最近の私
ブログ日記を書いててぶっちぎりのアクセスがあったのは、うしじまいい肉。1日3千アクセスを超え、私の中では最高アクセスだった。次が性の悦びおじさんで、1日300アクセス。最低だったのが桝野幸一で1日20アクセス。
態度が偉そうで最高に感じ悪いくせして、全く数字を持ってない桝野幸一、勘弁して欲しい。性の悦びおじさんの1/10しかアクセスがないのかよ貴様は。
私は肩書的にはライターを名乗ってはいるが、なかなか厳しい現状でもある。ブログを書いたところで、それが仕事につながるかといえば、そうではない。とはいえ、頭に思い浮かんだことはブログにでも書かないと落ち着かない。
宿便を排泄しないと、スッキリしない感じに似ている。
貴様は我々に宿便を読ませているのかと怒られそうだが、実際にそうだしなあ(笑)。ブログという形で書き捨てておくと、空っぽになった頭の中に別のアイディアがわいてくる。それをひたすらにくりかえすのが、書き手のコツだ。
ただ可能な範囲内で面白いブログにしようとしたり、読みやすくしようと努力してるので、お許しいただければ幸いである。
自分で言うのもナンだが、私は売れてるライターではない。周囲もそんな調子だ。仕事をふってくれてた編集者も、リストラされるなどしてクライアントではなくなったりする。
追い込まれた状況でブログを始めることにした。
いや、ブログなんかやってる場合じゃないとは、私も考えたりするのだ。しかし仕事がないライター友達で、ブログすら書いてない人物も普通にいたりするので、それもどうかなあと思ったりもするわけだ。
本人にはブログをすすめているのに、書こうともしない。
なんで書かないのか尋ねてみると、どうもノーギャラなのが嫌ならしい。気持ちはわかる。ライターを自称してるのに仕事がなく、ノーギャラでブログを書くのはみじめである。格が下がったような気もするし。忙しいライターであればブログを書く暇もないはずだ。
とはいえ、売れてないライターなのに、ブログすら書かないというのは、それはそれでマズいと思ったりもするわけだ。
原稿依頼が無いから文章を書かないというのでは、世の中に何も発信していないことになる。何の影響も与えないライターってマズいでしょ。このブログが何か影響を与えてるかといえば、そんなことはない。
しかし、まあ、何がしかを発信してはいるのである。
書きたいことがあるからライターやってるわけで、金にならなくても書きたいものは書きたい。そうしてないとイライラしたり、鬱になったりするので、そうなるくらいならブログに書いてしまった方がいい。
それに書き捨てブログとはいえ、キーボードを叩いていると、頭の中が整理されるし、自分の文章のリズムを思い出したりもする。調子出てくるわけだよね。
プロ野球選手のバットの素振りだって、ノーギャラでやってるわけじゃん。
それと同じだよと言うと、カッコつけすぎだろうか?
売れてないのにブログを書かない知人を見てると、もしかしてコイツは書きたいこともないのにライターになってしまった男なのかなあ……と思ったりもするわけだ。
書きたい欲がそもそも薄い人物に仕事が来ないのは、むしろ当然なのかもしれん。もしかしたら彼にはライター適正そのものが、無かったのかも。
売れないライターやクリエイターは、ブログに愚痴や不平不満が増えるそうな。売れてる人のブログにはそんなものは無いらしい。
指摘の通りだとは思うが、悩んだりネガティブだったりするのが人間本来の姿のはず、それらが日記やブログの中にまるで出てこないというのは嘘ではないか? 真実ではないのではないか? そんなもん書いてどうする?
