すすむ町山智弘ばなれ(3)

 

 

 松江哲明と町山智弘のことしかブログを書いておらず、どんだけ彼らが好きなんだって話なんだが、興味深い観察対象なんでついついウォッチしてしまう。

 過去に町山を好きだった読者たちの町山離れしつつあるが、それはおそらく40代以上の中年男性ではなかろうか。むしろ最近は新規の読者を開拓が進んでいて、読者層が入れ替わっているのだろう。

 我々にとって現在の町山は「サブカル老害おじさん」だが、新規の町山読者にとっては「インテリ映画おじさん」だ。映画評論そのものはマトモなので、頼もしい書き手に見えてしまう。

 ……で、町山がネットで課金して原稿だの音声だのを販売してるが、今やそっちの方が収入は多いのではないか。月額100万円はいってないだろうが、50~60万円にはなってるのではないかと勝手に妄想するのである。

 映画コラムを書いても数万円。

 単行本を出しても印税は200万円くらいだろうか。

 そんな中で月額数十万円の売り上げを誇り、しかも右肩あがりだった場合、そちらに比重を移したくなるのは書き手の心理だ。月額数十万なら年収は数百万になる。単行本一冊の稼ぎよりもはるかに多い。しかも楽だし。

 そしてネット販売に食いついてる層は、昔からいる40代の中年男性ではない。新規の読者たちなのである。

 我々のように、町山批判はするが金払いは悪い読者。町山本は買うもののネット販売には食いつかず、印税率10%どまりでしかない昔からの読者は、商売相手としては美味しくないのである。

 ついつい切り捨てたくなってしまうのではないだろうか。

 新規の読者は過去の町山を知らないから、過去と現在では論理矛盾を起こしていることに気づかない。映画好きだが政治にはウトいので、町山から反日パヨク思想を吹き込まれたらうっかり信じ込んでしまう。

 映画評論がマトモだから、政治についての言及もマトモだと無意識に思い込んでしまうのだ。実際にはいい加減なところも多々あるのだが。 

  お笑いは政治的なことをどんどん発信すべきと町山は主張するが、トランプの悪口を文章とイラストで表現してるだけの文春の町山原稿に、ひねりもツッコミも笑いもないのが現状だ。ひたすら発狂してるだけなのである。

 文春の町山原稿がひどすぎるので、もはや私は読まないことにした。

 世界同時渋谷化という概念があったが、世界の各地で起きることは日本とも連動している。トランプ現象に似たものは、日本でも起きているのだ。だからトランプ現象にからめ、現在の日本について言及するのはむしろ正しい。

 ただ米国の現象について解説した直後に唐突に反日な文章が挿入され、困惑することが増えてしまった。それと日本とはあまり関係がないのでは? ということまで、町山原稿では連結されてしまうのである。

 反日パヨク原稿が悪いとは私は思わない。

 私は朝鮮日報をネットでよく読むが、韓国そのものが反日のお国柄なので、原稿のあいまに反日が挿入されるのはよくあることなのである。だが読んでてスムースに反日が挿入されるので、不快感がない。

 反日はどうかと思うけど、とりあえず韓国側の言い分はよくわかった……と、スッキリした読後感が残るだけなのである。

 そして町山智弘原稿と朝鮮日報は文章の構成がよく似ている。

 似ちゃうのは、もうしようがない。

 ……てゆうか、同じモノだよね。

 いろんな意味で同じだよね。

 だけど朝鮮日報は読んでて不愉快にならないのに、文春町山原稿は不愉快になってしまう。反日の挿入のされ方が唐突だからだ。文章スキルとて、朝鮮日報よりも文春町山原稿の方が低いのである。反日そのものは慣れてしまったので、今さら不愉快と感じる私ではない。

 最近の町山智弘に異常事態を感じ取ってる中年読者は多いはずだ。

 反日むきだし、パヨク性むきだし、言質さえとられない範囲内であれば可能な限り最大限の印象操作を平気でやる。書き手としてのバランス感覚を失ってまで。

 こんなやり方に中年男性読者がどれほど落胆と失望をさせられているか、彼はわかっているのだろうか? わからないわきゃないのだろうが、今の彼にとってはどうでもいいことのようだ。

 反日やりたいのなら、いっそ反日本だけで一冊だしてくれないだろうか?

