妬み僻みをなくす方法(2)

 うらやましがるだけでは、妬みや僻みがなくならないとお嘆きの貴兄に、さらなる方法を提言したい。嫌なことが多い世の中だから、不快な感情を自分で増やすのダメ絶対!

 うやましがり、はっきり「うらやましいなあ」などと発言するだけでは自分の感情を整理できないアナタ!

 そんなアナタに必要なのは、「ちゃっかり便乗する」「あやかろうとする」「そこは乗っかるとこでは? などと自問自答する」ことなのだ。

 そんなプライドのないことできるか!

 プライドを捨てろというのか!

 貴様には自尊心がないのか?

 ……そんな声が聞こえるのは、私の幻聴かな?

 お気持ちはよくわかるのだが、妬み僻みを感じたならば、むしろ便乗したり、あやかろうとするほうが、むしろプラスだ。便乗したり、あやかることにより、自分の利益が増えるのだから良いではないか。

 気持ちが楽になり、しかも得する!

 むしろ気持ちを楽にして得することを考えるのが、アナタのプライドにすべきではないか? 誇りを取り戻せ! むしろ自尊心を新たに獲得しろ!

 そんなことを提言したいのである。

 ゾゾ前澤を妬んだり僻んだりする暇があるなら、ちゃっかり便乗してあやかるべき。100万円ばらまきキャンペーンなどは絶好のチャンス。迷わずRT。しかも連打すべきだ。私などは少しでも当選の確率を増やすため、別アカを大量にとって応募しようかなどと考えたほどだ。

 そこは乗っかっとくトコだろ!

 ネットを使い、全世界に激をとばしたくなってしまった。

 しかも私くらいのレベルになると、そうやって便乗のチャンスを逃さないちゃっかり主義で邁進してると、むしろゾゾ前澤のような幸運児がもつ強運の、おこぼれにありつけそうな気分になってしまうのだ。

 いや、実際にそうなのだ。

 私はこの冬、風邪をひくこともなく逃げ切れそうだ。インフルちゃんも私を避けていった。毎年かならず、高熱で倒れていたのに……である。

 しかも行きつけの串カツ屋に新しいバイトちゃんが入ったのだが、剛力彩芽似のショートヘアー。ちょうどいいブスで、デブぎみ巨乳。Gカップはありそうだ。

 前澤友作先生のご利益があったとしか、思えないのである。

 ホッピーがますます美味しく飲めそうだ。

 前澤先生のおかげで、風邪やインフルになることもなく冬が越せ、さらにホッピーが美味くなり、剛力ちゃん似の女子店員にまで出会ってしまった。

 恋の予感。

 2019年、平成最後の春は良いものになりそうである。

 ちゃっかり便乗あやかり主義を貫くだけでは、妬みや僻みはなくなりそうにない……。そうお嘆きの貴兄には、もう一つの方法を提案したい。

マイルド底辺(2)

 底辺職業で働いていると、周囲はリストラ中年と外国人と発達障害者ばかりになってしまう。そんな生活に癒されていたけど、疲れ始めているのが現在の私だ。

 日本の若者が嫌がる職業ゆえに、そんな連中ばかりになってしまう。ごくたまに、日本の若者が来る。自分の若返りをかねて、つい話し込んでみたりする。

 「最終的にはライターとして、どうしたいんですか?」

 ある時に若者から話かけられた。しばらく考えて、「生涯現役かなあ? 私くらいの年齢になると、いまさらベストセラーがどうのとか、賞を取りたいとか、考えなくなるんだよ。無理だし。どこまで現役でいられるか…くらいしか目指すものがない」と素直に答えた。

 そんな回答を求めてるわけじゃないんだよ……という様子がうかがえた。彼は20代前半のイケメン。バンドマンである。デビュー目指してがんばっているのだ。

 だがバンドマンとしての自分に見切りをつけようとしているようだった。デビューできそうにないし、デビューできても売れそうにもない。

 そんな時に、好きな洋服ブランドの求人を見てしまった。

 応募しようか迷っている。

 そんな相談をされた。

 そんなもん応募するしかないだろう。バンドマンを続けるのは戦場だ。洋服ブランドで働くのも戦場である。どっちの戦場を選んだかの問題にすぎない。

 夢から逃げたわけでも、夢をあきらめたわけでもない。

 いっそ就職先の洋服ブランドのお偉いさんと、バンドを組んだらどうか? 出世の役にたつかもしれないし。オッサンみたいにゴルフで出世するより、よっぽどマシだ。

 バンド経験のおかげで出世できたら、バンドやっててよかったなと思えるだろう。無駄じゃなかったわけだ。ファッションショーのインビテーションカードに、バンド写真を撮影したっていいだろうし、バンドキャリアの使い道は、いくらでもあるぞ。パーティーの余興に、社長やデザイナーと一緒に演奏してもいいし。

