近所のブックオフがつぶれた
近所のブックオフがつぶれた。
私にとってはあまりに衝撃的な出来事なので、ついブログのネタにしてしまう。ブックオフという古本屋の認識は、「貧困ビジネス」というものだ。新刊を買えない、あるいは買いたくない、という人々が使うものと考えていた。
いや、むしろ「節約ビジネス」という言葉の方が、実態に近いのかもしれない。マンガや小説を買う気はあるが、節約したいのが本音。それに応える商売という意味だ。節約ビジネスとは、私がたったいま思いついた単語なわけだけど。
ブックオフのライバルは他の古本屋ではなく、激安セールをしてる時の電子書籍だと私は認識していた。その2つの業種が、値下げ競争をしていたのである。某大手印刷会社系列の電子書籍会社の人物からも、そう聞いた。
で、ダンピング競争したあげくに、ブックオフが電子書籍に負けた……というわけでも、なさそうである。電子書籍の売り上げが、ぐんぐん伸びているという噂はきかないし。
古本も買わなくなったし、電子書籍も買わなくなった……という状況ではなかろうか。出版不況もいよいよ深刻というか、もはや最終局面だわな。
シティハンターを集めていたので、これ幸いと1冊108円で大量購入したらイメージしてた金額よりもはるかに安かった。不審に思いレシートを見ると、70%オフ。108円からの7割引きって……。作者の北条司は泣くなあ。
爆安の古本はずっしり重く、レジ袋が手に食いこんだ。自宅への道を歩きながら、そういやツタヤもぴーぷるもつぶれてしまったと記憶が蘇る。どちらもレンタルビデオ屋だ。
もしかしたら古本・電子書籍・レンタルビデオには金を使わない住人ばかりが、東京都中野区には住んでいるのだろうか? 彼らは何をしているのか? 私みたいにネットでタダ動画ばかり眺めているのだろうか?
世の中の動きを把握しようと、つたない想像力であれこれ考えるのが私のクセだ。
ふと駅前にある書店に目をとめた。
古本屋はつぶれたが、新刊を売る書店はまだ生き残っている。書棚を減らし、文房具売り場ばかりが増えている店舗だ。文房具のほうが、本よりも売れるのである。そのうち書棚をさらに減らし、雑貨でも売り始めるのかもしれないが。
いずれにせよ、古本屋がつぶれ、新刊を売る書店は生存している。
古本を買う人は減ったが、新刊を買う人は残っているのだ。
まだ希望はあるようにも感じた。
ブログもいいけど、企画書も書かないとな……。
仕事のない中年ライターが、そんなことを考えてしまう午後だった。ま、企画書の前に酒飲んで昼寝するけど。
ダメだこりゃ。
こーりゃ、こりゃ。
* 追伸 *
桝野幸一について言及したものの、全くアクセスに反映されない。むしろ減った。彼について興味関心がある人の少なさに愕然としてしまう。そんなもんか……。まあ、どうでもいい男とはいえ、がんばっていただきたい。
桝野幸一が感じ悪すぎる件(4)
短歌の賞だったかな? 新人文学賞だったかな? 桝野幸一は受賞できなかった。逆ギレした彼はそれをネタに炎上させて名前を売り、歌人として数年は活躍。NHKにも出演してたよな。確か「かんたん短歌」みたいな番組名だった。サウナでチラ見したことはあるような?
