AERAの竹下郁子記者が炎上(1)
TLに零戦を讃える人がたくさんいて、考え込んでしまう。「平和を考える機会」にはなってないようだけど→日本人操縦の零戦、東京湾で里帰り飛行 エアレースで:朝日新聞デジタル https://t.co/VNPMi6VD20
— 竹下郁子/Ikuko Takeshita (@i_tkst) June 3, 2017
零戦を、日本人操縦士により日本の空を飛ばせるプロジェクトのどこが「平和を考える機会」になるの? ch桜に出演した時はそんなこと一言も言ってなかったくせに。デタラメも大概にしろ。同じ連中が「バーチャル戦艦大和復元」とかもやってたけど、どう考えても最悪の懐古趣味としか言いようがないわ
— akabishi2 (@akabishi2) June 3, 2017
戦争の歴史をノスタルジーで上書きしてそれとは無関係な人になってしまえれば、そりゃ楽だろうけど。
— 竹下郁子/Ikuko Takeshita (@i_tkst) June 3, 2017
今を生きる私たちがすべきは、零戦に平和を奪われた人たちについて知ることじゃないの。2017年の東京の空を飛ぶ零戦を「美しい」「勇姿」と表現する人たちを見ると、これが「平和について考える機会」になっているのか疑問です。そこに人の痛みへの想像力はあるのでしょうか。
— 竹下郁子/Ikuko Takeshita (@i_tkst) June 3, 2017
ゼロ戦里帰りプロジェクトの石塚さん、チャンネル桜にもご出演されていた。いわく「零戦は特別な美しさがある」「零戦に戦争のイメージをのせるのは時代錯誤」「日本人であることに誇りを、日本の近代の歩みに自信を持って欲しい」「戦争は悪、過去は否定という絵図は違う」
— 竹下郁子/Ikuko Takeshita (@i_tkst) June 3, 2017
なるほど〜。
戦争への反省と「零戦カッコイイ〜」が両立する精神状態というのがマジで分からん。私にご意見をくださる皆さんが「加害」の視点がまるっと抜け落ちて悲劇の主人公気分なのも興味深いし、普段は中国や北朝鮮の脅威を煽っている人がこんなときだけ「平和な日本の空、ほっこり」とは?
— 竹下郁子/Ikuko Takeshita (@i_tkst) June 4, 2017
熊本城は間違いなく兵器ですよ、零戦もまた兵器です。其処に何の違いも見出せません。
— JSF (@obiekt_JP) June 6, 2017
零戦を正当化するためなら、復興に向かう熊本を平気で踏みにじる。そういう人たちが支持するイベントなのだ。
— 竹下郁子/Ikuko Takeshita (@i_tkst) June 6, 2017
私のあのプロジェクトへの違和感は、主催者側の過去の発言から見える歴史認識。歴史を真正面から背負わないんなら擁護するなよとしか。そして「熊本城も零戦も兵器として何の違いもない」という主張は、熊本城の現在までの郷土史を無視してる上に「零戦否定するなら熊本城も復旧しなくていい」は酷すぎ
— 竹下郁子/Ikuko Takeshita (@i_tkst) June 6, 2017
零戦が加害(戦争)の象徴なら、熊本城は差別(封建制度)の象徴と言う事も可能と思うが、そう言われると竹下氏は「怒りに震える」のだろう。熊本人が熊本城に愛着を持つように、日本人が零戦に愛着を持つ。そんなに難し事だろうか? https://t.co/eHa1xFJNxv
— Hazama Hisatake (@Hazama_Hisatake) June 7, 2017
学者や言論人や表現者が時々口にする「ものを言えぬ空気」と言うのは、正確に言うと「誰からも批判される事もなく私たちだけが特権的にものを言えなくなった」という事だ。言いかえれば、「学者も著名人も市井の市民も対等にものを言えるようになった」という事である。
— 井上リサ☆玄海紀行 (@JPN_LISA) June 7, 2017
エアレースの零戦飛行の感想を検索すると、零戦が平和な空を飛んでることを喜んでるひとがけっこういて(エアレースを見に行くような人たちだから、飛行機愛があるのがふつうなんでしょうね)、こういう人たちが戦争賛美の右翼に見えてるんだとしたら、その思い込みの方が怖いなあ。。とおもった。
— 笹井一個 (@sasaiicco) June 7, 2017
幕張の空で零戦の事ばかり話題になっているけど、零戦はあくまでエアレースのサイドアクト。エアレースが本命で、日本人パイロットが二連覇で優勝して世界ランキング現在トップになってるっていうのをもっとお祭り騒ぎでお祝いしたい!
— 宇海 (@y_ukai) June 7, 2017
AERAの竹下郁子記者というと、筆者の印象としては「特に美人ではないが、なぜかそそる。ヤラせてくれないかな。フェラは苦手そうだが、感じると声だしまくりそうなタイプだし……」というもの。
エロ目線でねろねろ視姦する程度の対象だった。
そんな彼女がゼロ戦について発言し、ウヨった人々から噛みつかれ炎上。
そういや竹下記者は前回はパヨク様から批判され、軽く炎上してたな。ウヨとパヨクからの両方から口撃され、大変な目にあいましたね! なんだか同情してしまう。
ウヨから攻撃されて炎上するのはしかたないが、パヨクに噛みつかれる様子はAERA記者としてどうかと思ったなあ。なんか炎上体質なんだろうか? 炎上アイドルの爆誕を、あらためて祝福したい。
本題に入ろう。
ゼロ戦も熊本城も、どちらも殺人のためのモノ。とはいえ、それも読み取り方しだいだ。竹内郁子記者にとって熊本城が殺人要塞ではなく、歴史的な建築物であるように、ゼロ戦が平和を誓うためのアイコンになるのも別に不思議ではない。
ゼロ戦は世界最高性能の戦闘機であると同時に、殺人兵器だった。
しかし世界最高性能であるがゆえに、それは日本人の「モノづくりの哲学」の象徴でもある。世界最高性能の戦闘機をつくる日本人だから、世界に冠たる日本車をつくり、戦後は平和国家として蘇ったのである。
戦後の平和と繁栄と、ゼロ戦はつながっているのだ。そしてそれに世界中で愛される日本のアニメである、ジブリの宮崎駿は自分を重ねた。「風立ちぬ」がそれだ。ゼロ戦を設計する主人公と、アニメをつくる宮崎駿は同じものである。
ゼロ戦が日本の戦後の繁栄と地続きというのが私の結論だ。
よって、竹下郁子記者に批判されるスジは全くない。