まほろ駅前多田便利軒(2)

 ●松田龍平の演技について

 松田龍平が独自の存在感をもっているのは確かだが、もっと自分の個性を前面に押し出してもいいのではないか?

 どうもカメラに対して少しナナメった状態で、一歩奥にひっこんだ状態のことが多い気がするのだ。正確には、そんな空気感を私が勝手に感じているだけで、実際にそうではないのだが。

 もっとカメラに正面に構え、観客とむかいあって欲しいのである。

 そうゆうのがダサい……というのはわかる。安易でもある。しかし観客と向かい合わない男優ってどうなの?と思ってしまうのだ。ダサくて安易でも、彼がやるとそうでなくなる……という男優になれば良いだけではないかとも、思ってしまうわけだ。

 ついつい父親の松田優作を思い出してしまうのは、観客として良くないとこだ。しかし親父さんは常に観客と正面から向き合って、前に前に出てきてたよ……と言いたくなってしまうのだ。

 また映画の中で「なんじゃこりゃ!」と瑛太が吠え、松田が「なにそれ、似てない」と切り捨てるところは、松田優作の有名な太陽に吠えろでの殉職シーンを思い出させてもらい、ニンマリさせられた。


 ●瑛太の演技

 終盤の驚異の長まわしの演技には瞠目させられた。一か所だけ噛んでいるが、それすらリアリティを産んでいる。長々と喋る時に、普通の人間は噛むからだ。それを演じたにすぎないという解釈でいいと思う。だから監督もイキにしたわけで。

 イケメンだけど耳のデカい男だなあ……という印象で、特徴があるので記憶に残りやすい男優である。

安倍晋三と阿部寛(4)

 現在の日本が置かれてる状況を分析してみよう。

 民主主義陣営の一員として、超大国であるアメリカの属国として西側陣営の下請けをしているのがニッポンだ。そして自分たちよりも、はるかにデカいロシアと北方領土をめぐって戦わさせられている。しかも超大国である中国には、卑怯で狡いやり方で大切な科学技術を盗まれながら闘わざるをえない。

 そんな苦しい立場の中小国家

 それが現在の日本の状態ではないか。

 これは下町ロケット阿部寛が率いる佃製作所となんだか立場が似てるのだ。

 巨大企業である帝国重工(アメリカ)の下請けに甘んじる、中小企業の佃製作所(ニッポン)。そして自分よりもデカい企業である、ナカシマ工業(ロシア)と戦わざるをえない。帝国重工の下請け依存では自立もままならず、人工心臓分野に進出。しかしそこにはやっぱり自分たちよりもデカい巨大企業のサヤマ製作所(中国)がいて、卑怯なやり方でアイディアや技術を盗まれて大苦戦。自立の道は遠いにゃあ……。

 ……って、阿部寛安倍晋三、佃製作所と日本って、置かれた立場や状況が完全に一致やがな!

 そしてロケット打ち上げ(第一次安倍政権)に失敗し会社をクビになり(総理を辞め)、親の会社を継いで奮闘する2代目社長の阿部寛って、安倍家の選挙区を継いで奮闘する安倍晋三となんだか似ているのである。

 原作の池井戸潤安倍晋三安倍晋三をイメージしながら、下町ロケットを書いた……などと言いたいわけではない。どんな主人公にも挫折はあるし、自分よりもデカい敵と戦うしかないのだから、似通ってしまうのは当然と言いたいのである。

 このブログを読んでいるアナタだって、安倍晋三阿部寛のように挫折はしたろう。そして彼らのように自分よりもデカい敵と戦ってきた人生のはずである。

 物語の主人公と、自分の人生の主人公であるアナタは、共通点があるのが当たり前なのだ。自分と似ているからこそ、主人公に感情移入してしまうのである。

 そしてメガヒット作品は、それがリリースされる状況下と、よく似てしまうものなのだ。米国の下請けとして生きる中小国家の日本は、自分よりもデカい超大国のロシアや中国と戦わざるをえない。

 それは中小企業の佃製作所と同じ状況なのだ。

 そんな中で社員や国民は、強いリーダーシップを求めてあこがれるしかないのである。それが阿部寛安倍晋三であったりするのだ。それがぴったりと、偶然に一致したからこその、メガヒットだと思うのである。