それは広告なだけで、コンテンツではない。
いや、仕事欲しくて書いてるのだから、このブログは広告だ。
とはいえなあ、ネガティブなものの全くない、嘘くさいブログにはしたくねえんだよなあ。誰も読んでないノーギャラ原稿であればこそ、自分の本当の気持ちを書き残しておきたくなったりもするし。
作家(小説家)はライターよりも格上なのか?(2)
芥川賞作家よりも本が売れ、芥川賞作家よりも年収の高いライターはナンボでもいると私は書いた。小説家よりも読者に支持され、小説家よりも稼ぎもいいのだから、実は既に作家よりも格上のライターは多いと私は思う。
ダメ作家よりも多くの読者に支持され、ダメ作家よりも読者を深く感動させ、ダメ作家よりも読者の人生を変えているライターは大量に存在するのである。
もうひとつはあちゅうの発言で気になったのは、「他人を取材して書くのがライター。自分の中から出てくるものを書くのが作家」という不思議な理論である。確かにライターは自分の主観や意見を、なるべく原稿に反映すべきではないと私は考える。
しかしなあ、現実問題として自分の主観や意見をブチこみすぎるライターは多い。
例えば桝野幸一なんかがそうだ。
音楽原稿にあまりに自分の主張をブチこみすぎるのはどうなのかと本人に質問したら、「原稿に自分を反映させないと書いててつまらない。また自分に原稿をオファーされる意味がない」と即答されて当時は愕然とした。
他人を取材して書くふりをしながら、自分の中から出てくるものを書いているライターは、是非はともかくとして既に沢山いるのである。はあちゅうの「自分の中から出てくるものを書かないのがライター」という定義は、現状とは全く異なっている。
良いか悪いかは別にして、既にライターは自分の中から出てくる主義主張や主観を大量に原稿にブチこんでいるのが現状なのだ。
新聞記者だって例外ではない。
本来は客観的に事実だけを報道する立場でありながら、自分の主観をブチこみすぎるあまり大嘘を報道してしまうのは普通だ。フェイクニュースとして社会問題にすらなっている。
はあちゅうの現状認識はそもそもおかしく、ライターや記者が自分の中から出てくるものを原稿にブチこみすぎてしまっているのが現状だ。むしろそれが問題視されるほどなのだ。
はあちゅうの原稿は読んだことがないが、彼女はよっぽど自分を出さないで原稿を書いているのだろうか? 自己主張が激しそうなので、そんなタイプにも見えないが……。あるいはウザいくらいに自分をブチこんでいるくせに、それでもまだ飽き足らない貪欲な性格なのだろうか?
はあちゅうはもうひとつ勘違いをしている。
自分の主張や意見や主観を原稿に書かなくても、それでも自分を原稿に投入することは可能なのだ。
吉田豪を例にあげよう。
彼はインタビュー原稿では自分の主張は可能な限り書かないが、それでも質問することで取材対象を誘導するし、また取材相手を厳選することにより、強烈な自己主張をしているのである。
吉田豪の本を読めば、「コクのある生き方をする男はカッコいい」「アイドルは苦悩する生物で人間らしい」といった主張が強烈に読者に伝わってくるのだ。そんなことは文章のどこにも、はっきりと書いてないにもかかわらず。
はあちゅうが自分の原稿に自分が反映されていないと感じて不満というならば、そもそも作家としてはあちゅうがダメなのではなく、そもそもライターとしてはあちゅうがダメなのではないかと問いたくなるわけだ。
自分のメッセージを直接的に原稿にブチこまなくても、強烈に自己主張するライターは沢山いるのである。はあちゅうがそれではないことを、まず恥じるべきではないか。
