安倍晋三と阿部寛(4)

 現在の日本が置かれてる状況を分析してみよう。

 民主主義陣営の一員として、超大国であるアメリカの属国として西側陣営の下請けをしているのがニッポンだ。そして自分たちよりも、はるかにデカいロシアと北方領土をめぐって戦わさせられている。しかも超大国である中国には、卑怯で狡いやり方で大切な科学技術を盗まれながら闘わざるをえない。

 そんな苦しい立場の中小国家

 それが現在の日本の状態ではないか。

 これは下町ロケット阿部寛が率いる佃製作所となんだか立場が似てるのだ。

 巨大企業である帝国重工(アメリカ)の下請けに甘んじる、中小企業の佃製作所(ニッポン)。そして自分よりもデカい企業である、ナカシマ工業(ロシア)と戦わざるをえない。帝国重工の下請け依存では自立もままならず、人工心臓分野に進出。しかしそこにはやっぱり自分たちよりもデカい巨大企業のサヤマ製作所(中国)がいて、卑怯なやり方でアイディアや技術を盗まれて大苦戦。自立の道は遠いにゃあ……。

 ……って、阿部寛安倍晋三、佃製作所と日本って、置かれた立場や状況が完全に一致やがな!

 そしてロケット打ち上げ(第一次安倍政権)に失敗し会社をクビになり(総理を辞め)、親の会社を継いで奮闘する2代目社長の阿部寛って、安倍家の選挙区を継いで奮闘する安倍晋三となんだか似ているのである。

 原作の池井戸潤安倍晋三安倍晋三をイメージしながら、下町ロケットを書いた……などと言いたいわけではない。どんな主人公にも挫折はあるし、自分よりもデカい敵と戦うしかないのだから、似通ってしまうのは当然と言いたいのである。

 このブログを読んでいるアナタだって、安倍晋三阿部寛のように挫折はしたろう。そして彼らのように自分よりもデカい敵と戦ってきた人生のはずである。

 物語の主人公と、自分の人生の主人公であるアナタは、共通点があるのが当たり前なのだ。自分と似ているからこそ、主人公に感情移入してしまうのである。

 そしてメガヒット作品は、それがリリースされる状況下と、よく似てしまうものなのだ。米国の下請けとして生きる中小国家の日本は、自分よりもデカい超大国のロシアや中国と戦わざるをえない。

 それは中小企業の佃製作所と同じ状況なのだ。

 そんな中で社員や国民は、強いリーダーシップを求めてあこがれるしかないのである。それが阿部寛安倍晋三であったりするのだ。それがぴったりと、偶然に一致したからこその、メガヒットだと思うのである。

 安倍研究を始めた私は、安倍ちゃんの演説動画をよく見た。あまりに特徴的で、個性的だと感じたのは「この美しい島に産まれ」というフレーズである。

 普通ならば「この美しい国に産まれ」と表現するところである。しかし国ではなく島という表現を選ぶ安倍センス。ひっかかったので掘り下げて深く考えてみた。

 まず日本という国の歴史を考えると、秋津州(アキツシマ)などと呼ばれたこともあったのだ。たくさんのトンボが飛んでいる島という意味である。

 日本という国ができるはるか昔から、我々は日本列島に住んでいたのだという長い歴史を表現するためには、国ではなく島でなければならないのである。

 そしてあくまで小さな島であって、巨大な大陸ではない。

 米国やロシアや中国のような、大陸国家や超大国ではない。それらとは違う、中小国家である島国が日本なのだと安倍ちゃんは定義したのである。

 しかも「美しい」島なのである。「強い」島ではない。米国ロシア中国のような、戦争好きな軍事大国の道は歩まない。強い国であり、戦争好きな国であることは、もう2度と目指さない。平和国家として生きるという意味と私は解釈した。

 そして「豊かな」島でもないことにも注目だ。米国や中国のような、経済大国ではない。経済における中小国家として、豊かではないけれど、美しい国として幸せに生きる。

 そういったもろもろの意味が、安倍総理の「美しい島」発言にはふくまれると私は勝手に解釈した。

 前述した「絶対に安全」発言といい、「美しい島」といい、トータルな印象として安倍総理は演説上手である。同様に阿部寛も「技術には絶対の自信がある」などと、ここ一番で宣言するスピーチ上手だ。

 自分の言葉を持ち、自分の言葉で語る強いリーダー。

 それを国民と視聴者が求めたからこそ、中小国家の総理としての安倍晋三、中小企業の社長としての阿部寛爆誕したのではないかと私は思うのだ。

 ただちょっと安倍ちゃんに苦言をていしたいのだが、英語でスピーチする際は、どうせ英語はうまくならないのだから発音などという細かい部分にこだわるべきではないと言いたい。

 もっと演説に感情をこめ、国民と総理の感情を諸外国の人々に伝えるほうが重要ではなかろうか。日本語のわからない外国人が下町ロケットを鑑賞しても、阿部寛の熱い想いが伝わるようにだ。

 そして阿部寛は社員たちを信頼しているが、安倍総理はとても国民を信頼してるようにも見えないのである。

 確かに安倍叩きしかできねえ無能なパヨクが多すぎなのはわかる。彼らだって国民だし、それを信頼しろというのはアベ的には無理だろう。

 しかし社員を信頼する社長を、社員が望むように、国民を信頼する総理を国民が求めるのは当然のことなのだ。「日本国民には絶対の信頼がある!」と断言できる、強いリーダーもまた望まれているはずだ。

 安倍ちゃんには、そこまで求めたいのである。