 その方が読んでる私はスッキリするのである。なるほど最近の町山は、そんなふうに反日化が進んだのか。スジが通っていると、賛成はしないが納得するだろう。

 米国事情をくわしく知りたいと文春町山原稿を読んでいたら、直接的な関係のない反日が唐突に挿入されて読みづらくイライラするのだ。

 もう町山に対して金を払うことは基本的にしないし、書籍は全てブックオフで買うことにした。中年読者としての、精いっぱいの抗議である。

松江哲明炎上は古くて新しい

 松江哲明の最悪の人格に、世のサブカル好きの興味関心が集中している昨今。久々の大事件でオッサン心がうずいてしまうが、最悪の人間性を娯楽として楽しむ文化が、サブカル界にはそもそも存在した。それが根本敬の「内田研究」である。

 内田という男がお婆ちゃんに粘着。徹底的にわがままで貢がせながら、しかしセックスで大満足させてしまう。金をひたすらむしられながらも、性欲ゆえに別れることができない、お婆ちゃんの「トリコ仕掛けの日々」がひたすら描かれるのだ。

 昭和に起きた出来事で、これが最悪の人格を見物して楽しむ娯楽の始まりである。

 最悪の人格を研究する娯楽は、それ以降は途絶えた。正確には唐沢俊一上杉隆、日垣なんとかが研究対象になったと解釈できるが、まー誰かさんがかかわったものばかりだよなあ。

 ちなみに誰かさんは根本敬を尊敬していることを公言してはばからないが、最近の反日ぶりからすると、ディープコリアについては腸が煮えくり返っているのではあるまいか? どう思ってるのかずっと気になっていたのだが、現状から忖度した結果そう思う次第である。

 話はそれたが、根本敬の内田研究は研究してるだけで批判はゼロだったのである。見物して、娯楽として楽しんでるだけだった。

 今はサブカル界の皆さんは松江哲明の最悪の人間性を研究する楽しみに浸っていると察するが(私がそうだし)、バッシングする娯楽がプラスされるのではないかなあという気もしてる。フェラするだけで円満解決するのだから、ハードルは高くはないが……。なんだか、懐かしい現象だと思うわけだ。

 松江哲明の最悪の人格を楽しむのは根本敬の内田研究がルーツ。そして加賀健三が松江に復讐するのを楽しみにするのも、サブカルの古くて新しい楽しみだ。宅八郎の復讐山脈が原点で、違法行為以外の全てを行う宅の手法に興奮したものだ。SPA!誌上で「小林よしのりを殺す!」と宅は宣言した。

 この段階から最悪の人格は見物して楽しむだけではなく、攻撃して楽しむ段階に突入したのである。

 宅の殺す発言は大問題になったが、当時の私は理解できなかった。実際に殺すわけないと思っていたからだ。後に宅八郎も冗談前に決まってるのに……と愚痴っていた。当時の私と宅の感覚では、セーフだったのだ。

 今の感覚では犯行予告なんで完全アウトなんだけども。

 当時の感覚ではセーフだが、今の感覚ではアウトというのは、よくあることだ。松江哲明の性行為強要も、当時の感覚としてはセーフであった。でも今はアウトである。

 当時のサブカル好きは宅八郎の復讐に興奮しながら賛同し、さらなる過激化を期待した。そして、やりすぎな彼に徐々にひいてゆき、興味を失った。

 最初は面白かったから良い暴力だったのに、最後はつまんなくなったから悪い暴力に化けてしまったのである。これも松江哲明のフェラ強要という暴力への印象変化と似ている

 宅八郎の復讐に興奮した我々だから、加賀健三が松江哲明に復讐するのを期待するのは当然のこと。皆さん期待してるでしょ?

 過去に根本敬宅八郎によって起きたことが、現在も起きている。因果は廻っているわけだ。スパイラル状に。まさに根本敬の因果鉄道の夜なんだが……。

 そういった意味で、古くて新しい事件。そして懐かしい。

 こんな懐かしい事件が起きたのだから、サブカルおじさんは熱狂するしかないわけだが。中年が大喜びする加齢臭が漂う現状なのはいかがなものかと。水道橋博士や町山を老害あつかいしながら、自分たちはオッサンまるだしでは自己矛盾であり恥ずかしい。

すすむ町山智弘ばなれ(2)

 

 

 

