石野卓球に怒られた件(2)
*2019年4月28日に追記*
私のブログアクセスが1万1千を超えていたのに衝撃を受け、調べてみた。石野卓球に引用されてのブレイクだ。前回に引用された時は、2千だか3千だかだった。改めてピエール瀧が逮捕されたことの、インパクトの強さを感じてしまう。
さて、石野卓球のツイートが気になったので、ちと検索してみた。彼が「坂上忍」「バイキング」でどのようなツイートをしているか、調べてみたのである。反省の色がないなどと批判されているようなので、現状を知りたくなったのだ。
ツイッターには高度な検索という機能があり、石野卓球のアカウントで「坂上忍」「バイキング」などで検索すれば、卓球が坂上忍とバイキングについてどんなツイートをしたかわかるのである。
すると石野卓球本人が、坂上忍とバイキングという番組に対し、名指しで批判や反論をした事実は一切ないとわかった。反省の色がないかどうかはしらんが、反論するつもりはなさそうである。
意外に小心な臆病者……と表現したら怒られるだろうか?
「坂上忍」「バイキング」といった直接的な名前はつかってないし、特に批判や反論をしてないのだから安全……と石野卓球本人が考えているとしたら、がっかりである。だったら普通におとなしくしときゃいいんじゃないかとも思ったし。
坂上忍という名前を出すのはこわいから、バイキングという名前は出す。しかしバイキングに対して具体的な批判はしない……というのも、腰がひけてやしないか?
スジ違いの批判をされたら、たとえ相手が坂上忍であれ、反論するほうがカッコいいなどと私は思ってしまった。
*追記おわり*
石野卓球には黒歴史のまんま、白歴史になることないなどと叱責された。
傷ついたりヘコんだりすべきなんだろうが、卓球に指摘される前に既にさんざん悩んだことなので、なんとも思わなかった。100万円欲しさにRTした時と同様にである。すでに答えは出ているのだ。悪いことなのかもしれないが、慣れてしまったのである。
白歴史になることは永遠にないから、黒歴史から灰色歴史に近づけてゆくべく過ごすのが、人生の味わいなのでは? としか言えないのである。多少は白くなったかなあ? くらいのトコで、一喜一憂する感じとゆうか。ご指摘はありがたいけど、今さらそんなこと言われてもなあ……という感じなのである。
世界的なアーティストの石野卓球に底辺の気持ちはわかるまい。しかし彼の仕事をささえている、周辺のスタッフさんたちはそんなもんじゃなかろうか。家計を助けるために、酒のアテを塩に切り替えたと書いてた音楽ライターもいた。なんだか鎌倉武士みたいだと、当時は思ったが。
過去のエロ仕事が彼の中で黒歴史になってるのは、想定はしていたがショックだった。言及された時の、ふるまい方も事前にシミュレートされたものとも感じた。それもまたショックであった。彼の過去の悩みみたいなものを、感じてしまったからである。
最初は好きで始めたエロ媒体での連載だったが、飽きたというのも深刻である。連載に飽きたというよりも、エロ媒体そのものに対する不快な感情に耐えられなくなったと理解した。それも共感してしまうのである。
飯島愛と似た感じとゆうか。
書きたいことはいろいろあるが、本人が嫌がりそうなので書かない。迷惑をかけるのも不本意だからだ。
トランスポーター2・その2
●魅力のない女優たちに興ざめ
肝心の恋愛模様もつまらん。
アラフォー人妻にいきなり欲情されるのだが、唐突すぎてモテてる気分になれない。ご都合主義すぎるんだよ。しかも仲良くなった子供の母親なので、セックスしちゃったら後味が悪い。子供を裏切ったような気分になるからだ。
こんなセックスは断るしかないし、実際にステイサムも断っていた。しかし本当に断らざるをえないセックスを、映画に登場させる意味があるのだろうか? ここは不要なシーンなのだ。
アラフォー女性というのも微妙だ。経産婦ゆえ、あそこの具合はむしろ若女子よりはいいらしい。とはいえ、アクション映画のヒロインがオバさんではマズいだろう。しかも貧乳。
普通のオフィス恋愛を描くなら、年相応にオバフォー女性がいい。むしろ年相応で、リアル感があるとゆうか。しかしアクション映画は、夢を描く作品だ。やはりアラサー女性あたりをヒロインにしてもらわないと困るのである。
JDに目の色を変えるバカになりたくないが、とはいえオバさんで大満足できるわけでもないという、中年男性心理を少しはわかって欲しいのである。制作のリュック・ベッソンさんには。
女殺し屋に何の魅力もないのも困惑だ。そばかすだらけのスリム女子で、メイクはスモーキーアイ。ベッソンさん好みなのはわかる。元モデルだそうな。
