落合信彦が好きで何が悪い?(1)
対象が恋愛だの面接だの違いはあるものの、コンセプト的には今の藤沢数希に該当するものが、私の若い頃だと中谷彰宏とかあった訳ですよ。
— ボヴ (@cornwallcapital) 2017年7月1日
で、今と同じ様に情弱が爆釣状態だった一方で、それを生暖かく見守る勢も一定数いた訳ですな。
たまたま私は今も昔も後者っちゅうだけの事ですな。 https://t.co/RvfKlDpmuP
落合ノビーはガチだと思ってたに決まってるぢゃないか https://t.co/fmNPhRm0pU
— ボヴ (@cornwallcapital) 2017年7月1日
あのな、落合信彦は恋愛工学の藤沢数希や面接の達人の中谷彰宏なんかとスケールがそもそも全然違うんやぞ。
— ボヴ (@cornwallcapital) 2017年7月1日
ブルースリーに空手を教え、テキサスでジャイアンツを掘り当て、ブラックマンデーを予見してトランプに売り指令出して彼を破産から救ったんやぞ。
もうワイみたいな田舎モン爆釣られですわ。
落合ノビー、田舎の中学生だったワイなんかにモサドやCIAのこんな裏側まで教えて大丈夫なんか?スーパードライ飲んでる時に狙撃されへんのか?ってガチで心配してたからな。
— ボヴ (@cornwallcapital) 2017年7月1日
ネットの無い80年代バブル期は今思えば牧歌的だった。 https://t.co/vl9swkXcs1
中学生の時、落合信彦の本が近隣で最大の明石図書館に無くて、恐らくその理由は何らかの大きな力が及んでるからだろうって妄想してたからな。
— ボヴ (@cornwallcapital) 2017年7月1日
すぐ近くの明石駅の本屋ではノビーの本がコンプリートされてて、そこでよく購入してたのだが、何故か当時はその矛盾の原因に思いが至らなかった。
ノビーに騙される寸前で良かったじゃないですか。私は中高生の頃、完全に信じきっていたし、当時はネットなんて無かったから、アンチの意見を目にして彼を疑うキッカケすら掴めなかった https://t.co/ib3UmQdUY6
— ボヴ (@cornwallcapital) 2017年7月1日
幼稚園児・小学生の時は川口浩探検隊に釣られ、中高生では落合信彦に釣られたお陰で、それ以降は物事を疑って見るイヤな奴になってしまいました https://t.co/DuqFKpRmEF
— ボヴ (@cornwallcapital) 2017年7月1日
80年代バブル浮かれてた当時のジャパンで、ただでさえ暑苦しいルックスの落合ノビーが更に熱く、若者よ俺の様にドンドン海外に出ろ、俺に続くサムライを待ってるぜ、的な語りでスーパードライ一気飲みする訳ですよ。ネットの無い時代にね。
— ボヴ (@cornwallcapital) 2017年7月1日
もう私みたいな情弱田舎モンなんてイチコロですわ。
「就活生がフォローすべきアカウント」として、就活生必読の書を伝授しておく。
— ボヴ (@cornwallcapital) 2017年7月1日
『アメリカよ!あめりかよ!』落合信彦
『狼たちの世界』落合信彦
『モサド、その真実』落合信彦
『あめりか冒険物語』落合信彦
さあ、今すぐ、ブックオフの100円コーナーへGO!
落合信彦については、まずはグーグル検索して欲しい。検索結果に表示されたまんまの人物である。今からノビー(落合信彦の愛称のこと)について書くのは、検索ではわからない事実についてだ。それは彼の魅力についてである。世の中には検索ではわからないことが、沢山あるのだと私は言いたい。
落合信彦について知ったのは、広島の田舎の高校生だった時代。落合ノビーがドンドン海外に出ろ!と熱血して語り、田舎の中高生を煽りまくるわけである。あまりにカッコよすぎるあまり、真偽なんてどうでもよかった。
当時の私は田舎で鬱屈するダメダメ高校生。父親といい、高校教師といい、ショボかった。将来なるべき自分のモデルになる大人が周囲にいなかったので、それにかわるモノを探していたのである。
そんな高校生のど真ん中に突き刺さったのが落合信彦だったのである。
当時、中二病という言葉も概念もない。
1980年代というと、父権というものが失われて久しかった。それを求める少年たちが存在していた、最後の時代だったのである。当時の少年たちは、自分のなりたい「カッコいい中年男性」が周囲におらず、物足りなく感じていた。
あるいは自分に学びをくれる、中年男性に飢えていたのである。
落合信彦の類似商品として、当時は北方謙三や柘植久義などがいた。
読者層がかぶっていた様子はないが、北方アニィに「ソープに行け!」と一喝されて喜んでいた童貞高校生たちと、落合信彦読者は気分として似通っていたと思う。
柘植久義のファイティングマニュアルを熟読し、「ククリナイフは特殊な形状ゆえ、手元でのびてくるのか。注意しなきゃな。右ステップしてかわしつつ、掌底でアゴを打ち抜いてKOだ」なんてのも、学習していた。
当時の中高生は自分がどんな中年男性になればいいのか、さっぱり見えなくて困っていたし、カッコいい中年男性に説教されたがっていたのである。それによる学びにも飢えてもいた。
経済は右肩あがりだと信じられていたし、平和すぎる日本にうんざりしてもいた。デフレ経済から脱出できる気配のない現在とは違うのだ。北朝鮮の核開発も今みたいに進んでいなかったし、尖閣諸島に中国共産党軍がおしよせてもいなかった。
そんな時代に「国際政治の激動」を伝える落合信彦は、ひたすらカッコよく見えたのである。彼の肩書は国際ジャーナリスト。彼ほどカッコいいマスコミ人種は存在しなかった。
そりゃNHKニューヨーク特派員や、イスラエル駐在・朝日新聞記者なんてのは、当時だっていた。彼らは真実を報道しており、嘘はなかった。でもただの勉強のできる優等生にすぎず、カッコよくは見えなかったのである。魅力はなかった。
ノビーの原稿は嘘ばっかりだったかもしれないが、彼のカッコよさはホンモノだったのである。彼は「国際政治の激動」と「国際経済の魅力」を正確に伝えていただけであり、それ以外の細かい事実などどうでもよかったのである。
魅力のないNHK特派員よりも、魅力ある落合ノビーを選んでしまうのは、ごく当たり前のことだった。