 人間性最悪のキモ顔監督・松江哲明。彼の心の醜さが、顔面の醜さに表れてしまった珍しいケースだ。顔写真見てるだけで、本当に不愉快になる。

 稲中卓球部のどうでもいい脇役に、あんな顔した男いそうだよな。人間のスケールが極端に小さい性格のやつで。

 そんな松江の炎上事件が町山智弘にプチ飛び火してしまった。

 現在の町山智弘を分析した印象としては、陽気・感情的・弱者に優しい・冷酷・陰湿・力関係に敏感、というものだ。基本的には陽気で優しく、政治がからむと冷酷陰湿になると考えている。そうなった時の彼は手段を選ばない。

 ……で、本件で町山がとるべき態度としては、「弱者に優しい」という部分を発動させて、性暴力被害者側の加賀健三の側に立つべきというのが私の考えである。古くからの町山読者にも、そうゆう人たちは多いのではないだろうか。

 だが実際には身内の松江哲明を擁護する側にまわったとして、怒っている人たちがいるのである。

  町山離れが、また少し進行したなあという印象である。

 で、ちょっと説明しなきゃなんだが、町山智弘は別に松江哲明を擁護してなどいないのである。

 確かに彼は松江の言い訳ツイートをRTした。それはキムギドクなどの映画監督による、いい映画をとるために役者に嫌がらせする手法があるということを、おそらく肯定の意味でリツイートしたにすぎない。

 手法そのものは肯定したが、松江哲明のやったことを肯定したわけではないのだ。

 このへんの「力関係に敏感」という町山イズムに私は落胆してしまう。みんなが好きな町山とは、後先考えないで発狂したらパイ投げするやんちゃな彼だと思うのだ。

 保身にまわる彼など見たくないはずだ。

 しかし、今回、町山は保身にまわっている。それだけ松江の性行為強要「疑惑」がスジの悪い案件だと認識しているのだろう。こうゆう時って、まず文化人は言質をとられたくないのである。

 「アンタ、松江を擁護すんの?」と批判されたくないし、責任もとりたくないから、はっきり言質をとらせる形で松江をかばうことはしたくないものなのだ。実際、松江擁護をしたと批判されてた他の文化人も、特に言質をとれるところはなかった。例外は山下なんとかという監督だったような気がしたが、どうでもいい。

 まず言質をとらせないで文化人たちが保身に走った時点で、松江の立場は相当に悪くなってる様子がうかがえるのである。今後、相当に厳しいんじゃないの。

 本来は松江を擁護しそうなパヨク様たちが、厳しい調子で松江批判してるので、彼とかかわりたいヤツって基本的にいないんじゃないのか。

 話がそれた。

 ……で、松江周辺の文化人を批判するにしても、「では擁護した部分を提示してくれ」と反論されたら提示できないでしょ。だって彼らは言質をとられるようなヘマはしないから。

 松江を擁護したと批判するのは、スジが違うと指摘したいしだいである。

 唯一の例外は水道橋博士で、なんと松江哲明に対して「同情と応援、支援を表明します」とはっきり言質をとらせている。頭がおかしくなっており、狂ったとしか解釈できないわけだが、ある種の老害化が進んだなあという印象を受けた。

 やっぱり性犯罪者「疑惑」のある人物に、同情・応援・支援をしたらいかんでしょ。

 ただここまで踏み込んだ発言をした水道橋博士も、「ブーメランの受難を体感したドキュメンタリストと同じく、それが通過儀礼であることを信じて」と、ただし書きをつけて自分の逃げ道を用意しているのである。

 真意のほどがさだかではないので忖度するしかないのだが、ブーメランを受け止めることそのものは、推奨しているのだ。水道橋の言う応援と支援というのは、加賀健三に対して責任をとったうえで(通過儀礼)、松江の再出発を応援と支援するという意味ともとれるのである。

 こうゆう玉虫色の発言ってどうかと思うし、もっとスッキリした発言すべきだと思うんだが、それができないほど深刻な事態なのも確かなのである。

 なんか忖度とゆうか、妄想してばっかりで、煮え切らないブログ更新になってしまった。申し訳ない。あくまで確定した事実ではなく、妄想だよと強調しておきたい。

松江哲明に批判集中(2)

 

 前述したように私の松江哲明の評価は非常に低い。

 トウシロとみなしている。

 その上で彼の「童貞。をプロデュース」に言及したブログを読んだが、さもありなんな内容で呆れてしまった。おぼろげな記憶では本作はドキュメンタリーとして発表されたと記憶していたが、実際にはヤラセばかりでドキュメンタリーではないのである。

 それ、ただのヤラセちゃうのん?