しかし細身すぎてバストはボリューム不足。肌にハリがなく抱き心地は悪そうだ。胸もお尻も、さわったら弾力のないしなびた感じが想定できて、ゲンナリなのである。運動不足そうで、お尻にも力感がないし。
そりゃベンソン的にはそんな女優が好みで、前作同様にハメたのだろう。新人女優には枕営業はつきものだ。そうゆうの好きそうである。ベンソン。実際にどうかは別として、私にはそうとしか思えない。
いや、しかし、貴様の趣味で魅力のない女優をゴリ推しされてもなあ。ベンソンが据え膳をいただく様子をイメージしてみたが、全くうらやましくないのである。
あの程度の金髪美女なら、六本木のストリップバーに普通にいるしなあ……。ちょい太だけど、肌に弾力あって抱き心地はよさそう。ダンスで鍛えたヒップは上向き。寄せて上げるブラでかき集めた、背中の贅肉とバストは巨乳すぎて最高だし。思わず下着にチップの一万円札をはさんであげたくなる。ベロニカちゃんという、ラテン系の素敵なコがいてですな……。
おっと話がそれた。しかも万券をブラに挟む金銭力がないので、千円札をはさんだら、しわい顔をされた苦い経験があるにもかかわらず、チップが万券と見栄をはってしまった。
ネットにカキコされて大恥をかく前に、いま自分でバラしておきたい。
アクション方面のアメニティが低下したが、エロ方面のアメニティも、やはり低下してしまったのである。
石野卓球に怒られた件(1)
有名人にSNSで口論をふっかけてストレス解消。よくいる人物に思えるが、私はそうは考えない。口論ふっかけたら、反論されるので再反論しなければならなくなる。ファンの人たちだって噛みついてくるから、論破したり謝罪しなければならない。
ストレス解消どころか、ストレスが増える一方なのだ。
思い出すのはのまねこ騒動の時に、エイベックスの社長にSNSで噛みついてる一般人がいた。本名も出しているから、匿名ではない。彼が人生で最も輝いてる瞬間だろうなあ…と思った。
彼がどんな生活を送ってるか知らないが、普段はエイベックスの社長よりもはるかにしょっぱい先輩や上司やクライアントにヘコヘコと頭を下げてるはずである。そんな彼の人生の中で、最大クラスの大物とかかわるのがその瞬間だろう。
はりきってしまうのは、わかるのである。
とはいえ、もう少し自分を客観視してもいいのではないかと感じた。やっぱり普段はもっとしょっぱい人たちに、へいこらしてる身分でもあるのだから。キレる時はキレてもいいが、怒りが冷めたら身の丈をふりかえるのも大事なことだ。
ZOZO前澤の100万円あげますキャンペーン欲しさの時も、私は迷わずRTした。物欲しそうな顔をしてる自分を醜いと感じたが、とはいえ1日かけて文章を書いて2万円の仕事を追いかけてる身分としては(しかも顔は物欲しそう)、100万円もらえるならありがたいに決まってるからだ。
プライドが無いのか?と問われたら、普段の生活にプライドもクソもないのに、100万円もらえそうな時にだけ、プライドを思い出しちゃうのも妙な話だしなあ……。ここで迷わず100万円をゲットする。それが俺のプライド!……などと、珍説をこねたくもなってしまうわけだ。
底辺暮らしはキツいものだが、それでも快適に楽しく過ごそうとすると、気分はマイルドになってしまう。マイルドヤンキーとゆうか、マイルド底辺。そうすると、有名人と口論してストレス解消…という気分にあんまりなれない。これもまた底辺の現実なのである。
トランスポーター2・その1
トランスポーター2を鑑賞。
面白いといえば面白いんだが、アメニティ(快適さ)は低下。残尿感のあるスッキリしない作品となった。中年だから残尿感はつきものなのかなあ? オシッコ切れも悪くなったし。
●アメニティは低下
特別な面白さや新しさはないが、ひたすら居心地がよかった前作。中年男性にとってアメニティ充実の、温泉宿のような作品であった。
しかし、それは低下。
微妙に居心地が悪いのである。
まずカーアクション。これは単純に前作よりもパワーダウンしたと感じた。要所でCGが挿入され、しかもCGとバレるので興ざめしてしまうのだ。CGならではの派手さもない。
なんだか、がっかりである。
バトルアクションの質も低下したのでは? テンポよく編集されたといえば聞こえはいいが、ジェイソン・ステイサムがどのように戦っているのかを空間的に把握できない。なんだかごまかされてるような気分になるのだ。
しかもボスキャラと女殺し屋とのバトルがあっさりしていて、満足感が低いのである。たぶんアクションのできない役者と女優なんだろうが、落胆させられた。もっとド派手に戦えよ。
●ミスキャストなのでは?
