぎてバストはボリューム不足。肌にハリがなく抱き心地は悪そうだ。胸もお尻も、さわったら弾力のないしなびた感じが想定できて、ゲンナリなのである。運動不足そうで、お尻にも力感がないし。
そりゃベンソン的にはそんな女優が好みで、前作同様にハメたのだろう。新人女優には枕営業はつきものだ。そうゆうの好きそうである。ベンソン。実際にどうかは別として、私にはそうとしか思えない。
いや、しかし、貴様の趣味で魅力のない女優をゴリ推しされてもなあ。ベンソンが据え膳をいただく様子をイメージしてみたが、全くうらやましくないのである。
あの程度の金髪美女なら、六本木のストリップバーに普通にいるしなあ……。ちょい太だけど、肌に弾力あって抱き心地はよさそう。ダンスで鍛えたヒップは上向き。寄せて上げるブラでかき集めた、背中の贅肉とバストは巨乳すぎて最高だし。思わず下着にチップの一万円札をはさんであげたくなる。ベロニカちゃんという、ラテン系の素敵なコがいてですな……。
おっと話がそれた。しかも万券をブラに挟む金銭力がないので、千円札をはさんだら、しわい顔をされた苦い経験があるにもかかわらず、チップが万券と見栄をはってしまった。
ネットにカキコされて大恥をかく前に、いま自分でバラしておきたい。
アクション方面のアメニティが低下したが、エロ方面のアメニティも、やはり低下してしまったのである。
石野卓球に怒られた件(1)
有名人にSNSで口論をふっかけてストレス解消。よくいる人物に思えるが、私はそうは考えない。口論ふっかけたら、反論されるので再反論しなければならなくなる。ファンの人たちだって噛みついてくるから、論破したり謝罪しなければならない。
ストレス解消どころか、ストレスが増える一方なのだ。
思い出すのはのまねこ騒動の時に、エイベックスの社長にSNSで噛みついてる一般人がいた。本名も出しているから、匿名ではない。彼が人生で最も輝いてる瞬間だろうなあ…と思った。
彼がどんな生活を送ってるか知らないが、普段はエイベックスの社長よりもはるかにしょっぱい先輩や上司やクライアントにヘコヘコと頭を下げてるはずである。そんな彼の人生の中で、最大クラスの大物とかかわるのがその瞬間だろう。
はりきってしまうのは、わかるのである。
とはいえ、もう少し自分を客観視してもいいのではないかと感じた。やっぱり普段はもっとしょっぱい人たちに、へいこらしてる身分でもあるのだから。キレる時はキレてもいいが、怒りが冷めたら身の丈をふりかえるのも大事なことだ。
ZOZO前澤の100万円あげますキャンペーン欲しさの時も、私は迷わずRTした。物欲しそうな顔をしてる自分を醜いと感じたが、とはいえ1日かけて文章を書いて2万円の仕事を追いかけてる身分としては(しかも顔は物欲しそう)、100万円もらえるならありがたいに決まってるからだ。
プライドが無いのか?と問われたら、普段の生活にプライドもクソもないのに、100万円もらえそうな時にだけ、プライドを思い出しちゃうのも妙な話だしなあ……。ここで迷わず100万円をゲットする。それが俺のプライド!……などと、珍説をこねたくもなってしまうわけだ。
底辺暮らしはキツいものだが、それでも快適に楽しく過ごそうとすると、気分はマイルドになってしまう。マイルドヤンキーとゆうか、マイルド底辺。そうすると、有名人と口論してストレス解消…という気分にあんまりなれない。これもまた底辺の現実なのである。