松江哲明に批判集中(1)

 

 

 

 松江哲明がいきなり批判されている。

 私は彼の作品は山田孝之がやってた赤羽を舞台にしたものしか見てないが、中途半端な才能しかない映画監督なのかなあと感じた。ドキュメンタリーも制作できないし、フィクションとしての物語も制作できない人物とゆうか。

 普通に映画シナリオが書けない人物なんじゃないすかね。

 リアル感ある嘘の物語がつくれないから、ドキュメンタリーという形式にして「そもそも事実ですから」とリアル感をかもしだそうとしているように見えた。山田孝之が演技力あるのと、赤羽という街か味わい深いので、リアル感は発生してしまう。

 だが松江哲明の腕によって生まれたものではない。

 リアル感をつくっているのは、山田孝之と赤羽なのである。

 山田孝之が赤羽の街にやってくるまでは良かった。だが山田孝之が街に住み始めてから、ちょっと変わった日常がダラダラと続くだけなのである。最後に山田が芝居をやって、なんとなくオチがついたっぽくなるのだが、結局、山田にどんな変化が起きたのかさっぱりわからない。

 そりゃ私も売れないライターなんで、企画意図を忖度することはできますよ。

 山田孝之が赤羽にやってきて、自分自身を見つけた。赤羽は山田自身であり、このドラマは山田そのものだ……なんて。意味わかんなかったから、適当に浅く考えてそんなテーマじゃないかと思っただけだが。

 あまり深読みしたくなる作品でもないのである。

 トータルな印象として、物語がつくれないからボンヤリ赤羽取材して、赤羽の面白さと山田孝之の演技力で退屈しない程度に味わいをもたせた。しかし松江哲明に実力がないので、物語の結末をつくることができず、オチだけつけて完成したふりをした……という風にしか私には見えなかった。

 山なし、オチあり、意味なし。

 物語がつくれない人物の典型的なミスである。実は進撃の巨人の映画の、町山智弘も同様のミスを犯してると感じた。原作があるから山もオチも意味もあるが、それは原作がそうなだけで町山の腕によるものではないのである。

 エピソードがボンヤリと串刺しになってるだけで、最後にちょろっとオチつけだだけだった。枡野幸一の離婚小説もそうだが、物語づくりができない人物が物語をつくろうとすると、まず最初にこうなる。

 竹熊健太郎が最初に書いたマンガは地球が大爆発するラストだったが、それも同じ現象である。物語を終わらせることができず、大爆発というオチだけつけて完結したように偽装したにすぎない。

 松江哲明の実力は、その程度だ。

 物語づくりのできないトウシロと感じた。

 (続く)

すすむ町山智弘離れ

 深く静かに町山智弘離れが進んでるように見受けられる。

 ある映画人? 映画系ライター? 無学で無教養な私は彼のことをよく知らないのだが、そんな人物のブログがタイムラインに流れてきて、それを読んでいたら町山智弘批判が書かれてあった。

 要注目なのは町山かどうかはわからんが、大先生と称される映画評論家が文中に登場することなのである。

 どうも映画祭に愛人つれてやってきて、しかも態度がデカかったらしくカチンときたようなのだ。もしかして愛人の態度もデカかったのかなあ……と想像してしまう。わりとよくある話じゃん。

 映画祭の女性スタッフが反発して総スカンらしく(女性は愛人とか嫌うわな)、なんかもうポリコレがどうのといった高尚な話ではないのである。単なる助平オヤジの調子こいたふるまいが、周囲の怒りをかってるとゆうか。

 愛人いるから反感かうようでは、ポリティカルコレクトネスではなく、エロティカルコレクトネスではないかと、思わずつまんないオヤジギャグをかましたくなるわけだ。

 普段からポリティカルコレクトネスで優等生な発言ばかりして、周囲に遵守を求めてばかりいるお人である。なのに自分の下半身はフル勃起で、エロティカルコレクトネス全開って恥ずかしいでしょ。自分のチンコに関しては、急に劣等生になってしまうようでは話にならない。

 きれいごとばっかり言ってるくせに、女にだらしない政治家と同レベルではないか。致命的だよな。クリティカルコレクトネスとでも表記するといいのかねえ?