 童貞が女子を相手にすったもんだし、ゲロまで吐いてるらしいので、なんだかインパクトのあるシーンが連続して退屈はしなさそうだ。赤羽ドラマと違い、まだ山があってオチもありそうで、物語としてちゃんとしてそうである。

 全部が「~~そうだ」なのは、本作をそもそも観てないから。観ないで言及してることは、強調しておきたい。

 ……で、ドキュメンタリーと自称しておきながらヤラセばかりというのも、創作態度がいかがなものかなんだが(詐欺でしょ?)、出演する役者さんたちへの接し方が人間としていかがなものかというブラックぶりなのである。

 そりゃいいものを制作するためには、役者に無茶を要求するのはやむなしなところはある。ブラックにやればやるほど、いいものになる場合もある。

 松江哲明の物語づくりのレベルが低いので、逆に役者に無茶やらせてインパクトを強めないと場がもたないのもわかる。初期作品ゆえに監督スキルも低いし、役者だって山田孝之ほどの演技力があるわけがない。

 しかしブログを読む限りでは松江哲明の人格が、そもそも人間失格というレベルで最悪なので呆れさせられた。人としてもう完全にダメ。

 最悪なのは「フェラチオ強要」までしており、これって今の感覚では犯罪ですからね。自称ドキュメンタリー監督がヤラセをやり、しかもそれが監督が段取りした性犯罪の現場を撮影して公開するという凶行をやらかしたわけで、そりゃ急遽、公開中止になるのは当たり前でしょう。

 犯罪ビデオで金とってみんなに見せてどうするのよ? 撮影した映画監督がそもそも有罪確定で、犯罪ビデオと知ってて公開したなら映画館も立場的に法的にマズいんでないの? 知らないで公開しても、法的にセーフでも社会的には責任を問われそうだし。

 撮影当時の感覚としては、フェラチオを強要しても、それは「嫌々ながらフェラるシーンをリアルに撮影する」ということでセーフだった。同意してはいないが、最終的には同意がとれてるのだからOK。

 ……といった感覚であった。

 ところが現在の感覚では、これは性犯罪。強姦や強制わいせつに該当しかねない、かなりヘビーなシロモノなのである。松江哲明監督のツイッターをチェックしたらお子さんがいらっしゃるようだったが、学校に通うようになったら授業の父兄参観などできないんじゃないですかね。

 授業参観するママたちの隣で、我が子を見守る性犯罪者男がいるなんて、PTAが許すわけがない。まして小中学校には女子小学生や女子中学生が大量にいるわけで……。松江哲明の校内侵入を、女生徒、母親、女教師と、全ての女性が大反発しかねない。

 いや、たかがエロビデオを撮影しただけで、そこまで存在を全否定されるのは酷だとは思う。しかし撮影当時は合法でも、現在の感覚では非合法でアウトだからなあ。性犯罪者が地上波テレビ番組を制作するというのも、これまた抗議が殺到しそうだし。

 なんかもう、時の流れはいかんともしがたいもので、町山智弘の愛人づくりや、松江哲明フェラチオ強要を、身内レベルですらもはや認められなくなったのはさびしいことなわけだ。

 昔はやってもよかったわけじゃん!

 むしろ皆で喜んでたじゃん!

 ……そんな風に私は考えてしまう。

 ただ撮影目的で良質なものをつくるためとはいえ、虐待と表現してもいいほどの行為を役者に対して行い、その後も人間としてありえない配慮のない傲慢な態度をとり続けたことは、当時としては普通にセーフでも、現在ならばアウトなのだ。

 さすがに現在の松江哲明山田孝之を虐待するわけないし、そのような制作手法をとるわけがないので安心していい。時代の狂気と、若気のいたりの両方がひきおこした特殊なことだったのだから。

 再発することはないんだよね。

 ただそんなことした背景には、ドキュメンタリー監督としても、フィクションをつくる映画監督としても、トウシロでしかない松江哲明の能力の低さがある。そうしないと鑑賞に耐えるものがつくれなかったろう。

 だからヒッチコックベルトルッチキム・ギドクの撮影手法と同じだと、彼らと自分を同格に自称するのははっきり言って勘違いだ。彼らの水準に松江は達していないどころか、はるかに下のレベルにあるのだから。