はあちゅうはライターという仕事について、勘違いをしているのである。
そしてまた彼女は小説家という仕事についても、ライターにありがちな勘違いをしていると感じた。
(次回に続きます)
山田朱莉が夢みるアドレセンスを卒業(1)
山田朱莉がアイドルグループの夢みるアドレセンスを卒業した。SNSの裏アカをつくり、彼氏とイチャついたり、ファンを侮辱したと解釈できる投稿をしていたからだ。お相手はサグワとかいう、ユーチューバー。
私が卒業の経緯を妄想してみた。
山田の卒業コメントの文章に漂う、妙にサバサバした雰囲気。脱退なんだが卒業ということにしておきたい……という事務所のあいまいな態度。
その2点を根拠に忖度(出た!流行語大賞!)しよう。
事務所としては山田を夢アドに復帰させたかった。そのためには処罰と謝罪をさせた上で、サグワと別れるのが最低条件。事務所はそれを山田に提示した。
山田は処罰と謝罪はのんだものの、サグワとの別れは拒否。男との交際は続けるから夢アドは辞めるが、芸能活動は続けるつもり。アイドルではなく、モデルとしてなら男がいてもセーフなはず。だって同じ事務所のモデルはそうしてるし……。
なんて彼女は考えているのではないだろうか。
夢アドよりも男をとって、しかし芸能活動は続けたいという山田朱莉のナメた態度に、事務所は苦りつつもクビにすべきか、あるいは稼ぎ頭になってもらうべく育ててゆくか、関係者と調整しながら悩んでいる……。
……てな感じではないかと私は妄想した。
アイドルは仕事と男の二択を迫られた場合、あっさりと芸能活動を捨ててしまいがちだ。山口百恵もそうだし、スピードの島袋寛子もそうだった。例外的に峯岸みなみは、男よりも仕事をとった。自分の頭を坊主刈りにしてまで。
山田朱莉がアイドルよりも男をとったとしても、不思議なことではない。
そもそも夢アドへのモチベーションも下がってたから、裏アカを始めたのかもしれないしなあ。心のどこかで「バレたら辞めてもいいや」な気分だったのかも。
地下アイドルを5年も続ければ、自分の天井が見えてしまう。仕事で努力してきたが、限界を悟った女性が男に走るのは、わりとよくあることでもあるし。アイドルだけではなく、一般女性もそうだろう。
で、気になったのは山田の彼氏であるサグワのほう。
サグワの動画を見たが、何もない19歳の男に見えた。
あまり上等な男ではない。
アイドルとつきあってるのだから、裏アカ始めた彼女をいさめる立場のはず。恋人が夢を追ってるのだから、応援するのが彼氏の役目だ。
なのにいかにもバレそうで、またバレたら炎上しそうな裏アカを一緒になって騒ぐというのはダメだろ。
山田朱莉がアイドルを続けても、悪い虫が寄ってくるだけ。サグワよりも年収がはるかに高いイケメン男が、大勢いるのが芸能界である。だったら裏アカやらせてバレて炎上しても、サグワが彼女を独占できるからそれでOK。しかも自分の宣伝にもなるから、二重に美味しい。
そんな空気を読んでしまうのは、私だけだろうか?
女のコの夢を応援したところで、夢がかなえばかなうほど自分から離れていくのはよくあること。アイドルとして売れれば売れるほど、サグワよりも良質な男と出会うことになってしまう。
だったらとっとと、自分のモノにしてしまったほうがいい。
アイドルとして売れるのは幸せなことだ。だが、アイドルを辞めて恋に生きるのも、幸せなことでもある。だったらオレが幸せにしてやろう……なんて、19歳の若い男が考えても悪いことじゃないやな。
別に間違ってはいないし。
(この項、続きます)
2017年の流行語大賞は忖度なのか?