 だめだこりゃ。

 あ、こーりゃこりゃ。

 個人的には愛人つれまわすくらいセーフだと思う。女とやった後の冷静な賢者タイムの時って原稿が進むからだ。私が大学生の頃は普通に三又交際をやっていて、女の部屋を日替わりで泊まり歩きながら、ノートタイプのワードプロセッサーで新人賞に応募する用の原稿を書いていたものである。

 英雄豪傑になったような、大物になったような、とにかく豪快な気分になってしまうわけだ。気分がいいのである。男とは、しょっぱい生物である。

 そんな私だから、町山の愛人話は好感度アップのネタでしかない。それくらいでないと、いい原稿は書けないなどと考えてしまう。

 とはいえ態度がデカいってのはマズいよな。

 後輩や年下に囲まれていると、自分では普通にしてるつもりでも、ついなれなれしい態度になってしまうことは、私にはよくある。あんま他人を批判できるほどえらい人格でもないのである。

 とはいえ、私のような小物にせよ、町山智弘のような大物にせよ、そんなことしてたら周囲の若者から反発くらってしまうのは当たり前ではないか。私は小物で実力もなかったから、順調に干されて今にいたる。業界から消えたから、今は悲しいことに誰からも嫌われることがないのだ。

 しかし町山は実力もあるし大物だから、干したくても干せない。いつまでも映画業界に居すわってしまう。若い人たちから見れば、ケタクソ悪い「サブカル老害おじさん」になってしまうわけだ。

 映画業界の人々が町山のふるまいに激怒し、愛人がらみの問題を暴露してんだろうなと、のろい私にもわかってきたわけだ。昔は、反町山の連中が、推理と検索で彼の愛人の存在に気づいたと思ってたんだけど、違うよな。身内の暴露だろ。

 本来ならば映画関係者もやんちゃな性格なので、愛人くらいでグダグダ言うような連中ではあるまい。なのにそんな彼らがバラしまくるというのは、よっぽど腹にすえかねているのだろう。

 ポリコレは確かに大事なものだ。

 後輩の映画関係者がクロンボ表記などしてたら、苦言をていするのが先輩の優しさなのは間違いない。だけどそれはこっそり忠告すればいいだけの話で、ツイッターなどで大々的に批判したって反感をかうだけだ。

 町山個人が批判するぶんには、単なる身内の兄弟喧嘩ですむ。

 しかしツイッターでアピールなんてしたら、今は抗議団体などから運営に普通にクレームがきてしまう。運営サイドにしてみれば、町山が犬笛を吹いて、鉄砲玉が攻撃してくるように見えてしまう。アンタこうなるの、わかってやってるよな? と怒りがこみあげてくるのは察するにあまりある。

 本来は身内で仲良くやってけるはずの、映画業界人や若者たちと対立して、何か得することあるのか首をかしげてしまうわけだ。

 これから批判や暴露が次々に出てきそうな気配だが、なんだか暗然たる気持ちになってしまう。

 なるべくカドを立てないように、うまく意見する方法を模索すべきではないかと案じる次第である。

 

 

 * 追伸 *

 妙なところからアクセスがあったので調べたら、某所に当ブログのリンクが貼られていた。カキコを読むと「だめだこりゃ、あ、こーりゃこりゃ」などと、当ブログの特徴的なフレーズがカキコしてあったりする。

 まるで私がカキコしたように偽装されてるわけだが、私のやったことではないので誤解しないでいただきたい。あんま、関わりたくないのが本音なのだ。

最上もが、でんぱ組incを脱退

 最上もががでんぱ組incを脱退した。

 普通なら卒業ツアーと称してライブをやり、卒業特需でひと儲けするところだ。事務所はそうしたかったはずなのに、できなかったのは深刻である。不仲説は本当だったかと、つい勘ぐってしまいたくなる。

 最上が他のメンバーに嫌われてても、彼女がいないと成立しないグループだろう。他のメンバーがマンガ週刊誌でグラビアやれるのも、今まで最上がグラビアをがんばってきたから、その恩恵を受けてるにすぎない。

 アイドルブームも一段落ついた。

 売れないグループは解散させるしかないし、黒字でものびしろが無ければ新グループをデビューさせたくなるのが企業としての芸能事務所のありかただ。リストラクチャーはしなければならない。

 そんな時代のできごとのように思える。

 ちと、寂しいことだけど。

殺そうとした欅坂46のメンバーは誰なのか?