 そうゆう幸せもあるんじゃないか。

 オッサンくさい意見しか言えないのがアレだし、彼の役にたつとは思えなかった。とはいえ夢に見切りをつけなきゃならない年齢になったのだから、その負担を減らしてあげたくもあった。

 「求人に応募してみようかなあ……」

 夕食を買いにコンビニに行くと、履歴書を買ってる彼の姿があった。どうやら、その気になったようだ。

 これもまた、マイルド底辺の風景なのである。

HIGH & LOW THE MOVIE (1)

 HIGH & LOW THE MOVIEを鑑賞。

 ヤンキー喧嘩ものというジャンルがあると思うのだ。ヤンキーの喧嘩を描いた娯楽作品とゆう、ぼんやりした認識でいいと思う。

 そんな作品群の中での、傑作のひとつだろう。

 出演するのはEXILEと三代目Jソウルブラザーズの面々。ダンスで鍛えているので、身体は動くしリズム感もある。アクションや、喧嘩バトルのシーンを、想像してたよりもはるかに高いレベルでこなしてしまうのだ。

 ラップやダンスのシーンも、それを職業にしてる連中がやってるから、カッコいい映像になっている。今どきのヤンキーや不良に、こんなのがいても不自然ではないと思わせてしまう。

 くわえて、そのファッション。地方DQN層というのだろうか? 彼らのファッションシーンをリードするEXILEだから、衣装もばっちりと着こなせてしまっているのである。

 トータルな印象として、お洒落でカッコいいヤンキー的な若い男が、大暴れする痛快娯楽大作となっている。女性にはたまらない作品である。

 文句のつけようのない作品なんだが、しかし、そうなってしまうと取り残されてしまう人種がいるのである。

 中年男性たちだ。


 ●AKIRAさんにオッサンの希望を見た

 お洒落な若者が喧嘩バトル。ひたすら面白く、カッコいいわけだが、そんなものを見てるとオッサンの私としては、置いてけぼりにされた気分になり、孤独を感じてしまった。

 なんかもう、若けぇヤツらには勝てねえと、ひしひし感じてしまうのだ。しかも自分が若かった頃ですら、こうではなかったよなあ……と、しみじみしてしまうのである。

 勝ち組 → EXILE

 負け組 → 私

 こんな図式が脳裏にうかんでしまい、つらい現実から逃避するために映画を見ていたはずなのに、映画のせいで嫌な現実に叩き落されてしまうのである。

 ちくしょう、ヤケ酒がすすむなあ……。

 涙目で液晶画面を眺めながら、アルコール度数25度の甲類焼酎を痛飲してしまうわけだ。

 若くてカッコいい男たちが大暴れするのは面白いのだが、中年男性の私が感情移入できるキャラクターがいないのである。面白い映画なんだが、孤独のどん底に叩き落されてしまった。

 イケてる若い男って、なんだか遠すぎる存在なんですよね!

 おぼれる私が藁をつかむようにすがったのが、AKIRAさんであった。彼は中年男性なのである。若くはない。

 しかし長身のスリム体型で手足は長い。喧嘩アクションでの身体のキレも、若い奴らに負けてない。オッサンなのにカラコンはどうかと思うが、AKIRAさんだと似合ってしまう。

 しかもAKIRAさん、若い連中から尊敬されているのだ。

 ダチョウ倶楽部的なポジションではなく、伝説の男として信頼されているのである。老害あつかいされてない。

 自分と同じ中年男性ということで親近感がもてるし、しかも中年男性としてのあるべき姿を体現するAKIRAさん。なんだか希望の星に思えてきて、熱視線を注いでしまった。

 ちなみに六本木でちょこっと遭遇したことあるけど、気さくな素敵な男性でしたよ。オーラもあるし。

妬みや僻みをなくす方法(1)

 妬みや僻みを無くす方法。あるんじゃないかな? ねたみ、ひがみ、つらいもんなあ。生きてるだけでつらいこと沢山あるのに、自分で妬んで僻んで、さらにつらいこと増やしてどうするよ?

