失楽園

 失楽園を鑑賞。

 メガヒット作品だが淡々とした作品で、監督の森田芳光のやる気が感じられない一本。黒木瞳の脱ぎっぷりの良さだけが際立つ。役者さんの演技も特に光るものがなく……てゆうか、演技するところが無かったんだと思う。

 現代の心中ものを描くというのが原作のコンセプトだったので、そちらに寄せてけばよかったのではないかと感じた。


 ●私は渡辺淳一作品のファン

 渡辺淳一作品といえば、皆さんどうしても失楽園愛の流刑地の印象が強いと思う。てゆうか、それしか知らないだろう。

 しかし渡辺淳一作品のファンである私からすれば、「桜の樹の下で」や「ひとひらの雪」の方が、失楽園愛ルケよりもクオリティ的には上なので、ぜひそちらを読んでいただきたいのである。

 両作品とも映画化されており、そちらも脱ぎっぷりのよい女優が出演しており、ゲスい意味でもいい作品。むろん映画としても、森田芳光の手抜き仕事よりはいいですよ。

 また遠き落日も気合の入ったパワフルな作品で一読を願いたい。
 そういえばダビンチという雑誌で、マディソン郡の橋という世界的メガヒット作を書いた著者と渡辺淳一が対談していたが、世界的メガヒット作品の著者を完全に子供あつかいしているのに、私は歓声をあげた記憶がある。格が違いすぎた。

 さすが我らがナベジュン。

 一発屋ごときは歯牙にもかけませんか!


 ●黒木瞳の演技は不思議ちゃん的?

 黒木瞳の演技を見て気になったのは、不思議ちゃん的な演技をしてるところ。小悪魔的とゆうか。

 この不思議ちゃん的、小悪魔的というのが具体的には何なのか筆者には説明できん。

 できんが、きゃりぱみゅ的な20代女性に不倫されて旦那をとられて離婚したアラフォー女性のエッセイ漫画を読んだ。

 私の頭の中で、「不思議ちゃん・小悪魔・きゃりぱみゅ」というのが一本につながれてしまったが、そのひらめきが当たっているかどうかは、わからん。


 ●黒木瞳の母と娘の関係性に疑問

 役所広司とのセックスにハマり、旦那を嫌いはじめる黒木瞳。彼女の母は旦那よりで、黒木を厳しく問い詰める。しかし反省しようとしない黒木に対し、ついにマジギレ。「そんなふしだらな娘に育てたおぼえはない!」と怒鳴りつける。

 かなり古いタイプの母娘像ではないかと思った。

 母の主張は建前論であって、女の本音とはかけはなれてるように思えたのだ。母といえど女だから、良すぎるセックスにハマってしまった場合、トチ狂ってしまうのはよくあること……というのは、理解できる範疇ではないかと思った。

 ならばここは「セックスが最高すぎてハマってしまうのは、母さんよくわかるの。母さんも女なんだしね。父さんが退屈な男性に見えたことは、あったわ。でも子会社に左遷された不倫男と、ポジションある名医の旦那とどちらが大切か、打算的なあなたならわかるわよね? 今すぐ別れろとは言わないわ。でも、少しずつ距離をおきなさない。そして、いつか、別れるの。たまにちょいちょい抱かれる程度なら、しかたないわよ。母さん、アリバイづくりを手伝ってあげる」くらいのニュアンスの方が、新しいのではないかと思った。

 知人の不倫好きの40代人妻にこのことを話したら、サバけすぎててありえない。むしろ黒木母のほうが普通ではないかと、訂正されてしまった。

 さすがにはっちゃけすぎかと自分でも思うのだが、黒木のやってることを全否定したあげく、建前論しか主張できない「母としての古さ」は、私にとっては理解しずらいものを感じた。

 父親が古い建前論をこねるのなら自然だが、母親がそれではマズいような気がしたのだ。

フレフレガール

 フレフレガールを鑑賞

 

 ●アイドル映画として最低ラインを割った駄作

 企画意図からしてアイドル映画だ。主演の新垣由衣のかわいさを、ひたすら鑑賞するのが眼目なはず。それなのにガッキーの顔面アップがゼロのうえに、カメラ目線すらあんまりない。

 これでどうやって、かわいさを堪能しろと?