忖度と書いて「そんたく」と読む。
ヤフー辞書によると「他人の心をおしはかること」という意味である。ちなみに検索ランキングは1位であった。2位はインフルエンサー(乃木坂46のCDタイトルからきてるのだろうが……)。2017年4月の日本語状況は、そんな感じみたいである。
忖度がここまで注目されるまで、私の中での流行語大賞は「強要」であった。一般女性へのAV出演の強要だとか、アイドルへの枕営業の強要だとか、そんな記事をネットでよく見たからである。
トドメを刺すかのごとく、安倍総理の妻である安倍明恵が森友学園の名誉校長への就任を断れなかったと言い出して、総理夫人ですら迷惑なものを強要されて断れないのかと愕然としたわけである。
一億、総・強要化社会。
日本女性は常に男性から何かを強要され、しかも彼女たちは断れない。
日本の社会体制に問題があるのか、あるいは強要してしまう男性が悪いのか、断われない女性の意志の弱さに責任があるのか、原因を1つにしぼりきれない。
もしかしたら、それらが複合した結果なのかもしれない。
根本的な解決は、もう無理なのだろう。
……で、忖度と強要はワンセットで、現在の日本の状況を反映しているのではないかと感じるのだ。
女性に何かを強要する男性たちがいて、彼らは女性に「空気は読めるよね?」と迫る。断わりきれない女性は、それに対して「ウチらの気持ちを忖度して!」と悲鳴を上げてるような気がしてしまうのだ。
かなり昔の流行語に「KY」というのがあった。
空気(KUUKI)が読め(YOME)ない人物を、省略してKYと呼んでたわけだが、その頃から日本人には空気を読ませて何かを強要しようとする、悪い癖があったわけである。そしてそれが何年たっても、治りそうもない。
KYから忖度に言葉が変わっただけなのである。
ひょっとしたら10年後にまた、何かに別の言葉に変わって、KY忖度な問題が日本をにぎわすのだろう。
ダメだこりゃ。
あ、こーりゃ、こりゃ。
作家(小説家)はライターよりも格上なのか?(1)
はあちゅうという女性が「私はライターではなく作家」と発言。炎上した。一般的には作家といえば小説家のことで、ライターではない。ライターのはあちゅうが、作家を名乗るのは肩書詐称だ。日本語の用い方として、間違っている。
はあちゅうは経歴詐称して炎上したわけだが、同時に小説を書いてもいないのに「ライターではなく作家」と主張したことによって、小説家のほうがライターよりも格上の存在であるとみなしている様子もうかがえ、さらに炎上に拍車をかけた。
ま、小説家の方が作家よりも格上ってゆう無言の空気はあるにはあるわな。
とはいえ、実際に作家(小説家)のほうがライターよりは格上かというと、そうとも言えない。売れない芥川賞作家の場合、単行本の初版部数は3千部で増刷なしということは普通にある。
3千冊以下しか自分の小説を売れない人物でも、一応は作家なのだ。それも芥川賞作家なのである。
はあちゅうという女性ライターが実売どれくらいのライターなのか、私は知らない。知らないが彼女はネットで有名なので、売れてそうなライターとボンヤリと考えている。はあちゅうの単行本は3千部以上は売れてそうだ。
てことは、売れない芥川賞作家よりも、はあちゅうのほうが既に格上なのでは?
作家であろうが、ライターだろうが、売れてるか否かが一番だいじ。数字を持ってるほうが勝者だ。そう考えてくと、既にはあちゅうの方が勝ってるのだから、格上なのだと私は考えてしまう。
他の売れてそうなライターで、荻上チキや吉田豪なんてのがいたりする。実売がどれくらいは知らないが、ボンヤリと初版7千部からスタートして、3万部以下くらいが実売ではないかと勝手に妄想してしまうわけだ。
むろん、単行本によっては5万部前後に達するものもありそうな気がするが、平均スコアとしては1万部以上の3万部以下くらいではないかなあ。
3千部どまりの芥川賞作家と比較して10倍の単行本売上があるとしたら、そりゃ作家よりも格上のライターって沢山いそうだ。実売部数や読者の数を比較したら、作家よりも格上のライターはナンボでもいる。
年収を比較するとどうか?