 安倍研究を始めた私は、安倍ちゃんの演説動画をよく見た。あまりに特徴的で、個性的だと感じたのは「この美しい島に産まれ」というフレーズである。

 普通ならば「この美しい国に産まれ」と表現するところである。しかし国ではなく島という表現を選ぶ安倍センス。ひっかかったので掘り下げて深く考えてみた。

 まず日本という国の歴史を考えると、秋津州(アキツシマ)などと呼ばれたこともあったのだ。たくさんのトンボが飛んでいる島という意味である。

 日本という国ができるはるか昔から、我々は日本列島に住んでいたのだという長い歴史を表現するためには、国ではなく島でなければならないのである。

 そしてあくまで小さな島であって、巨大な大陸ではない。

 米国やロシアや中国のような、大陸国家や超大国ではない。それらとは違う、中小国家である島国が日本なのだと安倍ちゃんは定義したのである。

 しかも「美しい」島なのである。「強い」島ではない。米国ロシア中国のような、戦争好きな軍事大国の道は歩まない。強い国であり、戦争好きな国であることは、もう2度と目指さない。平和国家として生きるという意味と私は解釈した。

 そして「豊かな」島でもないことにも注目だ。米国や中国のような、経済大国ではない。経済における中小国家として、豊かではないけれど、美しい国として幸せに生きる。

 そういったもろもろの意味が、安倍総理の「美しい島」発言にはふくまれると私は勝手に解釈した。

 前述した「絶対に安全」発言といい、「美しい島」といい、トータルな印象として安倍総理は演説上手である。同様に阿部寛も「技術には絶対の自信がある」などと、ここ一番で宣言するスピーチ上手だ。

 自分の言葉を持ち、自分の言葉で語る強いリーダー。

 それを国民と視聴者が求めたからこそ、中小国家の総理としての安倍晋三、中小企業の社長としての阿部寛爆誕したのではないかと私は思うのだ。

 ただちょっと安倍ちゃんに苦言をていしたいのだが、英語でスピーチする際は、どうせ英語はうまくならないのだから発音などという細かい部分にこだわるべきではないと言いたい。

 もっと演説に感情をこめ、国民と総理の感情を諸外国の人々に伝えるほうが重要ではなかろうか。日本語のわからない外国人が下町ロケットを鑑賞しても、阿部寛の熱い想いが伝わるようにだ。

 そして阿部寛は社員たちを信頼しているが、安倍総理はとても国民を信頼してるようにも見えないのである。

 確かに安倍叩きしかできねえ無能なパヨクが多すぎなのはわかる。彼らだって国民だし、それを信頼しろというのはアベ的には無理だろう。

 しかし社員を信頼する社長を、社員が望むように、国民を信頼する総理を国民が求めるのは当然のことなのだ。「日本国民には絶対の信頼がある!」と断言できる、強いリーダーもまた望まれているはずだ。

 安倍ちゃんには、そこまで求めたいのである。

安倍晋三と阿部寛(3)

 私の中での安倍晋三のイメージは最悪だった。

 第一次安倍政権で大失敗した、頼りない三代目というシロモノだ。成蹊大学出身というのも、なんだか中途半端な学歴である。総理が務まるのは、東大出のバリバリのエリートか、あるいはたたき上げの中卒高卒か、どっちかしかないと思っていたのだ。それは今も変わらない。

 そんな安倍ちゃんのイメージが一変したのは、東京五輪の招致に成功したスピーチを確かリアルタイムで見た時のことだ。

 「放射能は完全にコントロールされてます。東京五輪は絶対に安全!」

 晋三がそう言い切った時に、私は腰が抜けた。だって福島原発放射能漏れが、きちんと処理されてるのかどうか明確にわからないまんま、東京に住んでいたからである。

 私は知人とよく話した。

 福島原発が安全なのかどうか、よくわからない。そもそも危険なのかどうが、よくわからない。

 そんなぼんやりした状況をつくることが、国民をコントロールするコツなのだとわかってはいた。

 ぼんやりとした不安を持たせつつ、危険な状況への心の準備をさせる。しかしぼんやりとした安心を与えることにより、暴走をさせない。

 そんなサジ加減の元で、政治家と官僚が国民をコントロールしようとしていると思っていたのである。

 そんな中で、あの頼りない二代目総理の安倍晋三が、全世界にむかって「絶対に安全!」と言い切ったのである。それも満面の笑顔で。

 ついに狂ったかと思った。

 いや、安全かどうかどころか以前に、危険かどうかすらわかんない状況下で、絶対に安全だなんて言いきったらマズいでしょ。何を根拠に安全なんて言い切るの? それも全世界を相手に? 無責任にすぎでしょ?

