桝野幸一が感じ悪すぎる件(1)

 桝野幸一の感じ悪い態度にイラっとし、「その調子じゃ南Q太に捨てられるよな」としか思えなくなってしまった(笑)。アカの他人の私に対してとる態度と、元嫁の南Q太に対する態度が同じなわけない。態度は変えているだろう。

 しかし桝野幸一の負の人間性が透けて見えた気分になってしまうのはしかたない。

 頭はいいから打算はするが、小賢しい印象を受けてしまうのはなぜだろうか?

 実は桝野幸一とは面識があり、携帯電話で話したこともある関係性だ。といっても大昔の頃の話だけども。

 当時から桝野幸一は特徴的な人間だった。

 尊敬できる人物には尊敬できるように接し、尊敬できない人物には最低限の礼儀すらシカトする性格に見えた。その態度のどこが悪いって?

 悪くはないよな。私だってそうしがちだもの。

 ただなあ、桝野幸一の場合をはたから見てると、尊敬できる人間(売れててメリットのある業界人)は尊敬し(仲良くし)、尊敬できない人間(売れてないからメリットのない人間)とは仲良くしない、という態度がモロに出すぎなのだ。

 90年代の時点から彼はそうで、ボロクソに言ってる人たちは大勢いた。

 彼らのほとんどは売れてないから消えていったが、売れてはいないが業界のすみっこで生き残っている人物もいるわけだ。

 重要なのは売れてはいないが業界のすみっこにいる人間たちを敵に回してしまったがゆえに、桝野幸一本人が気づいてないとこで、本人が大損してんじゃないかということだ。

 だって音楽ライターとしてリストラされてて、歌人としてもリストラされてて、しかたないから南Q太との離婚ネタで食いつなぐ惨状ってヤバくないすか?

 

 「短歌はよく知らんが雑誌記事にすることにした。今さら俵マチでもないだろうし、いい歌人いない? 桝野なんとかってどうなの? よく知らんけど」

 「アイツはよした方がいいすね。鉄板で俵さん。あるいは穂村さんがよろしいかと」

 「穂村ってよく知らんが、お願いしよう」

 

 ……なんてやり取りが、あちこちで行われて世間を狭くしてしまったのではないかと。桝野幸一にナメた態度とられてムカついた人々が、「桝野以外の音楽ライターないし、歌人にしよう」と動いたが故に、こんな惨状ではないかと。

 あげくに南Q太に異常粘着し、離婚ネタで食いつなぎつつ、「あくまで子供に会いたいだけ。元妻のことは恨んでない。むしろ心配してるほど僕は善人でありよい人物」なんてアピールされたら、業界内の女性たちはムカつくでしょう。

 そんなことしてる男に、仕事ふる女性いないんでないかな。

 そりゃ子供に会いたいのは男性心理として当然。共感する男たちは多かろう。しかし元嫁に粘着する様子を見てへきえきする男性も多いだろうし、恐怖に感じる女性たちはもっと多いのではないか。

 子供に会えないかわいそうなボク……を演じたところで、母性本能や子宮がキュンキュンする奇特な女性はどれだけいるのやら? 被害者ぶるその態度、はたしてフォローになってるの?

 元嫁をネタに離婚本を3冊だしても、ストーカー行為にはあたらない。

 言質をとられるようなヘマをするほど桝野幸一はマヌケではないから、具体的にどこが被害者ぶってるとか、善人ぶってるとかも、指摘できない。

 「妻の絵柄が荒れている。ボクといたころはそうではなかった。心配……」

 なんて調子ですからね。

 そりゃ妻の仕事を案じてる善人の態度でしかなく、現在の旦那と妻の悪口も言ってはいない。大事なことなので強調するが、言質をとられるようなヘマをするほど桝野幸一は愚かではない。打算的な性格だから。

 むしろ桝野幸一に反感をもつ連中が、こんな失言をするのを誘いながら待っているわけである。

 

 「南Q太へのストーカー行為。よくないね」

 「具体的に何がストーカー行為なのか指摘できます?」

 「よく読んだらストーカー行為は文中にはないが、元妻を批判してる」

 「ですから、悪口って文中にありました?」

 「悪口……はよく読んだらないな。でも絵柄が荒れていると指摘してる」

 「それは心配してるだけです」

 「屁理屈こねるな!(逆上)」

 「はいはい。アナタの悪口は論破させていただきました」

 

