秘密(2)

 ●近親相姦しようとする妻を批判しない女性の奇妙さ

 内容がキモチ悪いと指摘する女性の意見が見られた。中年男性がJKやってる娘とセックスするかもしれない作品だから、女性が生理的にダメで当然だ。近親相姦であり、ロリであるから、ダブルでキモかろう。

 しかし気になったのは妻が娘の肉体で旦那とセックスすることを、嫌っていないことだ。むしろ、そうするのが当然くらいの勢いなのである。

 この部分に女性が違和感をもたない方が私には不思議で、旦那がキメぇとは感じても、妻がそもそもおかしいとは感じることはないってのが、奇妙に感じた。

 父親としか間違っているのは事実だが、母親も間違ってることを女性が指摘しないのである。この状況下では、たとえ近親相姦であろうとも、旦那とセックスしようとするのは、女性として当然という認識なのだろうか?

 そこまで頭がまわらなかっただけなのか?

 あるいは妻にそこまでやらせる前に、妻がそんなことしないように旦那のほうで誘導しとけってことなのか?

 オッサンの私には女心がよくわからないが、なんだか日本人女性に特徴的な印象を受けた。

 女性が娘をつれて再婚したものの、旦那が娘とセックスしはじめてるのに見て見ぬふりする母親……って、残念ながらよくあることなのだ。

 現実世界でありうる似た状況を探すとそれになるのだが、「女ってそうゆうもん」みたいな認識が、女性の側にあるとしたらひっかかるよな。

 女性はそうゆうもんなのだから、男である旦那が事前に防ぐべきってそんな認識なのだろうか?


 ●妻は近親相姦の拒否感が希薄

 気になったのは妻の方からセックスに誘ってることだ。女性的な行動という気もしないでもない。夫婦だからセックスして当然だし、セックスしたほうが夫婦関係は良好になるのは、はっきり口にはしないが女性ならよくわかってること。

 また、関係が壊れそうな場合、セックスで修復できることも女性はよく知っている(男性よりもね)。まあ、一時的で疑似的な修復でしかないわけだが……。

 映画の中では、旦那のためにセックス。あるいは夫婦ふたりの良好な関係のためのセックス……という体裁で、妻が夫に抱かれようとしている。しかも積極的に。

 この場合は夫婦関係が壊れようとしているので、一時的にでも関係修復しようとしてしまうのは、女性心理として当然なのだ。男性心理としても当然だし。

 しかし、よく考えたら、この場合は近親相姦というタブーを侵してまでセックスしようとしてるのは妻のほうなのだ。夫婦関係は極めて良好で仲はいいのだから、妻が旦那に抱かれたがるのはむしろ当然なのである。

 愛する人に抱かれて何が悪いの?

 愛し愛されることの何が悪いの?

 女性が最初に考えそうな、ド正論に従って行動してるように私には見えてしまうのである。もちろん近親相姦なんだから、最終的には妻は断るだろう。旦那に抱かれたがるのは女の本能だが、子供を守ろうとするのも女の本能だからである。母性本能だよな。

 ただこの映画のこの状況の場合、妻や女としての本能が最初に来て、かなり遅れて母性本能がやってくるように見えた。最終的には母性本能の方を選ぶのは間違いないが、ただ母性本能のほうが遅れてやってくるタイプの女性なのも間違いない。

 そのへん女性たちが完全スルーしてるのは、奇妙に感じた。心の中で「愛する人に抱かれて何が悪いの?」という最優先事項があり、それを優先してしまっているように、中年男性である私には見えてしまう。


 ●妻が「私もセックスしたい」と発言したら、旦那はどうしたか?

 映画を見る限り、旦那も妻とセックスしたがってる。近親相姦なんだから、迷わず断るべきところだ。なのに断るどころか、やろうかやるまいか悩んでいるのだから、明らかに娘の肉体をもつ妻を抱きたがっている。

 岸本可世子と広末涼子に血縁はない。演技派女優とアイドルだから、顔のつくりに共通点はない。二人は似ていない。

 しかしそれはキャスティングの問題でしかなく、あくまで作品上では母娘だから似てたりするのである。旦那的にはタイプの顔した娘かもしれないのだ。

 ロリ性癖の男性がロリ顔の中年女性と結婚。連れ子の娘はロリ顔で、現実にロリなもんだから、どストライク。ついセックスしちゃいました……というのも、よくあることなのである。いや、幼児レイプなんだけども。

 そして母親は旦那との関係性を優先し、見て見ぬふり……。

 残念ながら、よくあることだ。

 話を戻すと、映画の中ではセックスしたがってるのは、旦那ではなく妻のほう。肉食女性……というよりも、夫婦愛を最重要視するタイプの女性なのだ。

 そんな彼女が「あなたのために」と抱かれようとするのだから、旦那は断ることができた。

 しかしここで、「そもそもアタシが抱かれたいの。妻を幸せにするのは旦那の義務ではないんですか? 悪いのはアタシで、アナタは悪くない。アナタのためではなく、アタシのために抱いてください」という理論を展開した場合、旦那は断れなかったかもしれない。

 映画の中では妻自身は欲情してはいないが、欲情している旦那と夫婦のためにセックスしようとしている体裁である。しかし実際には抱かれたがってるのは妻のほう。

 だったら正直にそもそも自分が抱かれたいのだと発言し、旦那のためではなく、妻のためにセックスするという言い訳を与えてやれば展開は違ったのではないか?

 それで作品が深まる……ということは特にないが(笑)、ちと気になってしまった。