 巨大な疑問符が頭の中に点灯した。

 しかし同時に、ここは根拠はなくても絶対に安全と、言い切るしかない局面だなあとも悟ってもいた。たとえ大嘘でも、大嘘をつかなきゃならない局面は人生にはある。あるとしたら、ここだなあ……とも。

 なんだかとんでもないヤツを総理にしてしまったと、私は驚いてしまった。

 同時に衝撃を受けたのは、安倍ちゃんがいるスピーチ会場の雰囲気が一変したこと。全世界の外国人が、「アベが絶対に安全と断言しやがった! 何がおきても俺たちは責任をとらなくてすむ! アベに騙されたと言い訳すれば、責任のがれできる!」という心で一つになったように見えたのだ。

 実際にどうかはわからない。しかし、私にはそう見えた。そうとしか見えなかったのだ。勝手に、そう思ってしまったのである。

 全世界を相手に平気で嘘をつけるヤツ。そして全世界を騙せるヤツ。少なくとも騙されたふりをさせられるヤツ。

 そんな男でないと、今の日本国総理大臣は務まらないのではないか? だって今のニッポンは最悪すぎなんだもん。

 安全かどうか安倍ちゃん本人が信じてるかどうか怪しいものなのに、満面の笑顔で自信まんまんに言い切る彼の様子に、なんだかとんでもなく異色で個性的な総理大臣が爆誕した衝撃を受けた。

 そして私の安倍研究が始まった。

 ……えーと、話が全く下町ロケット阿部寛にまで進まないが、とりあえず安倍ちゃんのアンダーコントロール宣言、「東京五輪は絶対に安全!」と、阿部寛の「技術には絶対の自信がある!」は、根拠のない説得力に満ちているところが似ていると指摘しておきたい。

 続きます。

まほろ駅前多田便利軒(1)

 「まほろ駅前多田便利軒」を鑑賞。

 

 ●古谷実の「稲中卓球部」の影響を受けた?

 

 古谷実の「稲中卓球部」の影響化にある作品ではないか? 笑顔をつくれと言われて、変な笑顔しかつくれないシーンを、古谷実のマンガで見たような気がするのだ。

 もう一つは稲中卓球部に出てくるホームレスの中年男性。あしたのジョーみたいな髪型が印象的な井沢と親しくなるキャラクターがいるのだ。

 彼は水族館のイルカに感情移入しているのだが、ある時にイルカが彼に話しかけてくるのだ。「人間のあなたがイルカの私と一緒にいるつもりなのだろうけど、本当は違うの。イルカの私が、人間のあなたと一緒にいてあげてるのよ」と。

 他人に必要とされつつも、同時に他人を必要とするのが人間なのだ……という深みのあることが描かれているのだ。ところがホームレスの男性は「驚いたなー」ですませてしまい。それ以上は掘り下げることはない。

 ギャグ漫画だから掘りさげる必要はないのだが、しかし印象的なシーンである。このニュアンスが映画の後半で、主演の瑛太と共演の松田龍平の関係性で描かれるのだ。

 瑛太にとって松田は突然に押しかけてきて、住むことになった男だ。何か孤独をかかえてそうな松田に、瑛太は一緒にいてあげるつもりだった。

 しかし実は逆で、松田が瑛太に一緒にいてあげていたのだと、瑛太は気づいてしまうのである。松田が瑛太の元を去り、いなくなってからそのことに瑛太は気づく。

 結果は松田が瑛太の元に戻ってきてハッピーエンドになるわけだが、これは「仮の結末」と感じた。真の結末は、やはり松田が瑛太の元を去ることだろう。

 そして松田の小指を切断したという過去の罪の意識から、瑛太が解放されることである。

 松田龍平のキャラづくりにも、古谷実の「ヒメアノール」の影響を受けたのではないかと感じた。喧嘩は強くはないが残酷な行為が平気という松田のキャラが、ヒメアノールに出てくるのである。映画では森田剛が演じた。

