冷たい熱帯魚
「冷たい熱帯魚」を観賞。
冒頭はいらないと感じた。スーパーの控室から映画を始めたほうが、すぐに物語を始められるのでは?
吹越満の隠しても隠しきれないイケメン感やカッコ良さはなんなのだろうか? 役としては不要なので、イケメンアピールはしていない。
なのに、にじみだしてしまうんだよね。
ちょっとオザケンに似てるとも感じたけど。
神楽坂恵が最初から胸の谷間を強調するファッションで登場。エロい展開になると想定してたら、その通りに。「もっと殴ってください。もっと! ありがとうございます」と、ドMっぷりを全開にする。
これは何かの伏線なのか?
……と気になっていたら、回収されないまま終わってしまった。考えすぎたか。
たぶん男らしい男、父権的で圧力的な男性が好きという設定なんだと思う。だから後半になって主人公の吹越が、でんでんの影響で男性的になるにつれ、神楽坂が吹越に魅力を感じ始めてるように私には見えるのだ。
特に作品の中で効いてるとは思えないが、登場人物に一貫性をもたせるって大事なわけですよ。
吹越満って英会話のノバのCMに出てなかった?
吹越の演じる社本はシャモトと読むが、映画の中で名前を聞き取りづらいと感じた。久本としてヒサモトとした方が、聞きやすいよな。
でんでんが経営する店の女性店員の制服がエロいが、これってよくあること。事件をおこした新興宗教の教祖が、ミニスカート好きだったのだ。安いミニスカファッションの信者を躍らせて喜ぶ動画をニュースで見て、どんびきした記憶がある。
リアリティある描写なのだ。
黒沢あすかは筋肉質。ジムで鍛えてるのだろうが、さすが女優といったところか。普通のシーンでは見るべきところがないが(演技することが無い?)、緊張感のあるシーンではぐっと映えてくる。演技しろと言われたら、できるんだな。
何を演技すればいいのか、明確にわかるからだろう。
吹越満の娘役は、予算があれば小松奈々が適役だったかも。
吹越の演技は細かく表情が豊か。テレビドラマむきでメジャー感と高級感がある。吹越満とでんでんが、別格。本作をぐっと上の段階に引き上げてる。
日活の映画全般に言えることだが、低予算な安い画面はいかがなものかと批判したくはなる。しかし安い絵だからこそ、安い現実を描けるという側面がある。
本来は弱点だが、上手く運用して長所に変えてると思う。
死体を解体する建物が教会調なのはどうなのだろうか? イエスの像、マリアの像、ロウソクなんかも。
罪深さを描くにはいいが、ベタな感じもする。熱帯魚店のテキサスっぽいビジュアルとあいまって、トータルイメージを良くしてはいると思うが……。
テキサスっぽいとか、ロードサイドっぽいとゆうか、日本であって日本ではない感じとゆうか。
効いてはいるが、ちょっと気になった。
吹越がでんでんと黒沢あすかにコーヒーを入れるシーンが多いが、ここは毒殺展開にも使えるシーンだと思った。吹越が毒を飲ませてから、苦しむでんでんを刺し殺す演出でもよかったんじゃないかな。
でんでんの事務所にくるヤクザ。スーツのメガネの男がイケメン。迫力もあっていい。
でんでんは実の父親から幼児虐待を受けていた。頭のイカれた父親は教会風の建物にひきこもり、でんでんを虐待。でんでんはオドオドしてばかりいた。でんでんは吹越を、自分の子供の頃のようにオドオドしていると発言。これは伏線として効いてる。後で吹越は、でんでんのようになるから。でんでんは吹越に自分を父親と思って殴ってこいとも発言。
でんでんが吹越を追い込むシーンもいい。
娘のミツコをでんでんに預けたのは、吹越が妻の神楽坂恵と自宅で好き放題にセックスするには娘が邪魔だったからと喝破。しかもミツコがそれに気づいてると追及。貴様のような偽善者は嫌いと詰め寄る。
吹越がミツコに全ての判断をゆだね、察したミツコは家を出た。それが彼女の優しさだと。吹越が妻の居心地を悪くし、娘はグレさせる。でも自分では何も解決しないし、できない。