作家にせよライターにせよ、年収500万円を超えるのはなかなか難しい。もちろん年収500万を超えてる書き手は大勢いるが、年収1千万を突破している作家やライターはほとんどいない。
でも朝日新聞の新聞記者(正社員)などは、普通に年収1千万は40歳くらいで普通に超えてそうである。てことは年収で比較した場合は、作家やライターよりも新聞記者のほうが2倍近くは格上ではないかと私は考えてしまうわけだ。
単行本の売れ行きや年収で、職業の格を決めてしまうのは単純すぎる。
だけど私がここで強調したいのは、しょっぱい作家よりは、よっぽど良質な単行本を出しているライターは沢山いるし、多くの読者に支持されてるライターも山ほどいるということなのだ。
格というものは、肩書で決めるものではない。
実績で決めるものだ。
そんな風に私は考えてしまう。売れない作家よりは、売れてるライターの方がえらい。そして売れてないライターよりも、売れてる作家の方がえらい。
つい私はそう考えてしまう。
(次回に続く)
メモ
「初見で自分の事に全く興味が無く、少しでも気にくわなければ作品ごとページを飛ばしてしまう読者」に向けて描いていかなくてはなりません。投稿作でも確かに心配だとは思いますが、「編集者に全部読んでもらえているのか?」と心配するのでは無く 続
— 少年ジャンプ漫画賞 (@jump_mangasho) 2017年2月14日
初見で移り気な読者が1ページ目を見ただけで興味を持たせるにはどうすればいいか?、さらに次のページをめくりたくなる工夫は無いか?という事を常に考えていて欲しいです。
— 少年ジャンプ漫画賞 (@jump_mangasho) 2017年2月14日
話を考え付いたからといって何となく描き始めるのではなく、「企み」を持って描けば作品は必ず良くなるはずです。<中路>
昔エッセイで読んだ事があるのですが小説家の伊坂幸太郎さんは「ハッピーエンドはバリエーションが少ない。なのでバットエンドをいかに”読後感良く”書くかを研究している」という旨を仰ってました。
— 少年ジャンプ漫画賞 (@jump_mangasho) 2017年2月15日
エンディングの書き方に限らず、創作というものは色々深いです。各々答えを探して戴ければ。 https://t.co/PHrgAaeApA
具体例を書きますと「ヒロインが病気で最期に死んじゃう」がバットエンド。
— 少年ジャンプ漫画賞 (@jump_mangasho) 2017年2月15日
「ヒロインの病気が治る」がハッピーエンド。
「ヒロインは死ぬが、絶縁していた兄弟と病気になったお陰で最期に和解できた」等は”読後感が良い”バットエンドです。
私は作家ではないので、例が陳腐過ぎますが。<小池>
全く遅くないですし何度でも持ち込んでください。やりたいと思った事に遅い早いを気にする必要はありません。また、これに限らず新人さんは周りと比べて自分の立ち位置がどうかとか気にしないでください。周りではなくまず目の前の担当、そしてその先にいる読者があなたの相手です。 https://t.co/5MoGwAnuy7
— 少年ジャンプ漫画賞 (@jump_mangasho) 2017年2月20日
読者に「何かを思わせられるセリフ」が書ければ、それは良いセリフです。
— 少年ジャンプ漫画賞 (@jump_mangasho) 2017年2月21日
また、自分で考えるカッコいいセリフ・熱いセリフ・気障なセリフ等は、やり過ぎかな?くさ過ぎるかな?と思うぐらいが丁度いいです。<中路> https://t.co/6cm7aRpuJe
以前あった似た質問に対しての回答です→アイデアとは自分の中にある記憶が再構成されて出てくるものです。何を描いても何かに似ている事から逃れることはできません。何かに似ていることに悩むより、似ている何かよりもっと面白くできないか?と考えた方が前向きな解決策です。<中路> https://t.co/yFkGcEEjwu
— 少年ジャンプ漫画賞 (@jump_mangasho) 2017年3月2日
面白さが伝わると思えば描き込んでください。