 ……って、こんな試合展開を想定しているのではないか。かつての彼は特殊歌人を名乗っていたが、特殊なのは歌風ではなく人格のほうだろう。元妻に粘着する危険性を感じ取り、逃走経路を慎重に用意しているのである。

 だけどそんな打算ばかりご熱心で、いい音楽原稿を書いてリピーター読者を獲得する、いい短歌をつくってリピーター読者を獲得する……ことを愚直にやらなかったから、離婚ネタで食いつなぐ惨状に陥ってしまったのではないか。

 書店に行ったら短歌ネタの単行本が意外に沢山あったので、名前をチェックしたら穂村さんのものばかりだった。そういや、桝野幸一っていたっけなと、彼の短歌本を探したらゼロ。

 そういや90年代の段階で「歌人枠には穂村さんの椅子しかない」と桝野幸一が言ってたけど、実際にその通りだったんだとしみじみし、久しぶりに桝野のことをツイートしたら、「歌人」で検索しまくる彼のエゴサーチの網にひっかかってしまった、憐れな小魚が私です。

 昔とかわらず、受け継がれる感じの悪さ。

 ケタクソ悪いが、言葉にしてみようと思った。

 この話、続きます。

加納典譲さんのこと(6)

 はてなブログアクセス解析をよく読んでいる。

 桝野幸一がらみのアクセスはゼロで、加納典譲さんからのものが多い。グーグル検索から来てるらしいのだが、「加納典譲」で検索しても私のブログはヒットしない。

 どうゆうことなのかね?

 わかんねえな(笑)。

 典譲さんについては、興味深いブログを見つけた。以下がそれだ。



 その中から興味深い部分を引用する。

 

加納典譲さん(36)は写真家です。父親は過激なヌード写真で
一時代を築いた、加納典明氏です。
子供の頃、東京と名古屋に離れて住み始めた父とは、
親子であるという実感がわかなかった。話す言葉もいつも敬語だった
「加納氏を父とは思っていません」。父に対して加納氏と呼ぶ。
他人行儀きわまりない。

大学を卒業後、進路に悩んでいた時、何故か父と同じ写真の道へ
進んでいった。弟子入りしたのは父のところだった。
「どうせなら日本一と言われた男を抜かしたい」
グラビア写真集「蜜姫」を発表した。「子供をそのまま大きくした
ように、わがままを貫き通した」と父を評す。
自分が本当に撮りたい写真を撮った時に父との本当の
勝負が始まると、奇妙な親子関係ですが。遺伝子は完全に親子
です。反復しあいながらお互いの距離が近づいて行くで
しょう。

 

 私の典譲さんに対する印象もほぼ上記の描写の通りである。

 そしてセクハラ(?)事件についての非常に素直な意見を見つけた。

 

 そんな小明の証言に、番組に出演していたタレントたちも驚愕。「修羅場だね」などと感想をもらしていたが、グラドルの吉木りさ(26)が、セクハラを受けたとしても、その写真の出来ばえはどうだったのか小明に聞くと、「今までの中で1番良かった」とのこと。いくらセクハラをするとはいえ、やはり大御所カメラマンの腕は確かというわけだ。それを確認した吉木は、「それだったら私は触ってもらいます」「キレイな写真を撮ってもらえるんだったら、どうぞって」と、グラドルとしてのプライドを覗かせたのだった。

 一方の小明は、そんな吉木の言葉に、「それじゃハメ撮りと一緒じゃないですか」と反論していたが、グラドルとしてキレイな写真を撮ってもらいたい吉木の気持ちは多くの視聴者が理解できるもの。さすがに度が過ぎれば問題だろうが、大御所カメラマンの芸術性というのは、なかなか普通の人々には理解できないものだ。『テラスハウス』(フジテレビ系)でブレイクした筧美和子(20)も、『しゃべくり007』(日本テレビ系)の中で、写真家の篠山紀信(73)のことを「おばあちゃんみたい」と言い、彼の前では何をさらけ出しても平気だったと不思議な感覚に包まれたことを吐露していた。

