セクハラグラビア撮影で思うこと(1)
セクハラグラビア撮影事件で思うのだが、芸能界で上にいけるコはグラビア撮影でセクハラを踏み台にしてノシ上がるのだ。度胸が据わっており、腹もくくっている。だから上にいける。
セクハラで大騒ぎするコは芸能界で上にいけない。度胸もないし、腹もくくってないからだ。芸能界とはそうゆう世界である。
今回の炎上騒動では、そもそもグラドルでもないし、芸能界で上にいくことを目指してもいない女性たちが騒いでいる。そりゃ一般女性なんだから当然だよなあ……と私は考える。
グラドルでもない彼女たちが普段相手にしてるのは、自分たちが主催する撮影会にいそいそと参加するカメラ小僧たち。おとなしく従順な性格で、グラドルきどりのブスに一喝されたら子犬のようにおとなしくなる男性たちだ。
そんなカメラ小僧とグラビアカメラマンの区別が、芸能界の女性ならともかく、グラドルきどりのブスにつくはずがない。そりゃ、彼女たちは騒ぐよな。
プロのグラビアカメラマンに撮影されるとはいえ、彼女たちがもらうギャラは3万円くらいだろう。普段やってる撮影会モデルのギャラと、同じ金額か安かったりするわけだ。
カメラ小僧たちから貰うギャラよりも、プロカメラマンから貰うギャラのほうが安いのだから、そりゃプロに敬意を払えと要求する方が無理だろう。プロとカメラ小僧の違いが、そもそもないのだから。
プロのグラビアカメラマン、例えば篠山紀信・アラーキー(荒木経惟)・加納典明に撮ってもらえると喜ぶ女のコって今はいないのかもしれない。グラドルきどりのブスはもちろん、プロのグラドルちゃんだって。
撮影者の名前で写真集が売れることはないと、随分と前から言われていた。久松郁実や白石麻衣の写真集が売れるのは、彼女たちの名前で売れているのであって、グラビアカメラマンの名前ではない。
週刊プレイボーイ・ヤングマガジン・ヤングジャンプの表紙になった……というのなら、彼女たちは喜ぶだろう。だが篠山紀信にアサヒグラフで撮り下ろされても、嬉しくもないのが現実ではないか。
カメラマンの格よりも、掲載される媒体のほうがはるかに重要なことは、彼女たちはよく知っている。むしろファッション誌系のカメラマンのほうが、お洒落でカッコいい感じがして彼女たちは喜びそうである。せいぜいレスリー・キーあたりか。
「篠山さんに撮られました!」とサンプル写真をインスタグラムに投稿しても、アクセスが伸びない。逆にエロめの自撮りのほうがはるかに拡散されたりもする。
グラドルにしてみたら、篠山紀信に撮ってもらうよりも、自分で撮ったほうが広告効果や拡散力があるのが現実である。
グラドル本人 > (絶対に越えられない壁) > 篠山紀信・アラーキー・加納典明
……といった図式なのである。
篠山紀信が撮った山口百恵、篠山紀信が撮った宮沢りえ、そんな写真に胸をときめかせてた時代は、もう終わってしまったのだ。
それをさびしく思う。
そしてグラビアカメラマンとカメラ小僧の差がない時代だからこその、セクハラグラビア撮影騒動なんじゃないかという気がするのだ。
乳もまれて3万円のギャラしかもらえないなら、乳もませた後で弁護士つけて示談金をもらうほうがはるかに儲かる。今後はこの種のビジネスモデルが成立してしまうので、色々と気をつけるべきではないか。
今後はセクハラなど絶対にダメだし、セクハラしなくてもやったと騒がれたら炎上する時代になってしまったのだ。
業界人全体が自戒すべきだろう。