 瑛太と松田の関係性も同様だ。瑛太は松田の小指を事故で切断した過去があり、それに後ろめたさと罪の意識を感じている。そしてそれが二人を結び付けているのだ。

 これもヒメアノールの主人公と、殺人男との関係性と同じなのだ。殺人男は学生時代にイジメられ、オナニーさせられたのだ。それを主人公は見て見ぬふりをしたのである。

 そしてその罪の意識が、二人を結びつける。

 なんか、こう、似た感じがあるなあ……と私は思った。

安倍晋三と阿部寛(2)

 下町ロケットにおける阿部寛と、日本国総理大臣の安倍晋三は似ている。背が高いことと、演説上手なところである。

 阿部寛は背が高く、帝国工業の財前部長と並んでも見劣りしない。むしろ吉川晃司よりもデカい。物理的に上から目線。だって身長190センチ越えだもんなあ……。

 つまらない冗談はさておき、阿部が社長やってる佃製作所は、吉川晃司が部長やってる帝国重工の下請けでしかない。格下なのだ。

 だが部長の吉川はおろか、社長の杉良太郎神田正輝と並んでも、やっぱり阿部寛は見劣りしない。むしろ身長が高すぎるから、物理的に上から目線だ。

 格下なのに、なぜか漂う格上感。

 そんな阿部は、佃製作所の社員やドラマ視聴者、ひいては日本国民にとって頼もしいリーダー像を体現しているのである。

 これは安倍晋三も同様だ。

 安倍総理が特徴的だなあ……と思ったのは、世界各国の代表と並んでも、全く見劣りしないことである。日本の総理は各国首脳と並んだ場合、明らかに見劣りすることが多かった。相手は白人黒人なのだから、当然である。日本人は小柄だ。

 しかし、安倍ちゃんは違う。

 米国白人のトランプ大統領と並んでも、見劣りしない。むしろ国際政治の中で友達がいないトランプが、シンゾーに依存してるかのように見えてしまう。

 米国の属国でしかない日本なのに、安倍トランプのツーショットを見ると、なぜか晋三のほうが格上に見えてしまうのである。彼は妻の安倍昭恵にすら、リーダーシップがないにもかかわらず。

 そしてロシアのプーチン大統領と並ぶと、なぜか安倍ちゃんのほうがデカく見えてしまうのだ。プーチンていどなら、北方領土くらい戻ってきちゃいそうな気がしたのである。

 実際にはプーチンは独裁者だし、ポロニウムで毒殺するくらいは平気という、とんでもない野郎である。晋三ごときにどうこうできる相手ではない。

 なのになぜかプーチンよりも物理的にデカい安倍総理

 こんな総理大臣、いたっけかなあ?

 あまりに異色な総理大臣として、私は記憶してしまった。これまでいなかったタイプである。

 しかもローマ法王すら40分も待たせるプーチンを(アスペルガーとされる彼に時間管理能力がない説もあるが)、逆に5分も待たせる大物ぶり。

 もちろん中華人民共和国習近平と比較しても、安倍ちゃんは見劣りしない。経済における日中のパワーバランスは完全に逆転。中国の方が上である。軍事的にもだ。

 地球に超大国は3つしかない。

 米国、ロシア、中国だ。

 その3カ国の首脳と並んでも、ビジュアル的に見劣りしない安倍晋三。むしろ格上感すら漂う安倍ちゃんは、日本国民が求めてやまない「強いリーダーシップ」を、肉体で体現した男なのである。

 そしてそれは、自社よりもはるかに大きい巨大企業の社長たちと並んでも、はるかにデカくて存在感のある、下町ロケット阿部寛と同じなのである。

 日本人が求めてやまない強いリーダーシップを、己の肉体で表現できた安倍晋三は高支持率を獲得。一方の阿部寛は高視聴率をゲットしたのではないかと私は考える。

 ここまで安倍晋三阿部寛、ふたりのアベの人気を身長という切り口で分析してみた。次回は演説上手という切り口で分析してゆきたい。

安倍晋三と阿部寛(1)