しかし歌人としてリピーター読者は獲得できず、失速。
今にいたる。
当時の私は桝野幸一のやってることに冷やかだった。
評価基準に納得できない新人賞なら応募すべきじゃないし、落選したら再投稿すればいい。桝野幸一以外の人間は、そうしている。村上春樹だって、ノーベル文学賞の批判はしない。芥川賞は批判してたけども(笑)。
とはいえ受賞できなかったことに逆ギレし、炎上させての知名度アップのやり方を頭がいいと感じたのも事実だったのだ。そうゆうやり方もあるんだなと感心したのだ。頭がいいとも思った。
でも、今ははっきり間違っていると確信している。
賞にもよるからなんともだが、「**賞」というものを出版社がやる場合、「この作家なら金儲けできる」「この作家で儲けたい」「この作家を売り出したい」という意識のもとに受賞させるのである。
本を出して売れなかったとしても、「もう一冊、チャンスを与えてみよう」「3冊は出してみよう」だなんて、推してくれるありがたい人々なのである。
ところがそれにケチをつけて逆ギレ炎上させたりしたら、その賞を主催する出版社の人たちはカチンときてしまう。作家を売ってやろう、金儲けさせてやろうと思って賞を主催し、必要経費だってかかっているのである。手間もかかる。仕事も増える。残業や休日出勤だってしたかもしれない。
そこまでやってる仕事にケチをつけられたら、普通は怒るだろ。
「あの作家、ウチは出入り禁止」
「あんな作家の本なんか出さねえ」
なんて思ってしまうのは人間として当然だ。ま、出版社の人たちが怒るだけなら、それでいい。クライアントが1社、減るだけでもあるから。元々、ご縁がない出版社だったかもしれないし。
だけど賞には選考委員がいるのである。
選考委員になる作家は各出版社に顔がきく、ベテランばかりだ。自分が受賞させた新人には親近感をいだく。書評を書いてくれたり、対談相手に指名してくれたり、本の帯には一文を寄せてくれるのである。
積極的に自分を売ってくれるわけだ。
そんな人たちの判断基準にまで桝野幸一はケチをつけてるわけで、ベテラン作家にまで喧嘩を売ってしまうのはいかがなものかと。
炎上させたら食いついてくる出版社はある。だけど新人賞を主催してる出版社と違い、「この作家を金のなる木に育てよう」なんて気は薄いのである。売れなかった場合に「もう1冊ねばってみよう」なんて考えない。「もっと派手な炎上ないすか?」なんてことになる。
逆ギレ炎上商法を確立した桝野幸一は頭がいい。
でもそれは小賢しい頭の良さだ。
本当に頭の良いならば、応募する新人賞を間違えないし、結婚する女を間違えない。新人賞と女に捨てられても、自分が悪いと納得させて別の賞や女を追うのである。
尊敬できる(売れている)人物に対して、良好な関係をつくろうとするのがマスノだった。だけど賞を主催する出版社や選考委員や妻とは、仲良くしようとは思わなかった。
ご縁が無いのだから炎上させてチャンスに変え、リサイクルしようと考えたのである。そんなことしてると、敵はどんどん増えるというのに。
逆ギレ炎上で食いついた、味方らしき人は炎上が終わると去ってしまう。でも炎上にムカついた敵は永遠に残るのである。味方がいなくなって敵だけ残るなんてバカげている。生産性はない。
小賢しいくらいなら、馬鹿なほうが敵をつくらないぶんマシではないか。
桝野幸一が感じ悪すぎる件(2)
どうも南Q太との離婚の原因のひとつは、彼女のマンガについてネチネチと言及しすぎてしまったことだそう。風の噂でききました。
「元妻の絵柄が荒れている。ボクといた頃はこうではなかった。心配……」
だそうだから、ベタを塗ったり、スクリーントーンを貼ったりしてあげてたのだろう。枠線ひいといて! とケント紙と定規を投げつけられたりしたのかもしれない。家事や育児もがんばったんだろうなあ……。
ま、営業熱心な桝野のこと、オムツを換える短歌のひとつくらい詠んで、仕事につなげようとしたのかもしれない。その仕事は穂村さんに盗られたのかもしれないが。
妻を盗られ、仕事を盗られ、桝野さんは本当に大変ですね!