2゛す もちろん小明の言い分はもっともなこと。いくらカメラマンだからといって、セクハラをしていいわけではない。とはいえ、そこまでの覚悟がなければ、なかなか売れないのが芸能界という世界ともいえる。だが、小明に、そのグラドルとしての覚悟はなかったかもしれないが、番組終了後に投稿された彼女のブログで、「言いにくいことをハッキリ言うテレビなのに、ハッキリ言ったら言ったでカット」されていたと明かしているように、ぶっちゃけた発言をする覚悟がある。「グラドルなんてやらないほうがいい」と断言する度胸は、ほかのタレントには見られないもの。確かに売れっ子グラドル吉木の覚悟とはまったく種類が違うが、それだけ小明には違った可能性があるということだろう。

 ↑ 引用どおりの見解である。いろいろと盛ってたり嘘も含まれると察するが、上記の通りだ。紳士的に写真を撮ってるだけでは、良いグラビアはつくれない。それもうしじまいい肉のエロ下着を着た、一般女性を撮影したのでは。

 だってグラドルになれなかった一般女性ということは、商品価値がそもそもないということなのだから。商品価値がないものを商品しようとしたので、強引な手法をとらざるをえなかったということなのである。

 

着エロ情報交換所 : 加納典譲氏を全力で擁護w!!

http://chakuero-jyo-ho-koukanjyo.cafeblog.jp/archives/5340950.html

 

 ↑ こんなブログも見つけた。購買者としては素直な感想と感じた。おっしゃる通りである。ただもう、商品価値がない女性に声をかけて、強引な手法で商品にするという手法はナシにすべきじゃないかな。

 女性もカメラマンの両方が、幸せにならないからである。

 プロ意識のあるコなら、嫌だけど我慢する。嫌なことを我慢するのが仕事だから。だけど彼女たちにプロ意識はないので、嫌なことを我慢しない。できない。

 そんなコたちにかかわるべきじゃないと思うのだ。

AV出演をオファーするのは、「優しさ」かもしれない

 AVの出演強要問題。

 あたり前だが強要したらいかんだろ。どうも問題になってる事務所は、芸能界志向の強い女性に対して「まずはAVデビューして芸能界をめざそう」ともちかけているそうなのである。最初から芸能界志向の女性を狙ってんじゃないかな。

 芸能界をめざすくらいだから、それなりにキレイでカワイイ。そんなコのセックスを撮影すれば、エロいAVになる。芸能志望だから歌や演技やダンスも、そこそこできるだろうし。目のつけ所はいい。

 「そうやって女のコを騙している」

 「騙される女がイテぇ」

 なんてつい考えてしまう。

 いずれにせよ、事務所は悪という認識だろう。

 だけどねえ、本当に事務所は悪なのだろうか? いや、悪いのは間違いない。だけど芸能界志望の女のコに、AV出演をもちかけるのは実は「優しさ」なのかもしれない。

 というのもAVに出演できる年齢になった女性は、既に19歳。立派なオバさんである。てゆうか、そろそろ定年で引退しなきゃいかん年齢。

 芸能界には20歳以上の女性は大勢いる!

 なんて勝ち誇った様子で鼻息が荒くなる人たちは多かろう。実際、中年女性とゆうかオバさんだって立派に仕事してる。いま話題の東京タラレバ娘に出演してる、吉高大島榮倉はオバさんじゃないけど20代後半だったか。

 しかしその3人は高校生の頃には、既にレプロていどの有力芸能事務所には所属していたんじゃなかったかな? 高校生の頃には既に売れてたし、売れてなくても有力芸能事務所に入れてもらえる実力があった。

 19歳以上になって売れた女性芸能人って、若い頃から有力事務所にいたけれど、若い頃は売れなかったってだけなんだよね。そもそも若い頃から有力事務所に所属できなかったような、ダメなコたちは1人もいない。

 だけどAVに出ないかと声をかけられる女性って、中学高校の6年間に何の実績もだせず、しかも有力芸能事務所に所属すらできてないわけだ。レプロにすらお声がかからなかったわけで。

 6年間も結果を出せず、6年間も誰からも期待されなかった(有力事務所から売れると期待されなかった)女性が、19歳になったとする。あと6年間がんばるとして、25歳か。25歳までに売れると思う?