色々とミスキャストなのではないかとも感じた。
主演のジェイソン・ステイサムにギャラのほとんどをとられ、他の役者にまわす金がないのでは? 低予算ぽい90分映画だし。
ボスキャラのテロリストと、女殺し屋に悪としての魅力がないのである。しかも女優たちがフェロモン不足。子役の少年も単なる子供で、感情移入に必要なけなげさが無い。
どうにかできなかったのか?
トランスポーター(2)
●物語展開までも、ザ・昭和スタイル。もはや王道。
昭和スタイルの主人公を描くには、昭和スタイルの物語しかあるまい。実際にそのように展開する。監督のリュック・ベンソンは、昭和生まれの日本人ではないのだが……。
ワケありそうな荷物運びの依頼を受けるのは、いつものことだ。さっさと片づけて、普段の孤独に快適な生活に戻るつもりだった。
ところがどうにも不審なので、己のルールを破って運ぶ荷物の内容を確認。中身はかわい子ちゃん(魅力的な若女子を、昭和男性はそう呼ぶ習慣があった)。
どうも誘拐の片棒をかつがされてるらしいが、そんなのは俺の知ったこっちゃない。いつも通りに仕事するだけだ。この女が殺されようが、犯されようが、それも知ったこっちゃない。
しかし、無駄に苦しませるのはアレだから、飲み食いくらいはさせてやるか。ちと後ろめたくもあるし。アラサーの東洋系女性は魅力的で、どうやら俺に惚れてるらしい。
だが、それも知ったこっちゃない。
とりあえず女子を運び終えてひと仕事終えたら、車が大爆発。依頼者の野郎、俺を殺そうとしやがった。愛車はスクラップだ。なめたことしやがるタコは、制裁するしかない。
アジトに乗り込んでカンフーアクションで腐った奴らを全員ボコボコにしてやったが、どうもスッキリしない。壊れた愛車は戻ってこねえし。
全くついてねえ。それもこれも、運ぶ荷物を確認するという、己のルールを破ったせいだ。二度とこうゆうマネはしないと心に誓って帰宅した。孤独で快適な生活に戻るつもりだった。
なのになぜか先ほどのアラサー女子が一緒だ。東洋系だし、ラーメンでも食わせて追い出すつもりだったが、彼女は欲情。生理前のムラムラ期だったようだ。
チッ、嫌なシーズンの到来だぜ。
孤独で快適な一人暮らしを壊されたくはなかったが、彼女が積極的すぎたので、つい誘惑に負けて挿入。やっちゃうと、つい情にほだされてしまうのが俺の悪い癖だ。だからセックスはしないようにしているのだが、ついついその戒めを破ってしまう。
ワケありなアラサー女子の事情に巻き込まれ、映画の残り時間の半分を費やして、ワルどもをボコボコにするハメになった。
……って、書いてくあいだに、つい主人公のジェイソン・ステイサムになりきってしまい、文体が一人称になってしまった。居心地いい作品ってそうなんだよなあ。つい主人公と一体化してしまう。
何を言いたかったというと、自ら選んだぼっち暮らしなんだが、それでも若女子(といってもアラサーだが)にセックスを求められ、ついつい食べてしまう据え膳。
ムカつく野郎はボコボコにして、最後は女子の依頼を断り切れずに大暴れしたが、セックスに目がくらむようなバカではなく、かわいそうな子供たちを助けるためでした……的な言い訳まで用意されていて、ある種の中年男性にとって心地いい物語展開なのだ。
いい車に乗りたい。お気に入りのスーツも着たい。ムカつく野郎はボコりたいし、若い女に目がくらむバカにはなりたくない。年相応にアラサーちゃんとハメる賢明な男でもありたい。一発セックスしただけで、女の言いなりになるバカではないアピールもしたい。子供たちのためなら、いつでも一肌ぬげる男でもありたい。
そんな欲望を過不足なく満たしてくれるのである。
特別な何かや、新しさはないが、それでもやはり、居心地はいいのである。
トランスポーター(1)
トランスポーターを鑑賞。
特別に優れたものや、新しいものはないが、男にとって心地いいものしかない映画。昭和どころか平成も終わってしまう時代に、この種の懐かしい作品がつくり続けられるのは、中年男性にとってありがたいことである。
黒字は出たものの、続編をつくるほどのヒットではなかったそうだ。だがDVDがバカ売れし、シリーズ化が決定。中年男性がついハマってしまい、DVDに手が伸びてしまったのだろう。
なんだかわかるのである。
●昭和テイストな懐かしい感じの主人公造形
面倒な組織に所属することなく、一匹狼スタイルで運び屋をやる男。孤独を愛しているのだ。業界内での評価は高く、嫌いな仕事は断れる立場。過去に軍人経験があり、喧嘩は強い。