おっと、これは悪口ではありませんよ、心配してあげてるだけ。
あくまで桝野さんを心配してあげている、優しい善人が私なんです。なんて幸一くんの態度をパクってしまいました♪
脱線したが、旦那としてちゃんとやってもいたのではないかと察するのだ。
彼の離婚本を読んだ時に、子供をダシに元嫁に嫌がらせする離婚男によくある態度は見受けられたが、子供への確かな愛情へも感じられた。
元嫁への悪口を書かないのも、言質をとられたくない打算と、できればヨリを戻したい未練が入り混じった複雑な心理とお見受けした。
で、本題に入ってゆくと、桝野幸一が南Q太に対して意見してしまう失策をなんで犯してしまったかということなのだ。
本題にしたいのは、ココなのである。
彼が音楽ライターやってた頃からひっかかっていたのだが、90年代の頃から既に近田治夫の「考えるヒット」などに顕著なように、音楽理論の知識が必須になりはじめていた。
コード進行がどうの、この曲の元ネタは洋楽のアノ曲、なんて文章が増えてきたのである。アレンジや作曲の実務にかかわるようなことが言及されはじめたのだ。そして桝野幸一は音楽理論がわかってるようには見えなかった。
もちろん音楽理論についてまるで言及しない音楽ライターは沢山いる。
しかし音楽理論に無知なままで生き残る方法を小賢しく考えるよりも、愚直に音楽理論を学ぼうとする態度のほうが必要ではないかと当時の私は思った。自分が音楽ライターを志すなら、そうするなと。
しかし桝野幸一はそんな愚直な勉強をするタイプでもないのである。
で、困ったことに桝野幸一はマンガの実務的な部分、マンガ理論というのだろうか? そこを学びもしないくせに、実績ある南Q太に意見し始めたのではないかという気がするのだ。
具体的に言及してくと、例えばネームが彼に理解できるとは思えない。コマのリズムと、ここぞとばかりに使う大ゴマ。そういった技術的な部分を桝野が理解してるように思えないのだ。
マンガにとって極めて重要なことだが、それをわかる人間はなかなか少ない。「ネームがわかんない奴に、偉そうなクチきかれたくない」なんて、マンガ家さんは思ってしまうものではないかと察するのだ。
そりゃ桝野幸一は小賢しく頭は回る。
だからマンガ評論や、マンガ書評はこなれたモノは書くだろう。読者も業界人も騙されてしまう。ましてや彼は美文家だから。
でもそれは読書感想文に類するもので、マンガ実務に関わる具体的な何かではないのだ。彼はマンガ編集者としてのスキルも見識もゼロなくせして、いっぱしに意見するのはマズい。
桝野幸一が書けるのは、読書感想文でしかなく、マンガ実務のプロとしては一言もナメたクチきいてはいけない種類の人種なのだから。だってネーム、わかんないでしょ? コマ割りのリズム、わかんないでしょ?
ああだこうだと、もっともらしい反論を桝野はするだろうが、それが「小賢しい」というのである。
桝野幸一と南Q太が出会ったころ、彼女にとっては「アタシの漫画仕事(すなわち彼女自身)をよく理解し、興味を持ってくれる素敵な男性」に見えてしまったのだろう。実際にそうだったわけだし。
だけどそれってやっぱり、マンガ実務とは何の関係もないことなのだ。
音楽理論を愚直に勉強しないのに、音楽について小賢しく意見してしまう。ネームとコマ割りのリズムを愚直に勉強しないのに、マンガ家に小賢しく意見してしまう。映画シナリオ理論の勉強もしないのに、小賢しくうっかり小説を書いてしまう。
こんな小賢しい態度が桝野幸一に共通するものなのである。
それは一貫している。
そして彼には逃げ道がある。
ボンヤリと文章の上手な美文家なのである。
美文家だから、なんとなく音楽やマンガや小説をソツなくまとめてしまう。ボンヤリとお上手なことに彼は逃げてしまう。ケチをつけたくても、なんとなくケチのつけどころが見当たらない。
だけど、そうやって逃げ続けて20年。
ついに逃げ道がなくなってしまったよな。
次は何に逃げるのかな? 社会派のノンフィクションライターかい? その次は何に逃げるの? それとも新しい女こさえて、その女と離婚してネタにするの?