— 少年ジャンプ漫画賞 (@jump_mangasho) 2017年3月7日
キャラのやりとりや感情の描写が中心であれば表情・仕草・動作等、キャラの演技に関わる事が読み手に伝わるようしっかり描きましょう。
場所が例えば特徴の無い学校や町の中などであれば、そこまでがんばって描き込む必要はないと思います。〈中路〉
ちなみに第一弾の冨樫先生×岸本先生(昨年のジャンプGIGA掲載)も、ハンターとナルトの逸話が飛び交う大白熱の対談でした。キャラ作り、画面構成、連載中の構成術など踏み込んだ質問大歓迎です! https://t.co/3ijnrIZQlO
— 『暗殺教室』公式 (@ansatsu_k) 2017年3月10日
あと追加ですが、ジャンプを読んでいただければわかると思いますが各漫画のコマ割りは結構シンプルです。シンプルなコマ割りで読者が読みやすいリズムを作り、場面に応じて1P1コマや見開き、縦長のぶちぬきコマなど基本のリズムとは違うコマ割りを入れて読者の印象に残るよう工夫をしています。
— 少年ジャンプ漫画賞 (@jump_mangasho) 2017年3月13日
なので基本はなんの変哲もないシンプルなコマ割りでいいんです。奇抜なコマ割りができたからと言って読みにくかったら何にもなりません(※作家性にまで昇華できれば別ですが)。まとめると「コマ割りは基本読者に読みやすく、見せたい場面で工夫をする」です。〈中路〉
— 少年ジャンプ漫画賞 (@jump_mangasho) 2017年3月13日
許斐先生と藤巻先生の対談企画に同席してきました。創作志望者に物凄く実践的かつやる気を与える、かなり熱い対談になりました。面白い記事になると思います。詳細は続報にて! https://t.co/KOSmyCKBpN
— 少年ジャンプ漫画賞 (@jump_mangasho) 2017年3月16日
ストーリーの作り方を学ぶのは別に大学に行かなくともできます。また、創作技術は学んでから描くのでは無く、描いてみてから自分に足りないと思ったものを学んでいけば良いと思います。〈中路〉 https://t.co/K0laCL5o0G
— 少年ジャンプ漫画賞 (@jump_mangasho) 2017年3月23日
評価は現在の実力+将来性です。
— 少年ジャンプ漫画賞 (@jump_mangasho) 2017年3月30日
実力は今一歩でも将来性を加味した上で受賞する事はよくあります。将来性も単純にイコール年齢ではありません。
ちなみに20代後半ならプロレベルの実力を要求、ということもありません。当然10代よりは実力を見せつけて欲しいですが。 https://t.co/91BBVJnwvU
例えば今実力が同じ新人が2人いたとします。
— 少年ジャンプ漫画賞 (@jump_mangasho) 2017年3月30日
Aさんは「すぐに伸ばせる長所持ち」、Bさんは「時間をかけないと伸びない長所持ち」だとしたら、Aさんの方が将来性が高いと言えます。
ただBさんも時間がまだまだある若い人なら十分に将来性があると言えます。
年齢が関係するとしたらそこです。
練り込むのは良い事です。
— 少年ジャンプ漫画賞 (@jump_mangasho) 2017年4月1日
ただ良くないとすれば「永久に納得出来ないので作品がいつまでたっても完成しない」場合です。
そういう悪い意味での完璧主義を自覚している人は「多少心残りがあっても、とにかく完成させる」方針でやった方が結果的に成長します。 https://t.co/Qwa32DirFo
町山智浩が大変なことに
町山智浩が大変なことになっている。
彼の読者は元々から民度が高い人々なので、うかつに敵にまわしてしまうと大変だ。町山の知識不足による間違いや、論理の破綻をビシビシ指摘しはじめ、町山のボロが大量に噴出。
しかも愛人の存在までバラされてしまい、大変なことに。カメラマンつれて取材したと妻に嘘をつき、不倫旅行してたことまでバレている。自分のブログに掲載した取材写真が、拾ってきたことまで。
なんだか、大変ですね!