 アイドル系の仕事をしてる友人と、欅坂46の話になった。「発煙筒が炊かれたそうだけど、誰を殺そうとしたのかなあ? ググれば、わかることだけど」と、ボンヤリと私が言うと、検索してもわからないと彼が否定した。

 なんでよ?

 私が首をかしげると、欅坂の運営が発表してないし、警察も発表してないのだと教えてくれた。そりゃ発表したところで、悪い結果しか呼ばないよなあ。ようやく事態の深刻さがのみこめてきたオッサンの私である。

 ま、順当に考えたら事件が起きてから活動を休んでいた平手友梨奈と柿崎とかゆうのが狙われたと推察はできるが、裏なんかとれるはずもない。

 私もミーハーなので、街でアイドルを見かけると、ついつい握手やiPhoneでの撮影をせがんでしまう。彼女たちはキ!モチ悪いのを我慢して笑顔で応じてくれるが、そうやって頑張ってる彼女たちに危害を加えようとした犯人は本当に許せないよな!

 我々のようなアイドルオタクはキモチ悪いに決まっているので、キメェくらいは我慢しろとアイドルには説諭したい。しかし彼女たちを怖がらせることがあってはならないと思うのだ。

 アイドルのモチベーションを最も下げるのは、恐怖心だろう。

 自分がキメェおっさんのドルオタだからこそ、アイドルちゃんのモチベーションを下げやがる犯人を心の底から憎むしだいである。

太陽光発電って本当に良いものなの?

 数年ぶりに実家に帰省した。新幹線で移動しながら窓の外を眺めると、太陽電池がやたらと見える。ソーラーパネルとゆうんだっけ? ツイッターでは太陽光発電の悪口しか目につかないんだが、こんなに増えてるとは知らなかった。

 実家にたどり着いたら、ご近所さんも屋根に太陽光発電のパネルをのっけてた。8月は日照量が多いので、3万円くらいは発電して稼いでくれるらしい。でも8月以外は3万円は稼いでくれない。

 パネルを買って設置するには数十万はかかりそうだ。でも8月で3万円しか儲からないなら、10年かけても30万円しか儲からない。元がとれるのは20年後くらいになりそうだ。

 全然儲からないじゃん!

 どうも太陽光発電で儲かるのは、設置した個人ではなく業者と電力会社だけのようで、なんだか釈然としない。なのになんで田舎はパネルばかりなのか?

 農業やる人もいなくなった水田や畑が大量に余っていて、農家はついつい太陽光発電に手を出してしまうのだ。100万円くらいはポンと出せたりもするし、その金の使い道もなかったりするので。

 無意味な出費かもしれないが、耕す人がいなくなり雑草が生えるばかりの休耕田や畑を見るのは忍びないものがある。ついついソーラーパネルを設置したくなるのが、農家の心理なのかもしれない。

 パネルがズラリとならんだある畑には、立札かあった。「脱原発!」というスローガンと、共産党志位和夫のポスターだ。ソーラーパネルではなく、ソーラーパヨクというわけか。

 つまらない冗談だが、退屈な冗談みたいな現実が私の目の前にあるわけで、どうにも困ったもんだよなあ。

 本当に太陽光発電脱原発できて、パヨク様が本当にそうする気があるのなら、耕作者がいないから農地が余った農家が、太陽光発電で大儲けする仕組みをつくるのが先だ。儲かるのなら誰もが設置するし、どんどん増えるわけで。

 なのにそうしないのは、本気で脱原発する気が全くないのだろう。

 困った奴らだなあ……と暗然とした気分になってしまう。太陽光発電で儲けてるのは業者ばかりで、農家に還元されてる様子がないのだ。こんな状況を放置して脱原発もクソもない。

 秋冬は太陽光が少なくてあんまり発電できないようなら、太陽光よりも風力発電のほうがむいてるのかもしれないし。

 脱原発を本気で考える気もまいくせに、よく吠えるパヨク様は本当に無責任である。

良いホモ、悪いホモ(4)