まあ、いいや、好きにするがいい。
彼のネタにされる女性がかわいそうだが、逆に桝野幸一との泥沼離婚をネタに出版社に売り込む最悪女子(しかもメンヘラ)だったりするかもしれんし、別にいい。
で、次回、桝野幸一の小説の致命的な限界について言及したい。
愚直に勉強することをサボり、小賢しく逃げる彼の体質が顕著に表れているからである。
細川茂樹が所属事務所を解雇
細川茂樹が所属事務所のサムデイを解雇。細川のパワハラが激しすぎ、辞めるマネージャーが続出したことに事務所社長が激怒してのことだそうな。
ありえないよな。
マネージャーとは芸能人の奴隷。パワハラされて当然。誰もがそう考えてるのが現状だから、退職者が続出したくらいでは普通はクビにはされない。まずは干して反省をうながしてから、それでダメなら解雇って感じだろう。
なのにいきなり解雇って、どんだけ社長が怒ったのやら……。
家電王子としていい人そうに見えた細川シゲキックスが、ブラックだったのは実は衝撃。人は見かけによらないものだ。能年玲奈もパワハラすごすぎて、退職するマネージャーが続出したそうだが、これもまた見かけによらないよな。
能年玲奈はブラック事務所の被害者! と気勢をあげる善良な人たちは多いけど、彼らにとって能年のパワハラに耐えかねたマネージャーは何なのだろうか? 能年ちゃんのために、マネージャーごときは奴隷になれと言うのだろうか? マネージャーに人権はないと?
善良なる人々の偽善的な瞳には、マネージャーなんて見えないのでしょう。
それを人権意識の無さというのではないのかにゃあ……。
どうも細川茂樹が最も売れてたのは仮面ライダー響の頃で、それ以降は役者としてはパッとしなかったので、それに逆ギレしてマネージャーに八つ当たりしてたのだそうだ。
仮面ライダーって新人を売り出すための登竜門的な番組で、そこからどう自分の役者キャリアを積んでくかが重要なはず。でもライダーが芸歴のMAXだったって、認めたくなかったんだろうなあ。
みんなマネージャーを志すくらいだから根性は座っているだろう。パワハラくらいされて当然で、そこから這い上がる闘争心はもっていたはず。
そんな人たちが退職しまくるって、やっぱり細川シゲキックス。ブラック芸能人だったのなあ。
やばいね。
「ぜんぶ言っちゃうよ」・清水富美加
幸福の科学に出家し、元所属事務所のレプロに喧嘩を売り話題の清水富美加。近所のセブンイレブンに弁当買いに行ったら、彼女の暴露本が置いてあったので立ち読み。タイトルは「ぜんぶ言っちゃうよ」だ。
AVデビュー作のタイトルは、「全部イッちゃうよ」に確定ですね!
興味深いので思わず読み込んでしまったが、清水の給料5万円と話題だがそれは最初の数年間のこと。その後は年収1千万を超えている。レプロの最終年度、2016年(?)には1500万円は稼いでいると報道されていた。
書籍ではレプロのマネージャーが、清水は年間1億円は稼いだとのセリフが紹介されている。1億も稼いでいたのに、1千万円しかもらえないのはブラックすぎる……と言いたげだ。
でも、給料ってそんなもんじゃねえのかなあ。
サラリーマンの場合、年収の三倍の利益を会社にもたらしてトントンと言われる。会社規模がデカくなるほど、個人が会社にもたらす利益は増える。しかし会社にもたらす利益の常に1/3の給料をもらって当然といった考えだとしたら、そいつはブラック社員だよな。
清水富美加が売れてたのは、本人の実力あればこそだが、所属事務所のレプロの推しもあってこそだ。仮面ライダーの役なんて、かわいいコなら誰でもいいってトコあるじゃん。清水富美加でなくて、同じレプロの菊地あみーごでも良かったりもするわけで。