 売れるわけないよな。

 あと6年がんばって売れるコは、中学高校の6年間に売れてるはずだ。

 だけど現実として売れてない。

 てことは今までの調子で6年間がんばっても、実はダラダラすごしてるだけでがんばってはいないわけですよ。何か思い切った変革をしないと無理。それが頑張るってことなわけで。

 「きれいでかわいいことで、がんばりたい」

 なんて調子じゃダメなわけ。だってきれいでもかわいくもないから、過去の6年間がダメだったわけで。

 「女優や歌手は無理だったんで、一念発起して女お笑い芸人めざしますか。ネタつくろ!」

 なんて、一念発起して、汚れ仕事でもいいから仕事が欲しい……ってタイプの女性は、最初からバラエティ枠で奮闘してそうな気がするのだ。かわいいことして売れなくて6年、そしてそのままかわいいこと継続して6年。もちろん売れない。

 そんな25歳の女性、東京都中野区には腐るほどいますよ。

 フリーターしてたり、キャバ嬢やってたりしながら、芸能っぽいことしてるコたちなんだけどね。芸能仕事なんてあるわけないから、だらだらとアメーバブログの更新ばかりやってるコのことだけど。自撮りの投稿したりとか。それすらサボりがちだったりするし。

 そんな6年間を全く無駄に過ごす、セルフプロデュース能力ゼロのどんくさい女性に対して、「AVに出ない?」と声をかけてあげるのは優しさだろう。芸能人として登場することのなかった雑誌やテレビに、AVギャルとしては登場できるわけだから。

 元アイドルなのにAVに出てることを嘲笑された紗倉まなが、「後ろのほうで踊ってたアタシの名前をあなたは知らない。でもAVギャルのアタシは知ってるでしょ?」とド正論を吐いて激昂していた。

 いいこと言うな、その通りだよ。

 バイトしながらブログの更新と自撮りの投稿ばかりする6年間よりも、AVに出る6年間のほうが「芸能人っぽい」時間を過ごせるのは間違いない。あくまで「芸能人っぽい」だけで芸能人ではないけれど。

 でも飯島愛蒼井そらみたいになれるかもしれないしなあ。

 そう考えると、「AVに出ないか?」と声をかけるのは、「優しさ」以外にはありえない。だって6年間を無駄にすごすに決まってるし。彼氏とできちゃった婚するのは、まだマシな方なわけで。

 私の知る限り、いい歳になって売れたのは、壇蜜・橋元マナミ・片山萌美・吉田羊の4人くらい。壇蜜と橋元マナミは脱いだし、片山は乳首見せするしないで粘っている状態。そして高校生の頃の橋元マナミは天下のホリプロ所属である。吉田羊は脱いでないけどな。

 中学高校の6年間に何も結果を出せなかった女性が、飯島愛蒼井そらを目指してAVに出てたらイテぇと思わざるをえない。しかし脱ぎもしないで吉田羊を目指してるとしたら、飯島愛蒼井そらを目指すこと以上に寒いだろう。

 どっちも寒いのだから、無名なまんま6年すごすよりも、AVに出て有名になる6年の方が濃密な時間をすごす方がマシなのかもしれない。

 そう考えてくと、AV出演「させてあげる」のは、「優しさ」なのかもしれないという、私の主張はあながちはずれてはいないってこと、わかっていただけるだろうか?

 極端なピンハネだったり、法外な違約金だの、出演強要だのは論外だけどな。

妻に捨てられた某歌人(全てお前が悪いよな!)

 某歌人が妻に捨てられた。

 男として、つらいよな!