 そんなことを考えてしまう。

 いつ頃からだったか忘れたが、私は妬みや僻みを感じたら、それを消し去るようにしてきた。自分で不愉快なことを増やすのは、意味がないと感じたからだ。

 具体的には妬みや僻みを感じたら、うらやましがるようにした。素直にうらやましがった方が、妬んだり僻んだりするよりも精神的に楽だからである。

 しかもうらやましがるほうが、努力につながりやすい。

 そこは楽したほうがいいんじゃないかと思ってしまうのだ。

 さらにうらやましがるには、なるべく口に出すといい。「ゾゾ前澤って金持ちでいいなあ……。うらやましいなあ……」などとはっきり言うと、気持ちが楽になるのである。

 これはマジだから実践して欲しい。

 ……で、あんまりうらやましいと思えない場合、実はさほど妬んだり僻んだりしてないのではないか? 本気で妬んでないのに、過剰に意識してしまっているのである。

 自分で本気で僻んでないのだから、小ネタなのだ。そんなものはさっさと捨ててしまった方がいい。

 嫌なこと多すぎな世の中だから、自分で負の感情を増やすのは馬鹿げている。とっとと楽になってしまった方がいいのだ。

 負の感情を忘れるなんて嫌だ。負けたみたい、逃げたみたい……。なんて感じる人もいるかもしれない。被害者意識が強そうである。

 そこはねえ……忘れるのではなく、捨てたんだよ。いらないから捨てたの。ゴミを捨てるのと同じ。空き缶を捨てるのと同じ。邪魔だから捨てたのだ。

 空き缶を捨てるたびに、人は自分を責めるだろうか? しないよな? あなただって、したことはないはずだ。

 感情の空き缶を捨てただけなのに、自分を責めるのはおかしいよ。感情の断捨離をして、心の中が整理整頓されたのだから、それだけ勝ったし、快適さを獲得できたわけじゃん。

 ユー、勝ち組よ!

 そんなこと言われても、できないよ……。なんて人たちもいるかもしれない。そんなあなたに、さらなる方法を提案したい。

マイルド底辺(1)

 底辺生活はみじめなものだ。収入アップしようと努力するのに、年収は下がる。こうなったのは自分のせいと言い聞かせ、さらに努力をするが年収は下がる。

 努力が足りなかったからと、自己分析。

 さらなる努力をするが、年収は下がる。

 気がめいること10年くらい。あの時にああしとけばよかった、こうしとけばよかった。そんなことばかり考えてしまった。

 あくまで自分的にだが、さんざ努力したのだ。

 それでこれか……と気分はガン落ち。自分を責め続けた。そして最終的にたどり着いた。

 ぜんぶ不況が悪い!

 自分は悪くない!

 自分は悪くない! すべて日本のせい!

 ……って、そこで全て不況や日本のせいにしてしまう自分に驚いた。しかも自分に何の責任もなく、なんも悪くないと思いはじめたことにも、驚いてしまった。

 最も驚いたのは、気分がすっきりして、前向きな気分になれたことだ。もう少し、がんばってみようという気持ちがこみあげてきた。

 努力が足りない自分のせいと、自分を責めてた時よりも、自分は悪くない不況のせいと甘えてるほうが、なぜか努力の量は増えている。

 この現象は何なのかなあ……?

 普通に他人のせいにせず、自分のせいにしたほうが前向きに努力できるはずなのだ。

 しかし自分を責め続けて限界に達した場合、他人のせいにした方が気持ちが楽になるし、むしろ努力するようになるのである。

 もしかして10代や20代までは、自己責任でヒリヒリ努力するほうが、人間は伸びるのかもしれない。限界に達してから、実力がじわじわとついてくるのである。

 しかし30代や40代になると、自己責任でヒリヒリやるのは体力的に無理だ。歯をくいしばっても20代のような無理はきかない。努力するにも限界があるのである。

 心がもたなかったりするし。

 自分は悪くない。悪いのは他人! そうやって気持ちをリラックスさせながら、現状の自分にできる努力の全てをやるのが年相応なのかもしれない。

 努力をするが、自分がつぶれるギリギリまでは追い込まない。追い込まれてからの底力がわいてくる年齢でもない。

 絶対にあきらめない!

 あきらめたら、そこで試合終了!