 それら巨匠と松江哲明は同じですと言いたいのなら、巨匠たちがそうしたように一流どころの役者である山田孝之フェラチオ強要くらいしてから吠えるべきだろう。

 山田孝之にフェラ強要。

 完全アウトの違法動画だが、見てみたいものである。

 タイトルはもちろん「闇ビデオのマツエ君」。

松江哲明に批判集中(1)

 

 

 

 松江哲明がいきなり批判されている。

 私は彼の作品は山田孝之がやってた赤羽を舞台にしたものしか見てないが、中途半端な才能しかない映画監督なのかなあと感じた。ドキュメンタリーも制作できないし、フィクションとしての物語も制作できない人物とゆうか。

 普通に映画シナリオが書けない人物なんじゃないすかね。

 リアル感ある嘘の物語がつくれないから、ドキュメンタリーという形式にして「そもそも事実ですから」とリアル感をかもしだそうとしているように見えた。山田孝之が演技力あるのと、赤羽という街か味わい深いので、リアル感は発生してしまう。

 だが松江哲明の腕によって生まれたものではない。

 リアル感をつくっているのは、山田孝之と赤羽なのである。

 山田孝之が赤羽の街にやってくるまでは良かった。だが山田孝之が街に住み始めてから、ちょっと変わった日常がダラダラと続くだけなのである。最後に山田が芝居をやって、なんとなくオチがついたっぽくなるのだが、結局、山田にどんな変化が起きたのかさっぱりわからない。

 そりゃ私も売れないライターなんで、企画意図を忖度することはできますよ。

 山田孝之が赤羽にやってきて、自分自身を見つけた。赤羽は山田自身であり、このドラマは山田そのものだ……なんて。意味わかんなかったから、適当に浅く考えてそんなテーマじゃないかと思っただけだが。

 あまり深読みしたくなる作品でもないのである。

 トータルな印象として、物語がつくれないからボンヤリ赤羽取材して、赤羽の面白さと山田孝之の演技力で退屈しない程度に味わいをもたせた。しかし松江哲明に実力がないので、物語の結末をつくることができず、オチだけつけて完成したふりをした……という風にしか私には見えなかった。

 山なし、オチあり、意味なし。

 物語がつくれない人物の典型的なミスである。実は進撃の巨人の映画の、町山智弘も同様のミスを犯してると感じた。原作があるから山もオチも意味もあるが、それは原作がそうなだけで町山の腕によるものではないのである。

 エピソードがボンヤリと串刺しになってるだけで、最後にちょろっとオチつけだだけだった。枡野幸一の離婚小説もそうだが、物語づくりができない人物が物語をつくろうとすると、まず最初にこうなる。

 竹熊健太郎が最初に書いたマンガは地球が大爆発するラストだったが、それも同じ現象である。物語を終わらせることができず、大爆発というオチだけつけて完結したように偽装したにすぎない。

 松江哲明の実力は、その程度だ。

 物語づくりのできないトウシロと感じた。

 (続く)

すすむ町山智弘離れ

 深く静かに町山智弘離れが進んでるように見受けられる。

 ある映画人? 映画系ライター? 無学で無教養な私は彼のことをよく知らないのだが、そんな人物のブログがタイムラインに流れてきて、それを読んでいたら町山智弘批判が書かれてあった。

 要注目なのは町山かどうかはわからんが、大先生と称される映画評論家が文中に登場することなのである。

 どうも映画祭に愛人つれてやってきて、しかも態度がデカかったらしくカチンときたようなのだ。もしかして愛人の態度もデカかったのかなあ……と想像してしまう。わりとよくある話じゃん。

 映画祭の女性スタッフが反発して総スカンらしく(女性は愛人とか嫌うわな)、なんかもうポリコレがどうのといった高尚な話ではないのである。単なる助平オヤジの調子こいたふるまいが、周囲の怒りをかってるとゆうか。

 愛人いるから反感かうようでは、ポリティカルコレクトネスではなく、エロティカルコレクトネスではないかと、思わずつまんないオヤジギャグをかましたくなるわけだ。

 普段からポリティカルコレクトネスで優等生な発言ばかりして、周囲に遵守を求めてばかりいるお人である。なのに自分の下半身はフル勃起で、エロティカルコレクトネス全開って恥ずかしいでしょ。自分のチンコに関しては、急に劣等生になってしまうようでは話にならない。

 きれいごとばっかり言ってるくせに、女にだらしない政治家と同レベルではないか。致命的だよな。クリティカルコレクトネスとでも表記するといいのかねえ?