 私は結婚したことはないが、女に捨てられ続ける人生だったんで、大いに同情してしまう。しかしその後の歌人の行動がいただけなかった。

 子供に会いたいとアピールしはじめたのである。

 ついにそれのみをネタに本を一冊書き、しかも「生きよう」と必要以上に強調。自殺や殺人をほのめかしてるようにしか私には読めず、ネタだとわかってはいるが顔をしかめた。

 いや、そこは「子供に会いたい」という、誰もが批判しずらいド正論を吐き続けるところではないでしょう。ま、当時はそれでも珍しくは思ったけどもね。

 でも妻に捨てられた男が誰にも批判されずに嫌がらせできるのは、「子供に会いたい」と強調しまくることだと、今なら誰でもわかってしまう。

 バレるのよ。

 きれいごとしか書かず、批判を恐れながら執筆する文章はつまらない。

 むしろ自分を捨てた元妻への「うらみつらみにくしみ」を、赤裸々に描くほうが共感されたのではないだろうか? だって私は共感するし、妻や恋人に捨てられた男の頭の中は、うらみつらみにくしみと、「あの時にああしとけばよかった」「こうしとけばよかった」「実はいい女だったのになあ……」などと後悔でいっぱいになるはずだからだ。

 そういった意味でM野K一さんの離婚単行本は、それなりに面白かったけど退屈な一冊だと感じたし、尊敬できなかったな。

 「つい子供に会いたいと誰からも批判されづらいきれいごとをアピールし、妻に粘着しつつ妻の旦那にも嫌がらせしたくなる」などと、実際にそうは思ってなくても書いてしまえば面白かったのに……と思ってしまうのだ。

 なんて恐ろしい男なんだろう! まさに粘着性充分!

 ……と凍りついたのは、「元妻のマンガの絵が荒れている。ボクと結婚してた頃はそうではなかった。心配……」などと、余計な一言をそえるあたり。

 元妻の心配する演技をして誰からも批判されないように鉄壁の防御線をはりながら、画力の低下を批判しつつ、現在の旦那をもディスり、しかも言質はあたえない……という陰湿性のみなぎりに、「さすが枡N浩1様! そこにシビれる憧れるゥ!」と、ヘイト感情が一回転して、むしろ惚れ惚れしてしまうほどだった。

 こんな旦那いたら、別れるしかないよな。

 南9太さんには同情してしまう。

 ま、それから何年かして西村賢太さんが芥川賞を受賞し、同棲する女性へのDVなどを赤裸々に描き、実家に帰った恋人の元へ謝罪してヨリを戻すために頭を下げに行くくだりを描いたりして、「やっぱ新人賞を落とされたら、また投稿すればいいだけなのに、それをしないで逆ギレ炎上してそれをネタにして売り込みかける男とは格が違うよなあ、芥川賞作家は……」などと思ったものだ。

 新人賞をとれなかった男と、芥川賞をとる男は、残酷なほど違いますね!

 後に歌人がお笑い芸人を志したあたりで、その経験を活かしたお笑い小説などもアリだろうと期待してたら、ピース又吉が「火花」でブレイクして芥川賞をとってしまった。

 某歌人のお笑い芸人小説なんて、いきなりお呼びでなくなってしまったのだ。

 ついてない男だよなあ……と同情したものの、嫌がらせされ続けた西Q太みたいな名前の女流マンガ家の怨念と呪いが根深すぎての長期低迷なのかもしれず、思いは複雑である。

 そんなこんなで私のTwitterをスクショに撮り、インスタグラムにアップ。さらにラジオ番組でネタにするという、某歌人の行動に戦慄したので思わず駄文を書いてしまった。

 私がネタになることによって、某歌人の活動が盛り上がるなら、それでいいのではないかな。下げチン文化人なのは間違いないんで、あんまかかわりたくはない。

 しかしエールは送っておきたい。

 今日も粘着、がんばって!

能年玲奈の実家があやしい

 あまちゃんに出演してた頃の能年玲奈は周囲に愚痴った。

 「レプロの給料が安すぎて、パンツが買えない!」

 住居と交通費は所属事務所のレプロに払ってもらってたらしいが(食費も気になるな)、パンツを買う金はなかったのである。

 「ブラック企業のレプロめ! 能年ちゃんがかわいそう!」

 なんて無知なキモオタは所属事務所を呪いそうだ。しかし、ちょっと待った。私がひっかかったのは、能年玲奈の実家の異常性だ。

 能年の実家は確か兵庫県。我が娘を東京で仕事させてるというのに、能年の祖母と母は仕送りをしていなかったのである。だから能年はパンツを買う金がなかった。

 おいおい、ブラックなのは所属事務所ではなく、能年玲奈の実家では?