 池井戸潤作品は、ついついチェックしてしまう。作品内容はすばらしいのはもちろんだが、なにより売れてるからだ。それも、現代日本の感情をとらえてる気配がある。

 マーケティングしたくなるよなあ……。

 なんて、よこしまな目線で視姦してしまう。自作の参考にしてしまいたくなるのである。自分は醜くて狡い人間だが、これはもうしょうがない。

 その上でじっくりと下町ロケット陸王を分析したわけだが、やはり今は「強いリーダーシップ」が求められていると感じた。池井戸作品で阿部寛役所広司が表現しているのは、つまるところそれしかないのだ。

 地上波ドラマの下町ロケットは一言で要約できる。

 「阿部寛がひたすら演説と説教をする番組」

 もう、ほんとそれだけ。それだけのために、この番組はつくられている。阿部寛の演説を輝かせるためだけに、全ての創意工夫が集約されているのだ。

 そして阿部寛が体現しているのは、強いリーダーシップである。

 ロケットを打ち上げるという、明確なビジョン。それが佃製作所を支え、全社員に浸透している。阿部寛は「技術には絶対の自信がある」と吠える。

 思わず視聴者は感動してしまう。

 しかしそれは「日本の技術はすごい」という、日本すごい教の信者になってしまったからではない。社員を信じる阿部寛のゆるぎない態度にしびれるのである。

 阿部寛が「技術には絶対の自信がある!」と宣言するのは、社長としての自分の先見の明や経営方針を誇っているのではない。自分が経営する会社の、社員たちの技術能力と勤勉さを誇っているのである。

 阿部が絶対の自信をもっているのは、技術ではない。自分が雇用する社員たちなのである。阿部が「技術には絶対の自信がある!」と宣言するとき、視聴者は裏の意味を無意識に読み取る。

 「ウチの社員には絶対の自信がある!」

 社長である阿部寛が、社員に絶大に信頼し、それを帝国重工であろうが自分よりデカいライバル企業であろうが、照れも恥ずかしがりもせず、正面から堂々とデカい声で吹聴してまわるから、視聴者はぐっときてしまうのだ。

 熱いものがこみあげてくるのである。

 ドラマの下町ロケットで象徴的だなあと感じたのは、吉川晃司と阿部寛が二人で語り合うシーンである。

 吉川晃司はとにかく背が高い。そんな彼がロケットエンジンの前で、スーツを着こなしてイケメンぶりを表現している。そしてその横に立つ阿部寛は、吉川晃司よりも背が高いのだ。

 吉川晃司よりもデカい阿部寛

 阿部のあまりのデカさに爆笑してしまったが、それだけ見栄えのある役者だからこそ、あの演説と説教が似合うのである。これがイケメンとはいえ、おチビちゃんだったら、何の説得力もない。

 強いリーダーシップを感じさせないのだ。

 一説によると阿部寛はあまりにも背が高く、チェ・ホンマンのような巨人イメージがついてしまうのを本人と事務所が恐れたそうな。なので実際には身長190センチを超えているにもかかわらず、身長を低くサバをよんでいるらしい。

 そんな裏話がある。

 リーダーとして見栄えのいい、高身長な阿部寛が演説するからこそ、あの演説に説得力が産まれる。主演を誰にするか考えた時に、迷わず阿部寛を選んだプロデューサーはすばらしい。

 そして強いリーダーシップが求められていると、日本の状況を分析したとしよう。するとどうしても安倍晋三を思い出してしまう。

 阿部寛安倍晋三

 どっちもアベだしなあ……。

 50音はアイウエオの「ア」から始まるから、日本の先頭をアベが立つのは、名前からして既にリーダーシップがあるよなあ……。

 鼻くそをほじりながら、ついついユルい冗談をかましてしまうわけだが(しかも金玉をかきながら)、2018年の段階で日本人が求めていた「強いリーダーシップ」を体現していたのは、阿部寛安倍晋三であり、それらは共通していたのではないか?

 そんな論調で次回以降、掘り下げてゆきたい。

白河夜船

 白河夜船を鑑賞。

 東野圭吾原作。……てことは感動モノかな? などと予測しながら映画を鑑賞していたら、何かが変。違和感のあまり検索したら、東野圭吾の原作は白夜行。白河夜船は吉本ばなな

 まるで違いましたね!

 白と夜しか合ってませんでしたね!

 己の無知を恥じながらじっくり鑑賞。カメラマン出身の監督らしく、自室にいる安藤サクラがグラビア的なエロさがあるのはさすが。