いい車(ベンツ? BMW?)に乗り、ドライビングテクニックは抜群。自分に最もよく似合うデザインの、高そうなスーツを愛用。
仕事とプライベートに自分のルールがあり、それに従って生きている。その方がストイックだが、快適でもあるからだ。
今風のイケメンではないが、仕事上で関わることになった女性には何故か惚れられてしまう。だが己のルールに反するので、セックスに誘われても断るようにしている。
……って、なんという古風なキャラクター。ザ・昭和のセンス。テレビ東京の深夜枠。なんだか、そんな感じである。
ぶっちゃけ、こんなキャラクター設定を企画会議でプレゼンされても、古すぎるからとボツにするしかない。
ボツにするしかないんだが、とはいえ自分以外の誰かが映画化し、それを鑑賞してしまうと、やっぱり見ていて心地いいのである。特別なものはないんだが、いいものはいいんだよなあ。
叶精作の新作劇画の読後感にも似ている。聞いたことない無名の原作者の名前がクレジットされているが、小池一夫が別のペンネームとしか思えないような安定したつくりのやつだ。
これもまた、新しいものは何もないんだが、ひたすら居心地よく退屈しない。アメニティの高いエンタメ作品としか、形容のしないものなのだ。
そして私はそんな作品もまた好きなのである。
隠し剣・鬼の爪
隠し剣・鬼の爪を鑑賞。
なんとなく藤沢周平の物語づくりとキャラづくりのパターンみたいなものが見えてきて、勉強になったりもしてきた。自作の参考にしたいところである。
●永瀬正敏の演技について
海坂藩とゆうか、山形県民の朴訥さや純朴さを、MAXで演じきったのはぶっちぎりで永瀬正敏。とぼけた味わいを出しすぎかもしれないとも思ったが、いやいや、藤沢作品のこの部分を原作以上に表現したのはさすがでしょう。
剣劇シーンの動きもキレがよく、アクションシーンで鍛えた真田広之でもないのに、ここまで遜色ないとはさすがとゆうか。鬼の爪が閃くシーンも、無駄のない動きでサクッと殺す凄みを、凄みを抑えつつさらりと普通に演じててさすがと感じた。
もっと時代劇で見たいと感じた。
●松たか子の演技について
時代劇なのに松たか子が現代人にしか見えないと不評だ。しかし、こんなもんじゃないか? 松たか子の役は竹内結子や木村佳乃が演じても、同じものになるのではないかと私は感じている。3人とも過不足ない感じが似てるとゆうか……。
●隠し剣・鬼の爪のシーンについて
私は重要なシーンはじっくり長く見たい派である。
だから永瀬正敏が鬼の爪を練習するシーンは、もっと長い時間をとって欲しかった。永瀬の殺意や必死感がじわじわと高まり、頂点に達するとこが見たかったのである。
実際に殺すシーンも同様。
必殺仕事人なら、テーマソングが鳴り始め、これから殺しますよと盛り上げながら、殺意が高まる永瀬が見栄をきりながら、しかしサクっと殺しちゃうとこだ。
そうゆうところを、ついつい見たくなってしまうのである。
しかし、それをやってしまうと、安物っぽくなるという批判は、あえて引き受けたい。
確かにとぼけた味わいで主人公を演じた永瀬正敏が、暗殺するというのに力むことなく、あっさりと殺すからこそ凄みがあるのだというのは、よくわかる。
日常生活のなかで、無駄な動きや力みや感情もなく、手ぎわよくさくっと暗殺。だからこそ、やばい。
御説ごもっとも。ザ・正論。反論の余地などない。
しかしなあ……。あまりにもあっさりしすぎて、薄味にも思えてしまうのはしかたないじゃんな。長い時間をとって、ゆっくりたっぷり盛り上げつつ、劇的に殺すシーンをついつい見たくもなってしまうのである。
批判する意図はないので、許してくれい。
●吹越満について
たそがれ清兵衛のとこで書き忘れたので、ここで書いときたい。
いいヤツなんだが頼りない友人役を、吹越満がリアル感たっぷりに演じた。そうゆう人にしか見えない。吹越がもともとからもってる、カッコよさというのを完全に消し去ってる。
すごいと感じた。
冷たい熱帯魚では、吹越は似た役を演じた。いいヤツで知的インテリなんだが、頼りないというキャラだ。
しかしその時は隠しても隠しきれないカッコよさがにじみ出ており、カッコよさは出しといたほうがいい役と判断した吹越がそう演じているのである。
イケメン感を出したり引っ込めたりできる役者って、吹越満くらいじゃないかと思った。
普通はイケメン感をだそうとしても、本人がカッコよくないから無理だったりする。またイケメン感を隠そうとしても、カッコいいからできなかったりもする。
ただ吹越満はそうでないのである。