 いささか極端な話になってしまったが、リベラル思想というものが、そもそも矛盾した思想だというのをご理解いただけただろうか? リベラル思想的には、以下の通りの理念を持つべきである。

 

 1.イスラム教徒を排除してはならない

 2.同性愛を排除してはならない

 3.リベラル思想を排除してはならない

 

 しかし、1~3の思想を実践しようとすると、以下の行動をしなければならなくなる。

 

 1.イスラム教徒を排除しなければならない(彼らは同性愛を認めないから)

 2.同性愛者を排除しなければならない(彼らはイスラム教を認めないから)

 3.リベラルを排除しなければならない(同性愛とイスラム教を認めないから)

 

 

 ……って、明らかにオール全てぜんぶが矛盾しとるがな!

 同性愛者のためにイスラム教徒を排除して、イスラム教徒のために同性愛者を排除して、最後に同性愛者とイスラム教徒を認めなかったリベラルを排除するって滅茶苦茶だよ! 自己矛盾したリベラルが最後に消滅して終わりって、ワケわかんないし!

 結局、日本のリベラル様は矛盾に耐えられないのだ。

 日本のリベラル思想は、子供のリベラルなのだ。

 

 「ホモとレズに優しい自分が好き」

 「イスラムに優しい自分が好き」

 「リベラルな自分って、なんかカッコいい」

 

 この程度の考えで発言し、行動しているのが現状ではないのか。それは幼稚なリベラルであって、自己矛盾と向きあっていない。悩みながら成長し、大人のリベラルをつくるべきではないかと提言したい。

 いま求められているのは、自己矛盾により自我崩壊する子供のリベラルではなく、自己矛盾に悩みながら成長してゆく大人のリベラルのはずである。

 

 (終)

良いホモ、悪いホモ(3)

 多様な価値観を認めるのが、リベラル思想だ。

 思想の中には宗教も含まれるので、リベラル的にはイスラム教徒を守らなければならない。しかしイスラム教を認めない集団がいる。それがホモとレズである。

 イスラム教は同性愛を認めないのだから、ホモとレズは自らを認めない宗教を受け入れるはずがない。敵対的な宗教集団だからである。LGBT的にはイスラム教は、同性愛差別をする狂信的なカルト教団なのだ。

 しかしリベラル的にはイスラム教徒を差別する同性愛者は人間のクズ。よって排除されなければならない。そういったわけで、リベラル的にはもう一つの思想が爆誕してしまう。

 

 2.同性愛者はイスラム教を認めないので、排除しなければならない

 

 ……って、同性愛だからって排除したがる人々って本当にリベラルなの? LGBTへの理解がゼロなのに? 同性愛者を排除しようとしているのに? でもイスラム教を尊重するためには、イスラムを認めない同性愛者を日本から追い出すしかないのだ。

 まあ、イスラム教徒を追い出して、次に同性愛者を追い出せば、とりあえず矛盾は解決するでしょう。めでたいことではある。

 しかし次の矛盾が発生してしまうのである。

 イスラム教と同性愛を認めない、ネトウヨ以下の人間のクズどもを排除しなければならなくなるのだ。しかも彼らはイスラム教徒と同性愛者を日本から追い出した、差別主義者だからである。

 よって以下のリベラル思想が爆誕してしまう。

 

 3.リベラルはイスラム教と同性愛を認めないので、排除しなければならない

 

 ……って、イスラム教徒と同性愛者を日本から追い出した後で、リベラル様が日本を出てかないといけないのかよ! リベラルがリベラルを弾圧する、ワケわかんない状態になるよ! そんな日本でいいのかよ!

 たぶん、リベラル的にはいいのでしょう。

 なぜならば……。

 

 1.同性愛を認めない差別主義者の、イスラム教徒がいない

 2.イスラム教徒を認めない差別主義者の、同性愛者がいない

 3.イスラムと同性愛を認めない差別主義者の、リベラルがいない

 

 ……といったクリーンな状況になるからである。

 イスラムと同性愛とリベラルのいない日本って、本当にリベラル国家ですね!

 ……って、明らかにおかしなことになってしまうわけだが、でも、リベラル思想を追求したら、そうならざるをえないのである。

 (続く)