 だめだこりゃ。

 あ、こーりゃこりゃ。

 個人的には愛人つれまわすくらいセーフだと思う。女とやった後の冷静な賢者タイムの時って原稿が進むからだ。私が大学生の頃は普通に三又交際をやっていて、女の部屋を日替わりで泊まり歩きながら、ノートタイプのワードプロセッサーで新人賞に応募する用の原稿を書いていたものである。

 英雄豪傑になったような、大物になったような、とにかく豪快な気分になってしまうわけだ。気分がいいのである。男とは、しょっぱい生物である。

 そんな私だから、町山の愛人話は好感度アップのネタでしかない。それくらいでないと、いい原稿は書けないなどと考えてしまう。

 とはいえ態度がデカいってのはマズいよな。

 後輩や年下に囲まれていると、自分では普通にしてるつもりでも、ついなれなれしい態度になってしまうことは、私にはよくある。あんま他人を批判できるほどえらい人格でもないのである。

 とはいえ、私のような小物にせよ、町山智弘のような大物にせよ、そんなことしてたら周囲の若者から反発くらってしまうのは当たり前ではないか。私は小物で実力もなかったから、順調に干されて今にいたる。業界から消えたから、今は悲しいことに誰からも嫌われることがないのだ。

 しかし町山は実力もあるし大物だから、干したくても干せない。いつまでも映画業界に居すわってしまう。若い人たちから見れば、ケタクソ悪い「サブカル老害おじさん」になってしまうわけだ。

 映画業界の人々が町山のふるまいに激怒し、愛人がらみの問題を暴露してんだろうなと、のろい私にもわかってきたわけだ。昔は、反町山の連中が、推理と検索で彼の愛人の存在に気づいたと思ってたんだけど、違うよな。身内の暴露だろ。

 本来ならば映画関係者もやんちゃな性格なので、愛人くらいでグダグダ言うような連中ではあるまい。なのにそんな彼らがバラしまくるというのは、よっぽど腹にすえかねているのだろう。

 ポリコレは確かに大事なものだ。

 後輩の映画関係者がクロンボ表記などしてたら、苦言をていするのが先輩の優しさなのは間違いない。だけどそれはこっそり忠告すればいいだけの話で、ツイッターなどで大々的に批判したって反感をかうだけだ。

 町山個人が批判するぶんには、単なる身内の兄弟喧嘩ですむ。

 しかしツイッターでアピールなんてしたら、今は抗議団体などから運営に普通にクレームがきてしまう。運営サイドにしてみれば、町山が犬笛を吹いて、鉄砲玉が攻撃してくるように見えてしまう。アンタこうなるの、わかってやってるよな? と怒りがこみあげてくるのは察するにあまりある。

 本来は身内で仲良くやってけるはずの、映画業界人や若者たちと対立して、何か得することあるのか首をかしげてしまうわけだ。

 これから批判や暴露が次々に出てきそうな気配だが、なんだか暗然たる気持ちになってしまう。

 なるべくカドを立てないように、うまく意見する方法を模索すべきではないかと案じる次第である。

 

 

 * 追伸 *

 妙なところからアクセスがあったので調べたら、某所に当ブログのリンクが貼られていた。カキコを読むと「だめだこりゃ、あ、こーりゃこりゃ」などと、当ブログの特徴的なフレーズがカキコしてあったりする。

 まるで私がカキコしたように偽装されてるわけだが、私のやったことではないので誤解しないでいただきたい。あんま、関わりたくないのが本音なのだ。

最上もが、でんぱ組incを脱退

 最上もががでんぱ組incを脱退した。

 普通なら卒業ツアーと称してライブをやり、卒業特需でひと儲けするところだ。事務所はそうしたかったはずなのに、できなかったのは深刻である。不仲説は本当だったかと、つい勘ぐってしまいたくなる。

 最上が他のメンバーに嫌われてても、彼女がいないと成立しないグループだろう。他のメンバーがマンガ週刊誌でグラビアやれるのも、今まで最上がグラビアをがんばってきたから、その恩恵を受けてるにすぎない。

 アイドルブームも一段落ついた。

 売れないグループは解散させるしかないし、黒字でものびしろが無ければ新グループをデビューさせたくなるのが企業としての芸能事務所のありかただ。リストラクチャーはしなければならない。

 そんな時代のできごとのように思える。

 ちと、寂しいことだけど。