町山智浩が大変なことに

 町山智浩が大変なことになっている。

 彼の読者は元々から民度が高い人々なので、うかつに敵にまわしてしまうと大変だ。町山の知識不足による間違いや、論理の破綻をビシビシ指摘しはじめ、町山のボロが大量に噴出。

 しかも愛人の存在までバラされてしまい、大変なことに。カメラマンつれて取材したと妻に嘘をつき、不倫旅行してたことまでバレている。自分のブログに掲載した取材写真が、拾ってきたことまで。

 なんだか、大変ですね!

 民度の高い読者を求めてやまないのが、書き手のはず。しかし民度が高すぎるあまり、自分を攻撃しはじめるとツラいやなあ。

 元々、空気を読まなかったり、バランス感覚が欠如しているのがウリの書き手だった。80年代や90年代は、それが「やんちゃ」として愛されもした。奇人変人が編集するからこそ、面白い雑誌や単行本がつくれたのである。

 だが90年代の後半あたりから、出版業界内の奇人変人が嫌われ始めた。週刊プロレスターザン山本や、週刊SPA!のツルシカズヒコが更迭されたのである。ターザン山本の部下たちも少しずつ冷遇された。

 奇人変人が雑誌や書籍をつくる時代ではなくなってきたのである。

 彼らの奇行や「やんちゃ」を、出版業界人が嫌うようになったのだ。出版不況という、衰退期らしい状況なのかもしれない。それをさみしいと思う反面、そりゃそうだわなと納得したりもする。

 ターザン山本やツルシカズヒコが凋落するのはしかたがない。時代の追い風があってこその人たちでもあったのだから。だが町山智浩の場合は、追い風がなくても売れる本や良質な本をつくるタイプだった。

 しかし「やんちゃ」を嫌う空気感が、ついに町山に追いついてしまった。出版業界がそんな空気なうえに、読者たちまで「やんちゃ」を嫌うようになってしまったのである。

 やんちゃな奇人変人が雑誌をつくるから、面白いものができるはずだ。

 彼らはトラブルばかり起こしているが、そのトラブルは日常から非日常に読者を運んでくれる楽しい経験だったはずだ。

 でも読者たちがそれを不愉快なものと認識しはじめたのである。

 町山智浩と同種の人物として、浅草キッド水道橋博士がいる。

 彼も「やんちゃ」がウリで、読者はそれを愛でてきた。しかしネット世論を見る限りでは、町山智浩と同様に「やんちゃ」な態度が嫌われ始めている。芸人だから許されるとか、笑いのネタにしてるだけとか、その種の言い訳が通用しなくなってきているのだ。

 しかも彼らの「やんちゃ」を愛してきた、民度の高い読者たちが牙をむきはじめているのだ。元々の民度が高いから、批判しはじめたら鋭い指摘しかしない。

 そんな連中と戦って勝つって、無理だべよ。

 論争を100回やったら、100回は負けてしまう。

 だって町山読者や水道橋読者なのだから。

 彼らは民度が高い優秀な人々なのだから。

 「やんちゃ」を許容できなくなった、余裕のない今の日本は苦々しい。しかし時代と読者が変化してしまったのだから、町山智浩水道橋博士も変化すべき時期が来てしまったのではないか。町山と水道橋を置きざりにして、彼らの読者のほうが先に大人になってしまった。

 おそらく30年遅れくらいで、町山智浩水道橋博士は、大人になるべき時をむかえてたのだ。本人たちも気づいてはいるが、今のところうまく対応できていない。

 しめくくりにツイートを引用するが、こんなことを言われてるようではマズいよな。

 

>>テレビに普段出ない評論家に出ていただく以上は当然の配慮だったとは思うけど。

 

 この部分、テレビ慣れしておらず、ド素人まるだしの町山智浩を強烈に皮肉っているのである。普段はテレビに呼ばれない売れてない男が、スタジオの空気も読まないで何を調子こいてんだと釘を刺しているわけだ。

 動画を見たが橋下徹がかなり気を使っているように見えた。橋下徹水道橋博士が衝突した際も、先に歩み寄ろうとする態度をとったのも、橋下のほうだったし。橋下のほうが大人だよね。

 町山水道橋のおとなげない態度に落胆しているのは、何よりも彼らの優秀な読者たちだと察するのだが……。