「逃げるは恥だが役に立つ」というドラマを見ていて思ったが、星野源の同僚役の人たちは誰でもよかったんじゃないかと思う。誰でもいい役者なのに、現状の彼らがブッキングされたのは事務所パワーだろう。
さらに踏み込むとガッキーさえいれば、星野源すら必要ではなかったのではないか? ジャニーズ事務所のイケメンにキモい演技をさせ、「キモかっこいい♪」という打ち出し方だってあったはずなのである。
なのに星野源がブッキングされたのは、視聴率男の福山雅治と星野源が同じ事務所に所属してるからと考えて何も問題はない。事務所の看板背負って仕事をするのが芸能人ではないのか。会社の看板背負って仕事をするのが、我々のような労働者ではないのか。
清水富美加と同クラスの演技ができる女性芸能人は沢山いる。
彼女たちが選ばれず、清水が選ばれたのは事務所パワーだろう。自分の実力のみではなく、事務所の推しあってこそなのである。清水富美加がいないせいで、視聴率が落ちた番組ってあるのかなあ? なさそうな気がするけども。
清水に同情の余地があるのはむろんだが、とはいえ清水は善でレプロは悪と考えるのは単純にすぎやしないか。彼女の発言の全てを信じ込むのは、まずいんでないのかな。
男性アイドルがデリヘル嬢を強姦
男性アイドルがデリヘル嬢を強姦。
ひくよな。
犯人のプロフィールをチェックすると、有名芸能人の息子で有名芸能事務所に所属。いわゆる名門出のプリンスだ。高畑裕太を思い出してしまう。
写真週刊誌に掲載された顔写真をチェックしたら、ルーシー・ブラックマンさんをブチ殺して逃走した市橋に激似だった。市橋は整形してイケメン化し、殺人王子とか呼ばれたけど、強姦芸能人はイケメンだから整形市橋に似てるってこともあるわな。
そういった意味でも名門なのかもなあ。
どうせ反省しないのだし、もみ消してやったところで味をしめるだけ。事務所解雇して芸能界引退させるべきじゃないかな。再犯しかねないわけで。
で、本題に入りたい。
デリ嬢を強姦しても、世間は強姦と思ってくれない。本番強要と解釈されてしまう。本番を強要するのが強姦なんだが、デリ嬢には本番させてしまうコもいるので、なおさら本番強要の何がいかんのか理解されずらい。
でも、風俗全体、デリヘル業界全体を考えると、本番強要は絶対にいかん。
金は欲しいから風俗で稼ぎたい。しかし本番はしたくないから、ソープランドで仕事はしたくない。本番のないヘルス・イメクラ・デリヘルならやってもいいかも……なんて女のコが仕事するのがデリヘルなのだ。
かわいい顔してエッチな身体してるけど、本番はできません。
そんなコたちがデリヘルに集まるから、デリヘル嬢の顔と身体の水準がアップするわけである。ソープよりもかわいいコたちが集まる。
だけどデリヘルで仕事してたら、レイプされてしまうし、警察にも行けずに泣き寝入りするしかありません……なんてことになってしまったら、かわいいコたちがデリヘルで仕事しなくなる。
ブスばかりのデリヘル業界になってしまうのである。
そんな風俗には男性客が集まらないし、稼げないから女のコも集まらない。しだいに女性のグレードは下がり、ブスがブスを呼ぶ。負のブス・スパイラルに突入するわけだ。
……というわけで、デリヘルを愛する男性風俗客、デリで稼ぎたい女性、デリで儲けたい業者、それらの人々のためにもデリ嬢強姦は絶対にやってはいかんことなのだ。本番強要と言い換えて、罪悪感を薄めてる場合じゃないのである。
風俗を愛するなら、やってはいかんのだよ。
本番強要したいだと? だったら私は声を大にして言いたい、本番のできる
ソープに行け!
懐かしの北方謙三先生の人生相談コーナーみたいなことを言ってしまったよ。今回のオチ、こんなもんでいいかな?
