桝野幸一が感じ悪すぎる件(2)
どうも南Q太との離婚の原因のひとつは、彼女のマンガについてネチネチと言及しすぎてしまったことだそう。風の噂でききました。
「元妻の絵柄が荒れている。ボクといた頃はこうではなかった。心配……」
だそうだから、ベタを塗ったり、スクリーントーンを貼ったりしてあげてたのだろう。枠線ひいといて! とケント紙と定規を投げつけられたりしたのかもしれない。家事や育児もがんばったんだろうなあ……。
ま、営業熱心な桝野のこと、オムツを換える短歌のひとつくらい詠んで、仕事につなげようとしたのかもしれない。その仕事は穂村さんに盗られたのかもしれないが。
妻を盗られ、仕事を盗られ、桝野さんは本当に大変ですね!
おっと、これは悪口ではありませんよ、心配してあげてるだけ。
あくまで桝野さんを心配してあげている、優しい善人が私なんです。なんて幸一くんの態度をパクってしまいました♪
脱線したが、旦那としてちゃんとやってもいたのではないかと察するのだ。
彼の離婚本を読んだ時に、子供をダシに元嫁に嫌がらせする離婚男によくある態度は見受けられたが、子供への確かな愛情へも感じられた。
元嫁への悪口を書かないのも、言質をとられたくない打算と、できればヨリを戻したい未練が入り混じった複雑な心理とお見受けした。
で、本題に入ってゆくと、桝野幸一が南Q太に対して意見してしまう失策をなんで犯してしまったかということなのだ。
本題にしたいのは、ココなのである。
彼が音楽ライターやってた頃からひっかかっていたのだが、90年代の頃から既に近田治夫の「考えるヒット」などに顕著なように、音楽理論の知識が必須になりはじめていた。
コード進行がどうの、この曲の元ネタは洋楽のアノ曲、なんて文章が増えてきたのである。アレンジや作曲の実務にかかわるようなことが言及されはじめたのだ。そして桝野幸一は音楽理論がわかってるようには見えなかった。
もちろん音楽理論についてまるで言及しない音楽ライターは沢山いる。
しかし音楽理論に無知なままで生き残る方法を小賢しく考えるよりも、愚直に音楽理論を学ぼうとする態度のほうが必要ではないかと当時の私は思った。自分が音楽ライターを志すなら、そうするなと。
しかし桝野幸一はそんな愚直な勉強をするタイプでもないのである。
で、困ったことに桝野幸一はマンガの実務的な部分、マンガ理論というのだろうか? そこを学びもしないくせに、実績ある南Q太に意見し始めたのではないかという気がするのだ。
具体的に言及してくと、例えばネームが彼に理解できるとは思えない。コマのリズムと、ここぞとばかりに使う大ゴマ。そういった技術的な部分を桝野が理解してるように思えないのだ。
マンガにとって極めて重要なことだが、それをわかる人間はなかなか少ない。「ネームがわかんない奴に、偉そうなクチきかれたくない」なんて、マンガ家さんは思ってしまうものではないかと察するのだ。
そりゃ桝野幸一は小賢しく頭は回る。
だからマンガ評論や、マンガ書評はこなれたモノは書くだろう。読者も業界人も騙されてしまう。ましてや彼は美文家だから。
でもそれは読書感想文に類するもので、マンガ実務に関わる具体的な何かではないのだ。彼はマンガ編集者としてのスキルも見識もゼロなくせして、いっぱしに意見するのはマズい。
桝野幸一が書けるのは、読書感想文でしかなく、マンガ実務のプロとしては一言もナメたクチきいてはいけない種類の人種なのだから。だってネーム、わかんないでしょ? コマ割りのリズム、わかんないでしょ?
ああだこうだと、もっともらしい反論を桝野はするだろうが、それが「小賢しい」というのである。
桝野幸一と南Q太が出会ったころ、彼女にとっては「アタシの漫画仕事(すなわち彼女自身)をよく理解し、興味を持ってくれる素敵な男性」に見えてしまったのだろう。実際にそうだったわけだし。
だけどそれってやっぱり、マンガ実務とは何の関係もないことなのだ。
音楽理論を愚直に勉強しないのに、音楽について小賢しく意見してしまう。ネームとコマ割りのリズムを愚直に勉強しないのに、マンガ家に小賢しく意見してしまう。映画シナリオ理論の勉強もしないのに、小賢しくうっかり小説を書いてしまう。
こんな小賢しい態度が桝野幸一に共通するものなのである。
それは一貫している。
そして彼には逃げ道がある。
ボンヤリと文章の上手な美文家なのである。
美文家だから、なんとなく音楽やマンガや小説をソツなくまとめてしまう。ボンヤリとお上手なことに彼は逃げてしまう。ケチをつけたくても、なんとなくケチのつけどころが見当たらない。
だけど、そうやって逃げ続けて20年。
ついに逃げ道がなくなってしまったよな。
次は何に逃げるのかな? 社会派のノンフィクションライターかい? その次は何に逃げるの? それとも新しい女こさえて、その女と離婚してネタにするの?
まあ、いいや、好きにするがいい。
彼のネタにされる女性がかわいそうだが、逆に桝野幸一との泥沼離婚をネタに出版社に売り込む最悪女子(しかもメンヘラ)だったりするかもしれんし、別にいい。
で、次回、桝野幸一の小説の致命的な限界について言及したい。
愚直に勉強することをサボり、小賢しく逃げる彼の体質が顕著に表れているからである。