 当時の彼女はまだ高校生か、高校を卒業したくらい。親の仕送りを貰っていても不自然ではない。てゆうか、たいていの芸能人の実家は、仕送りくらいするのである。能年と同じ年頃の大学生だって、親から仕送りをもらってるだろう。

 アイドルちゃんが地方在住の場合、東京で仕事をしなければならなくなったら、アイドルやってる娘と一緒に母親が上京するのだ。母親と一緒に暮らしながら、娘さんは堀越学園に通う。

 それが「普通」なのである。

 確かPERFUMEの3人はそうじゃなかったかな。特に西脇は妹もアイドルやってるから、母と姉妹で東京に住んでたような? 彼女たちは高校から東京にいるので、実は広島風つけ麺をリアルタイムで広島では食べていないのである。

 あれだけ広島っぽさがウリだったのに。

 それが芸能界の通例だから、能年玲奈の場合、母親と一緒に上京して2人暮らししながら、あまちゃんに出演するのが普通なのである。もちろん家賃は事務所のレプロではなく、能年の実家が負担するのがスジ。

 なのに母親が能年につきそって上京するでもなく、パンツを買えないほど娘が困窮してるのに仕送りするでもない能年の実家って、何かおかしくないか?

 「普通」ではないのである。

 能年の実家に漂うブラック家族の予感。

 なんだか不穏なのである。

 週刊誌記事を読んでて不可解だったのは、能年の祖母と母親は登場するのだ。だが父親が登場しない。どうゆうこと? 母子家庭で金銭的に不自由してるの? とつい憶測してしまいたくなる。

 なにしろパンツを買う金も無い娘に、仕送りをしない実家なのだから。

 アイドルちゃんが独立や移籍で所属事務所とモメる時、暗躍するのは金に目がくらんだ実家だったりする。鈴木あみが干されたのは、それが理由だったとされがち。

 能年の場合、少なくとも実家は「レプロさんと和解なさい」と説得する空気感ではなさそうなのだ。父親の存在感も無いとゆうか、薄いし。母子家庭?

 能年玲奈は善、所属事務所のレプロは悪、なんて簡単に考えてしまいがちだ。

 しかし能年vsレプロの騒動を考える上で、能年が話してないことがあまりに多すぎるのである。実家の思惑もどんなものなのか、さっぱりわからないし。

 能年個人が銭ゲバとは思えない。

 しかし能年の実家が金への執着心が薄いとも考えづらい。

 能年は芸能界に復帰できれば、レプロとさっさと妥協するのはやぶさかではない。しかし実家はレプロ相手に交渉して給料アップするよりも、移籍&独立したほうが稼げるなんて考えてるのではないか。

 能年ちゃんのうるんだ感じの焦点があわない目つきに、なんだか「洗脳」っぽいものを感じてしまう。妙に前向きなキラキラした瞳もなんだかアレだし。

 洗脳されてポジティブにさせられた人物って、そんなメヂカラになるよね!

 そして某誌に取材された能年は、記者に対して「でも、幸せです!」と語っているし……。そのポジティブさって、もしかしてもしかして……。

 同じレプロで絶賛大モメ中の清水富美加は、実家が借金5千万で幸福の科学に入信だそうな。能年玲奈が同じパターンだったと想定した場合、実に「ありがち」なわけである。

 能年vsレプロを語る場合、能年の背後にいる何かまで考えないと、見えてこないものが多すぎでしょう。陰謀論で語る場合、どうしても別の事務所の暗躍などが最初に思い浮かぶ。

 だけど実家も判断要素にしてかないと、何も見えてこない。

 ブラックなのは所属事務所だけではなく、実家や彼氏や旦那がブラックかもしれないのだから。

 能年玲奈清水富美加の実家、なんだか気になりますね!