 学ランの応援団スタイルによって、ガッキーがよりかわいく見えるはずなのだが、そ

うなってないところに愕然としてしまう。

 

 ●シナリオはシコふんじゃったと同じ構造

 もしかしたらがんばれベアーズなんかもそうかもしれんが、途中で合宿して一皮むけてから本戦に挑戦というのは、ありがちすぎやしないか。

 シナリオ構造として古く、これからは合宿のシークエンスで、本戦にむけての伏線をはるべきと感じた。宿命のライバル登場でも、必殺技の手がかりをつかむでも、なんでもいい。なんにも無いよりは、マシなのだから。

ヤングアダルト

 ●シャーリーズ・セロンの演技はいい

 シャーリーズ・セロンの演技はいい。本人のいい女イメージを完全破壊するダメ女子ぶりに、そこまでしなくても……な印象。とあるシーンでヌードになるのだが、半裸の女性にヌーブラ姿で、オナニー猿男性ですらどんびきする状況だ。

 「盛られた美女の等身大」や「上げ底女子の等身大」という複雑な概念を、一瞬で表現する名シーンだ。しかしセロンのいい女イメージは完全にダウンするわけで、CM仕事は減りそうだと感じた。

 

 ●シナリオは要再考では?

 シナリオは練り直す必要があったのでは? 物語終盤で、セロンがご執心の男性の子供を堕胎したという過去が明らかになるのだが、この過去は掘り下げるべきだったような?

 男性が都会的ないい女のセロンではなく、地元の地味女子を妻に選んだ理由があるはずなのだ。同時にセロンが堕胎までして、大都市を目指した理由もあるはず。

 そこを掘り下げるべきではないかと感じた。

 セロンが妊娠したのが高校時代なら堕胎するしかなかったと思うが、高校卒業した後なら出産もアリだったろう。あるいは堕胎したって、その後で結婚すればいいわけだし。

 

 ●アキバ系男とのセックスは、一歩踏み込んだと感じた

 アラサーアラフォー女子の自分探し映画で、女子の共感さえあればイイネ!はそこそこついてしまう。しかしそれ以上のものは何も無いといえば、無いのだ。

 岡崎京子の一連のマンガはそうだし、未読だがタラレバ娘もそうではないか。

 この手の映画やドラマでよくある役で、「主人公女性のよき理解者であるゲイ男性」というのがある。ゲイだから女性への性欲がなく安全、しかもお洒落な自分を演出……という役回りに、私は差別的なものを感じてイラっとする。

 女性は「去勢されたオス」を好む傾向があるのだ。

 ホモと思われてたが、実はノンケのアキバ系デブが登場した時に、私はひっかかった。彼はこの手のドラマによくある去勢されたオスではないのだ。

 映画終盤で彼とセックスするが、女性の自分探し映画でこの手の展開はない。新しく一歩ふみこんで、よくあるひな形を壊したと感じた。

 賞賛したいとこである。

 しかし、一歩踏み込んだものの、それどまりで残念だ。

探偵はBARにいる2 ススキノ大交差点

 「探偵はBARにいる2 ススキノ大交差点」を鑑賞。

 ●ススキノという街の魅力が全開

 あいかわらずススキノという街に、魅力があっていい。豪華なオープンセットを組んだような街並みで、ドラマや映画の収録に使われがちな東京近県とは見え方が異なる。

 この映画で最も魅力があるのは、この街の存在感ではないか。

 

 ●前作よりもぐっと良くなった松田龍平

 前作では出番があまりなった松田龍平。演技力があるのか無いのかサッパリわからなかった。しかし本作では出番があるので、存在感が出せる役者だとわかる。

 

 ●続編に期待

 続編に期待したい。松田龍平の出番をもっと増やした方が、作品に広がりは出ると思った。

 

 ●ススキノ大交差点の意味

 サブタイトルのススキノ大交差点の意味がわからないとの指摘がレビューにあった。そんなもん「踊る大走査線」みたいなタイトルにしたかっただけに決まってるだろう。映画のあぶない刑事も、踊る大捜査線がリリースされるから、便乗する気であぶ刑事を撮影したと本人たちが記者会見でどうどうと言ってたほどだ。映画業界って、そんなもんである。

ヒメアノ~ル

 映画のヒメアノ~ルを鑑賞。

 凄惨な暴力シーンがウリだが、ちょっと演出が安易ではないか? 暴力や恐怖が極まった状態なのに、登場人物がどうでもいい小さいことをやってたりするのだ。日本映画でよくある演出である。

 でも、飽きたかなあ?

