ある映画評論家の時系列(1)
町山智浩を発達障害と断定するな……という指摘を何人かの方々からいただいた。
超基本的なことを改めて説明するのも面倒だが、町山は自身の発達障害について「中途半端」に公言している。カミングアウトしているのか、カミングアウトしていないのか、微妙な状態なのだ。
どっちなんだよ!
……とムカつく読者もいらっしゃると思うので、時系列で解説したい。
町山の発達障害についてのカミングアウトの初出は、1991年1月に発売された『ファビュラス・バーカー・ボーイズの地獄のアメリカ観光』が最初である。町山智浩とガース柳下の対談でのことであった。
ネットで拾った当該部分を、以下に引用する。
ウェイン (略)タランティーノは十五歳で学校辞めちゃった。
ガース 何が原因で?
ウェイン 落ちこぼれて登校拒否してたんだ。そもそも小学校の頃から
落ち着きがなくて先生の言うことを全然聞けない子だった。
ハイパーアクティヴ(注1)だったんだよ。
ガース それ、あんたと一緒やん(笑)。
ウェイン そそ、だから他人とは思えない(笑)。でもオレはタランティーノ
みたいにリタリン投与されなかったけど。
注1:活動亢進。多動性障害。ADHD。
要注目なのはタランティーノが小学校の頃からADHDだったと町山が発言し、ガース柳下が「あんた(町山のこと)と一緒やん」と町山もそうだと指摘してるくだりである。
……と食いつきたくなるとこだが、ちょっと待った。町山は小学校の頃からADHDだったということは確定したが、このムック本が発売された1991年1月の時点で彼がまだADHDであるとは、書かれていない。
町山は小学校の頃からADHDだったが、中学生や高校生の頃にはADHDを克服しているかもしれない……という逃げ道を残している。
さらに町山は「オレはタランティーノみたいにリタリン投与されなかった」と釘を刺す。これをどう読むかは個人の判断によるが、うっかり「町山はリタリンを処方されていないので、タランティーノよりもADHDは軽度であった」と解釈してしまいそうなフレーズだ。
大人になった現在はADHDではないとアピールしているのか、あるいは町山本人が1991年1月の段階で自分がADHDではないと信じているのか断定できない。
町山智浩vs上杉隆の討論の中で、当該の部分についても言及された。以下に引用する。2012年1月から2012年2月にかけてのツイートである。
要注目なのは町山智浩のツイートで「僕の子供時代の障害」と子供時代の障害であることを強調し、「(町山智浩個人のADHDがどうかはわからないが、あくまで一般論としてADHDは大人になると)治ることが多い」と強調した部分である。
( )の部分は私が追加した。
上杉隆とパンダロウの間では、町山智浩は2012年1月の段階でも発達障害であり、カミングアウト済みという認識で語られている。
しかし町山のツイートを熟読すれば、2012年1月の段階では自身が今もなお発達障害かどうかは町山本人はカミングアウトしていない。それどころかあくまで一般論としてADHDは大人になると治ることが多いと町山はツイートしている。
2012年1月の段階では町山智浩はADHDは治っていると、うっかり解釈してしまいそうな文面と文脈だ。
2012年1月において、彼はADHDなのか? そうでないのか? 本人の口からははっきりとは語られていない。
子供の頃の町山はADHDだと公言したが、2012年の町山がADHDだとは公言されていない。カミングアウトしたのかどうか、はっきりしない。なんだかグレーというか、玉虫色というか曖昧な状態なのである。
町山がなにがしかのアピールをしようとしているのかもしれないし、あるいは町山本人が2012年の段階では治っていると信じているのかもしれない。あるいは信じたがっているのか。
この時の彼の心中を想像しようとすると、私はあまりにもつらい。町山が何か、あまりに深く傷ついているように思えるのだ。そして上杉隆への怒りがこみあげてしまう。ありえないよね、上杉。
そして、つらいが筆をさらに進めると、ADHDがなぜ発達障害と呼ばれるかといえば、病気と違って治らないからだ。そりゃごく軽度のものは治る。しかし深刻なものは治らない。だから障害なのだ。
そして町山智浩のアスペルガーについて調べようと、「アスペルガー」や「ADHD」で検索すると、衝撃的なものが表示されて凍りついた。
「大人のアスペルガー」「大人のADHD」「大人の発達障害」などと、ぞっとする内容が画面に表示されたのである。
ADHDって多くは大人になると治ることが多いんじゃなかったの?
なのになんで「大人の発達障害」なんてのが、社会問題になりつつあるの?
町山さん、もしかして発達障害の知識が足りないんじゃないの?
あるいは、発達障害の知識が古いんじゃないの?
町山智浩はADHDを「学校の授業が受けられない状態」という程度のごく軽いものと解釈していて、大人になった自分には関係ないと信じてるのでは?
……というわけで、これでも私は心を痛めたり、悩んだりしたあげくに、上杉隆が町山智浩にしたひどいことと同レベルのひどい発言を、町山が高須克弥先生にしてしまったので、さすがにマズいと思って筆をとったのだ。
すっごい安易に「町山を発達障害と断定するな!(彼はADHDではないのに!)」などと私に詰め寄らないで欲しいのである。
あなた方が考えているよりも事態ははるかに深刻だし、深刻すぎて簡単に結論が出せるはずもないのだ。
みんなで悩んで考えることしか、我々にはできない。
みなさんのお知恵を拝借したい次第なのである。