 

 * 追伸 *

 能年玲奈は彼氏をつくったほうがいいと思う。実家が期待できそうにないから、まともな判断力がある彼氏ができた方がいいのではないかな。その方が彼女も女性として芸能人として幸せになれるでしょう。

コミュ障のオッサンなりに色々と考えた

 コミュ障のオッサンなりに色々と考えた。

 2002年くらいの段階で、自分はブログをやっていた。当時は日記サイトと呼ばれていた。さるさる日記とかあったよな。それのアクセスは1日に100くらい。

 それを見た人から仕事がちらほら来ていた。

 それからつながって、今もおつきあいさせてもらってる編集部や出版社がある。

 その成功体験よ再び……と甘い期待をしながらブログを始めたら、いきなり生ハムと焼きうどんに言及するとアクセス432。エロ下着プロデューサー効果でアクセス3139。

 15年前では考えられないくらい、大量に読んでもらっている。

 しかし、仕事につながる気配はゼロ。

 手ごたえみたいなもんがない。

 なんでかなあ……と、つらつらと考えてみるにだな、そりゃ2002年の段階よりはネットユーザーが増えたろうし、増えた人たちともつながりやすくなっている。だけどそれは仕事をもらえるような「つながり」ではないのだ。

 仕事に「つながって」はいないわけである。

 私に仕事をくれるような、マスコミ業界人と「つながる」ためには、おそらくこのブログが10万人の人々に毎日読まれるようにならなければならない。

 10万人って、なんだそりゃ?

 実感のわかない数字である。

 100年たっても無理そうな、しかし運さえあれば今日にでも可能そうな数字だ。

 なんだかボンヤリしてんなあ……。こんなボンヤリした調子だから、駄目なオッサンなんだろうけどな。とはいえ、自分がどう変化すればいいのか、さっぱりわからん。ネットブランクが長すぎると、こうゆうことになってしまうのかね。

 自分がオッサンになって気づいた。

 自分と同世代の周囲のオッサンたちが、コミュニケーション障害ばっかりなのである。本人はケロリとしてるが、周囲に面倒くさい思いをさせているのだ。ふと我に返ったら、自分がそんなオッサンの1人になっていた。

 竜宮城から帰還したら、お爺ちゃんになっていた。

 妖精さんと遊んでいたら、住んでた村がなくなっていた。

 なんだか、そんな気分である。

 どうにも世間からズレてしまった自分を感じてしまうが、それでも少しずつ自分を世間にあわせてくしかないよな。

 こんなどんくさいオッサンだったっけかなあ……と、首をかしげながらも、生きてくしかないのである。一応はライターなんだし。

当ブログに1日に3139アクセスが殺到(自分的には殺到)の衝撃

 加納典譲ネタでエロ下着プロデューサーに当ブログを紹介され、アクセス急増。通常のアクセス量は1日に30アクセス以下なのに、おかげさまで3139アクセスが殺到するという驚愕の展開になった。

 ありがたい……と思うべきなのかもしれんが、それがライター仕事につながるわけでもなく、ブログにカキコがあるわけでもない。炎上すらしてない。

 私にとっては3139アクセスとは異常事態だが、エロ下着プロデューサーにとっては、ごく普通の数字なのだろう。日常がそんな感じとゆうか。

 しかし3139もアクセスがあったのに、それらの人々に全く刺さってない当ブログって何なのだろうか? つまんない? つまんないよな! ペンの力を信じたいから、ペンパワーと名乗ってるわけだ。

 しかし自分のペンの力が無さすぎて、頭かかえてしまったよw。

 炎上させる力すらないわけで。

 こりゃ、どうしたもんかな?

 どうにもならんわ。

 ダメだこりゃ。

 あー、こりゃこりゃ。

 こりゃこりゃ……とオッサンが踊っていたら、金正男が暗殺された。清水富美加幸福の科学に入信して出家。2017年はスタートしたものの、重めの話題が続く。そうゆう年になるんじゃないか?

 2016年はベッキーのゲス不倫からスタートし、清原逮捕、SMAP解散とド派手で面白かった。衝撃的だが、にぎやかだったのだ。トランプ大統領も爆誕したし。

 しかし2017年は重めの話題が続きそうだ。いったい誰がお亡くなりになるのやら……って、死を期待しちゃいかんやな。