これは吹越にとって図星でもあったんだよね。
でんでんは吹越のメガネを外して投げ捨てる。知性や常識をはぎとり、成長をうながすわけだ。でんでんを父親と思って殴ってこいとけしかけ、自分を殴らせる。
吹越は「あー!」だか「おー!」だかの、なんとも形容しがたい声で絶叫。これはたぶん赤ちゃんの泣き声を意識して演技してるな。
母親の胎内で安楽に暮らしてたのに、苦痛に満ちた世界に放り出させる恐怖と不安で赤ちゃんは泣く。その泣き声。新しい自分を生み出してしまったことに、吹越は泣くわけだ。でんでん化した自分を、吹越は新しく産み落としてしまったのである。それを嘆き悲しみ、恐怖しているのだ。そうなってしまった自分への後悔もある。もう戻れない。
そうゆう泣き声。
ここの吹越の演技はすごい。
急に吹越が弱々しくなったので、でんでんは調子こく。でも、この時点で既に吹越は生まれ変わって別人になってしまったことに、でんでんは気づかない。
吹越に襲いかかられ、「シャモトくん、ちょっと痛い」といきなり敬語になるでんでん。力関係の逆転が一瞬で描かれる。吹越がでんでん化したのだ。
何度も突き刺される様子を見て、でんでんの妻である黒沢あすかがケラケラと笑う。黒沢はでんでんから吹越に乗り換えたのだ。彼女はその場で最も強い人物になびくタイプの女性だったのだ。
瀕死状態のでんでんが「お父さん痛いよ。やめて。お母さん早く助けて」とうわごとを漏らす。「お尻が痛いよ。もう悪いことはしません。ごめんなさい。お父さんには逆らいません。ごめんなさい」と謝り続けるでんでん。
作品では、全く描かれないが、でんでんの過去に起きたことは、たぶんこうだ。
でんでんの父は発狂し、でんでんを幼児虐待。でんでんの母は我が子を守るどころか、見ているだけ。その場で最も強い父親に、なびいていた。黒沢あすかがそうしてるように。そして吹越の妻の神楽坂も、その種の女性なのだ。
おそらく、でんでんは父親を殺した。でんでん最初の殺人がそれだ。でんでんは父親化したのだ。そしてでんでんは吹越の父親となり、吹越はでんでん化して殺人者になった。
でんでんが母親をどうしたのかは、わからない。殺したか、母を妻にしたかの、どちらかだろう。
そして殺人が始まった。
ま、こんな感じのバックストーリーがあったのではないかと。作品中で描くべきだったと、思うんだけどね。ここは足し算するとこじゃねえかな。
登場人物はそれぞれの結末をむかえる。
黒沢あすかは吹越に撲殺されそうになり、激怒。吹なく越がでんでんのかわりにはならないことに、気づいたのだ。そして吹越に刺され、でんでんの死体と寄り添って死んでゆく。彼女にふさわしいのは、吹越ではなくでんでんだと知ったのだ。
妻の神楽坂は吹越が刺殺。でんでん化した吹越に、彼女は魅力を感じてたように見える。しかし黒沢あすかみたいになった妻に失望したのか、あるいは最初から強いものになびく女性でしかなかったので、愛する女を間違ったと判断したのか、そこのところは、よくわからない。単純にでんでんとの浮気が許せなかったのかも。
娘は何回か刺すが、殺さない。一人で生きたいし、生きて行ける娘に対し、「生きていくのは痛いんだよ」と最後の授業をして、自殺。
自殺した理由はよくわからない。
自分が望んだ家庭はつくれないと悟ったからか、でんでん化した自分を許せなかったのか、そのへんの理由じゃなかろうか。
最後に自殺した吹越に、娘のミツコが「やっと死んだ」と冷たい言葉を吐きかけて映画は終わる。エバンゲリオンと同じラストだなー、という印象。
どうも園監督が交際してた女性が、園を捨てて別の監督と交際しはじめたらしい。で、声優にイレあげて捨てられた庵野秀明と同じ状況になったので、それがラストに反映されたのではないかと。
監督を女性が全否定して終わるラストなのは、そうゆうことではないのかな。