 そんな風にイキってつぶれないでいられるのは、やはり30代前半までではないか。

 あきらめつつ、あきらめない。

 絶対にあきらめないが、あきらめるところはあきらめる。

 そんな断捨離をしたほうがいいのが、アラフォー世代の在り方ではないかと思うようになったのだ。

トランスポーター3 アンリミテッド

 トランスポーター3アンリミテッドを鑑賞。

 快適なアメニティが戻ってきました(笑)。トランスポーター2は画面そのものが安くてチープ。ステイサム以外の全ての役者が安い感じでツラかった。

 しかしトランスポーター3では一転し、全てが高級感あふれる感じに。きっと製作費が増やされたんだろうなあ……。ステイサム以外の役者にもメジャー感が出てきて、全てが好印象。

 しかし女優がぶっちゃけブスで、エロ要素に関しては、今ひとつそそられないのでああった。そばかすだらけなのと、スモーキーアイなメイクと、髪型がレオンのナタリーポートマン的なとこは、リュック・ベンソン好みなんだろうけど。

 もちろんベンソン、女優とハメてんだろうな。

 オッサンむけのアメニティ充実の旅館のような作品だったのが第一作。しかしそこから脱皮して、普通に面白いアクション映画になってしまった。さみしい気もするが、これはこれでヨシとしたい。

エロ本やエロ文化の地位低下について

 エロ本の地位低下について。

 90年代末期まで?だと、文化人が意図的にエロアピールしてた面があったのだ。「自分は自由でやんちゃ、カッコいいんだぜ?」的な。当時の私は実際にそう思っていた。元SMの直木賞作家とか、ウリになってたしね。受勲までした大物作家は、ホモ経験を語ってたし。

 昭和ノリの大物芸能人が、エロやヤクザを語るのもそんな文脈は本人や周囲の空気にもあったと思う。大物作家が裏本制作の現場を取材するのも、皆が知らない時代の裏をレポートするエキサイティングなものだったのだ。「当時は」ね。確か三島由紀夫も、SMだか切腹ショーだかやってたような?

 だから結構な大物がSM雑誌でコラム書いてたりとかしてた。当時の印象はやっぱり自由でやんちゃでカッコよく、大物なのにSM雑誌で原稿書きとは寛容な……さらにカッコいい。ケツの穴がデカい。大物は違う。なんて印象だった。ただ、そんな空気が90年代後半から消え始めた。

 女子高生の援助交際ブームの最中あたりからだったと思う。当時の私は「さすがにこれ以上はエロを許したら大変なことになる」と世間が思い始めたなと感じた。流れが変わったのだ。中学生や小学生の女のコたちが、自ら進んで楽しそうに売春するのは時間の問題かもしれんと思ったし。

 元々からエロは逆風なものだったが、そこからの逆風はどんどんキツくなった。しまいにはコンビニに置くなとまで言われ始め、小島慶子に至っては嘘ついてまで置くなと言い出す。しかも彼女がイメージする成人誌(テープどめされてないもの)には、彼女がグラビアやったものまで含まれている。

 彼女周辺のサブカル文化人だって、その種の立ち読みできるエロ本で仕事してたりもしたのだ。本人の意思で遠ざかったり、あるいはエロ本が売れなくなってオファーできなくなったりしたとか、色んな事情で彼らがエロ媒体で仕事することも減った。さみしいことだが、時代だ。しかたない。

 しかし小島慶子が彼女と親しそうなミュージシャン・ライター・役者といった人たちが仕事してた媒体を、さも正論で「善いこと」としてコンビニに置くなと言い出したことに愕然としたのだ。彼女本人ができない立ち読みを、できると嘘ついてまで叩きはじめたのには呆れたしね。

 それをやっても許される空気みたいなものを、彼女がビンビン感じてるとも思うのだ。嘘ついてまで売るなと吠えていいのだ、たとえ親しい人々が仕事してた媒体でも。それは正論であり、善いことなのだ。という、なんちゅうか、洪水のような抵抗できない時代の流れや、反抗しようもない空気とゆうか。

 小島慶子個人やバズフィードを批判して(だって正当な批判なんだし)、黙らせることはできるかもしれない。しかし彼らの背後にある。洪水のような時代の流れとか、鉛のようにずっしり重い空気みたいなものが無くなるわけがない。それらに勝てる気がしないのである。無力感…。

 小島慶子責任能力のない女性という認識も、私の中であったりする。しかしそれを理由に放置するわけにもいかんと判断した。はっきり週プレが視野に入ってると忖度したので、普通にポストや現代もコンビニに置くなという認識だろうと私は解釈した。言質はとってないが。

 ただこの種の発言をするときに、コンビニから追い出す雑誌の定義を本人が明確にしないと、いろいろとまずい。女性ファッション誌は売れてるモデルが普通に下着姿になるし、尻の割れ目のちょい上部分を見せたりする。やってることはエロ本と同じだ。私もたまにエロ視点で買う。

 「エロ本をコンビニで売るなと。おっしゃる通りですね。では女性の下着姿や尻がのってる女性ファッションもコンビニから撤去していただくことに賛成していただけますね?反対なら根拠を述べてください。言質はとりますよ」と詰められたら、返答に窮して逃走するしかないわけで。