民度の高い読者を求めてやまないのが、書き手のはず。しかし民度が高すぎるあまり、自分を攻撃しはじめるとツラいやなあ。
元々、空気を読まなかったり、バランス感覚が欠如しているのがウリの書き手だった。80年代や90年代は、それが「やんちゃ」として愛されもした。奇人変人が編集するからこそ、面白い雑誌や単行本がつくれたのである。
だが90年代の後半あたりから、出版業界内の奇人変人が嫌われ始めた。週刊プロレスのターザン山本や、週刊SPA!のツルシカズヒコが更迭されたのである。ターザン山本の部下たちも少しずつ冷遇された。
奇人変人が雑誌や書籍をつくる時代ではなくなってきたのである。
彼らの奇行や「やんちゃ」を、出版業界人が嫌うようになったのだ。出版不況という、衰退期らしい状況なのかもしれない。それをさみしいと思う反面、そりゃそうだわなと納得したりもする。
ターザン山本やツルシカズヒコが凋落するのはしかたがない。時代の追い風があってこその人たちでもあったのだから。だが町山智浩の場合は、追い風がなくても売れる本や良質な本をつくるタイプだった。
しかし「やんちゃ」を嫌う空気感が、ついに町山に追いついてしまった。出版業界がそんな空気なうえに、読者たちまで「やんちゃ」を嫌うようになってしまったのである。
やんちゃな奇人変人が雑誌をつくるから、面白いものができるはずだ。
彼らはトラブルばかり起こしているが、そのトラブルは日常から非日常に読者を運んでくれる楽しい経験だったはずだ。
でも読者たちがそれを不愉快なものと認識しはじめたのである。
彼も「やんちゃ」がウリで、読者はそれを愛でてきた。しかしネット世論を見る限りでは、町山智浩と同様に「やんちゃ」な態度が嫌われ始めている。芸人だから許されるとか、笑いのネタにしてるだけとか、その種の言い訳が通用しなくなってきているのだ。
しかも彼らの「やんちゃ」を愛してきた、民度の高い読者たちが牙をむきはじめているのだ。元々の民度が高いから、批判しはじめたら鋭い指摘しかしない。
そんな連中と戦って勝つって、無理だべよ。
論争を100回やったら、100回は負けてしまう。
だって町山読者や水道橋読者なのだから。
彼らは民度が高い優秀な人々なのだから。
「やんちゃ」を許容できなくなった、余裕のない今の日本は苦々しい。しかし時代と読者が変化してしまったのだから、町山智浩と水道橋博士も変化すべき時期が来てしまったのではないか。町山と水道橋を置きざりにして、彼らの読者のほうが先に大人になってしまった。
おそらく30年遅れくらいで、町山智浩と水道橋博士は、大人になるべき時をむかえてたのだ。本人たちも気づいてはいるが、今のところうまく対応できていない。
しめくくりにツイートを引用するが、こんなことを言われてるようではマズいよな。
>>テレビに普段出ない評論家に出ていただく以上は当然の配慮だったとは思うけど。
この部分、テレビ慣れしておらず、ド素人まるだしの町山智浩を強烈に皮肉っているのである。普段はテレビに呼ばれない売れてない男が、スタジオの空気も読まないで何を調子こいてんだと釘を刺しているわけだ。
動画を見たが橋下徹がかなり気を使っているように見えた。橋下徹と水道橋博士が衝突した際も、先に歩み寄ろうとする態度をとったのも、橋下のほうだったし。橋下のほうが大人だよね。
町山水道橋のおとなげない態度に落胆しているのは、何よりも彼らの優秀な読者たちだと察するのだが……。
だいぶ皆彼の話を聞いたり編集で最大限残したと思うよ。橋下羽鳥の番組のなかでは多分ひろゆきさんやホリエモンぐらいに気を使ってもらったはず。テレビに普段出ない評論家に出ていただく以上は当然の配慮だったとは思うけど。
— 三浦瑠麗 Lully MIURA (@lullymiura) 2017年3月2日