 殺されそうになってる女性が、ビニールのヒモを取り出そうとして何度も失敗する演出がある。よくある場面すぎて、またかよ……といった気分だ。

 興ざめしてしまう。

 映画のラスト20分が密度がすばらしく、ここをもっと膨らますべきだったと感じた。それまでのシーンは、不要かもしれん。職場の先輩のムロツヨシも、正直いらないかも。

 創作活動には足し算と引き算が大切だが、ここはバッサリ引き算したくなるところだ。

 森田剛がヒロインちゃんに執心しているが、彼女に救いを求めていているのではないか? 単なる性欲や暴力の対象として、ヒロインちゃんを見ているのではないと考えるのである。

 あくまで物語構造的にですよ。

 イジメに巻き込まれたくない主人公が、森田剛を見捨てた過去があるのだが、それを森田剛が記憶していない。印象的なシーンだが、ここは広げるべきとこじゃないかなあ。

 過去の経緯を思い出して森田剛がキレたり、あるいは森田は主人公にイジメから助けて欲しかったのに、そうしてくれなかったことを恨んでいたり、色々と広げられる気がした。

 ここは足し算するところである。

 ラスト、森田剛人間性を取り戻すシーンがあるが、きっかけになるのがソフトバンクのCMに登場する白い犬ってどうなの? ベタベタすぎてひいてしまうが、これくらいわかりやすい方が観客に伝わるのではないかとも考えてしまう。

 なんか、色々と考えさせられた。

ゲゲゲの女房

 ゲゲゲの女房を鑑賞。テレビドラマではなく、映画のほうだ。

 ●駄作

 駄作である。

 シナリオがダメ。

 序盤の30分に吹石一恵と宮藤勘九郎の間にコミュニケーションが全くないので、宮藤のどこに吹石が愛情を感じているのかサッパリわからないのだ。

 宮藤勘九郎が吹石に対して旦那として何のコミュニケーションもとろうとしないため、極度のコミュ障か、重度のアスペルガーか何かと判断するしかないのである。

 安ギャラで貸本漫画を描いてはいるものの、宮藤は自分のマンガに対する愛情があるようにも見えない。ダラダラとお絵描きしてるだけなんですよ。

 ラストでどうやら幸せになったらしいのだが、説明不足で何がなんだかわからない。

 ひどいシナリオですね。

 宮藤と吹石の二階に間借りしてる住人は、妻に逃げられた男なんだが、これはもう一つの宮藤の分身なんだろうなあ。

 マンガ家としては失敗して妻に逃げられ、絵の仕事をしながら食いつなぐだけの味気ない生活。

 宮藤もそうなるかもしれなかったということだろう。


 ●役者の演技力はある

 役者に演技力はあっても、演技するとこが無いから、ボンヤリとセリフを読んでるだけになってしまう。演技力を要求される場面が無いから、演技することないんですね。

 役者がかわいそう。

 ぐっとひきこまれたのが2カ所だけあった。

 ひとつめは子供を産む産まないで吹石一恵の感情が爆発するシーン。吹石やるじゃん! ……と思わず前のめりになってしまったが、それだけで終わってしまう。

 シナリオに何も書かれてないから、役者が演技することが何も無いのである。

 いっそここは役者さんがアドリブで演技を大量に追加すべきだったのではないか? シナリオライターと監督が無能なのだから、せめて役者を放し飼いにして、大暴れさせる方がマシというもの。

 ふたつめは収入が少なすぎると税務署が調べにくるところ。

 「怒ると腹がへるから、怒らないようにしている」と宮藤勘九郎の伏線のセリフが渋く光る。そしてあまりに無理解な税務署の小役人どもに宮藤がキレる。

 いいシーンだ。

 宮藤の演技も迫力がある。

 しかし、シナリオはそこから何も掘り下げず、ダラダラと時間だけが過ぎていくのである。

 勘弁こきまろ。

 つまんねえんだよ。

 ダメなシナリオのダメ映画だが、この二カ所だけは光っていた。ここをもっと掘り下げたりふくらませたりすべきだったんじゃねえかなあ……。

 ●画面はいい

 この監督はシナリオの才能はゼロだが、絵的なセンスはあると見た。低予算で厳しかったと想像するが、その範囲内でよくがんばっている。

 紙の原稿の絵が動き始め、アニメーションになるシーンは思わず引き込まれてしまう。

 もっとこのシーンを活用して、吹石一恵が旦那のマンガの才能に惚れるシーンとして活かせばよかったんじゃないかと思った。だって彼の才能を認める場面がないんだもん。

 説明がなさすぎなんだよ。

 昭和30年代だか40年代だかの映画なのに、平成としか思えない鉄塔やマンションや車が画面に写りこむのが酷評されている。時代考証がデタラメで、興ざめする人々は多かったようだ。

 しかし、そこがいいと私は感じた。

 昭和の遠い過去の物語ではなく、平成の現在とも共通するテーマを描いた映画でもあるのだ。時代考証があえてデタラメなほうが、よかったと思われる。

 過去と現在が混じりあう映画ではあるが、現実世界と妖怪が溶けあう映画でもある。過去と現在、現実と妖怪。それらが入り混じった世界観をつくることに成功したと私は判断した。

 ●トータルな分析。

 シナリオはダメ。役者の演技はよし。画面のセンスはよし。

 そんな映画である。