桝野幸一が感じ悪すぎる件(3)
文章が上手すぎる……。
桝野幸一の離婚小説を読んで、しみじみと思った。文章は間違いなく上手い。行間に何かがあるタイプなのである。よくまとまっている。
しかし同時に思った。
ヤマなし、オチなし、意味なし、の小説しか書けんのだなと。
起承転結がないんですよ。
起承転結すら桝野幸一はつくれないんですよ。
ストーリーテラーとしてはゼロなんですよ。
物語づくりもできないくせして、南Q太に偉そうに意見してたら、捨てられて当然だろ。
愚直に勉強せず、小賢しく逃げる。
桝野幸一の基本的な人格が作動してしまったわけですね。
彼は小説の勉強(ストーリーづくり)を全く勉強していない。今からでも遅くないから、映画シナリオの勉強すべきなんでないかな。とりあえずシド・フィールドの本あたりから。
彼の離婚小説を読んだが、短編を集めたオムニバス形式だ。長編を書くのは桝野幸一には無理だったから(起承転結がつくれないので)、短編に逃げたのである。で、短編内に起承転結はあるかといえば、ない。そして彼が何に逃げたかというと、「オチらしきものをつける」ということ。
短編ごとに結末はボンヤリとあり、なんとなくまとまってる。読後感は良いのだ。しかし短編の始まりと終わりで、主人公は何も変化しない。当たり前だよな。だって起承転結がつけられないのだから。
短編オムニバスの第一話と最終話でも、主人公は何も変化しない。
なんてゆうか……、物語もつくれないのに小説を出すのもナメた話だが、短編ならばボロが出ないし、文章は上手いから数ページは退屈させないで読ませられるので、なんとなく数ページごとに場面転換して、最後にオチらしきものをつける……なんて方向性に逃げたのは最悪ですよね。
いわゆる小説家ワナビーで「完成させられない人」というのは大勢いる。
彼らは「物語がつくれない自分」から逃げなかったから、完成させられないのですよ。愚直に挫折したわけです。
しかし桝野幸一は小賢しい性格なので、「文章上手けりゃ数ページは退屈させないから、何回か場面転換させてオチつけときゃOK!」なんて逃げ道を発見してしまい、「小説を完成させられないマヌケな自分」と向き合うことから逃げてしまいました。
もうね、小説家ワナビーですらないダメ人間ですよ。
挫折することすら、逃げてしまうのだから。
多くの挫折者はそれから逃げないのに、桝野幸一は逃げる。
最悪なものを見せられてしまったなあ……、この人はずっとこの調子なんだろうなあ……と、しみじみしながら、ブックオフに叩き売りました。
ちなみに小説の勉強したけりゃ、映画シナリオの本を読めという私の主張はマヌケで奇異に思われるかもしれない。
しかし高名な直木賞作家でも映画シナリオの勉強はしているのだよ。名前は出せないがデビュー作の分析をしてて、ミッドポイントに公園のシーンが出てくるのだ。物語上、必要のないシーンなのにね。
必要ないから削るべきなんだが、それでも削らなかったのは、ここがミッドポイントと作者が判断してるのだと私は解釈した。あの作家さん、間違いなく映画シナリオの勉強をしている。
他にも有名作家で映画シナリオと同じ構成にしてる作家は何人もいるので(てゆうか、ほとんど全てだと思う)、物語のつくり方がわかんないとか、完成させられないと悩んでる人は、シド・フィールドの本を読めばいいよ。理論だけはわかるから。
サブカル系のライターさんが、たまに小説らしきものを書く時がある。
小説家ではないがライターだから、完成はさせられる。文章が上手いから退屈もさせられない。だけど退屈しない文章が、数ページごとに切り替わるだけなのである。お上手にオチだけつけられているから、読後感はボンヤリといい。
小説家になりたいけど、完成させられない……なんて、マヌケな連中よりはマシに見える。でも、「完成させられない!」という挫折から逃げてるだけなんですよ。
桝野幸一が感じ悪すぎてイラっとしたけど、彼のことなんてどうでもよくて、本当に言及したかったのはココだ。
マスノみたいに上手に逃げるのではなく、愚直に勉強しようよってこと。
* 追伸 *
桝野幸一は離婚本を3冊も書いたと豪語しており、残り2冊も読んでないくせに批判するなとかいう言い訳に逃げていた。
アホか?
最初の1冊が面白いと感じていれば、残り2冊も私は読んだ。
しかし1冊めで「ダメだこりゃ」と判断したから、買うのを止めたのだ。リピーター読者の獲得に失敗した自分を恥じるべきなのに、「残り2冊の存在も知らない」と逆ギレして威張り始める人間性が最悪である。
小賢しい言い訳はお上手な人物で、そうゆう細かいことだけ打算して鍛えた頭脳で、美文を書いてらっしゃるのでしょう。うらやましいです。