まほろ駅前多田便利軒(1)
「まほろ駅前多田便利軒」を鑑賞。
古谷実の「稲中卓球部」の影響化にある作品ではないか? 笑顔をつくれと言われて、変な笑顔しかつくれないシーンを、古谷実のマンガで見たような気がするのだ。
もう一つは稲中卓球部に出てくるホームレスの中年男性。あしたのジョーみたいな髪型が印象的な井沢と親しくなるキャラクターがいるのだ。
彼は水族館のイルカに感情移入しているのだが、ある時にイルカが彼に話しかけてくるのだ。「人間のあなたがイルカの私と一緒にいるつもりなのだろうけど、本当は違うの。イルカの私が、人間のあなたと一緒にいてあげてるのよ」と。
他人に必要とされつつも、同時に他人を必要とするのが人間なのだ……という深みのあることが描かれているのだ。ところがホームレスの男性は「驚いたなー」ですませてしまい。それ以上は掘り下げることはない。
ギャグ漫画だから掘りさげる必要はないのだが、しかし印象的なシーンである。このニュアンスが映画の後半で、主演の瑛太と共演の松田龍平の関係性で描かれるのだ。
瑛太にとって松田は突然に押しかけてきて、住むことになった男だ。何か孤独をかかえてそうな松田に、瑛太は一緒にいてあげるつもりだった。
しかし実は逆で、松田が瑛太に一緒にいてあげていたのだと、瑛太は気づいてしまうのである。松田が瑛太の元を去り、いなくなってからそのことに瑛太は気づく。
結果は松田が瑛太の元に戻ってきてハッピーエンドになるわけだが、これは「仮の結末」と感じた。真の結末は、やはり松田が瑛太の元を去ることだろう。
そして松田の小指を切断したという過去の罪の意識から、瑛太が解放されることである。
松田龍平のキャラづくりにも、古谷実の「ヒメアノール」の影響を受けたのではないかと感じた。喧嘩は強くはないが残酷な行為が平気という松田のキャラが、ヒメアノールに出てくるのである。映画では森田剛が演じた。
瑛太と松田の関係性も同様だ。瑛太は松田の小指を事故で切断した過去があり、それに後ろめたさと罪の意識を感じている。そしてそれが二人を結び付けているのだ。
これもヒメアノールの主人公と、殺人男との関係性と同じなのだ。殺人男は学生時代にイジメられ、オナニーさせられたのだ。それを主人公は見て見ぬふりをしたのである。
そしてその罪の意識が、二人を結びつける。
なんか、こう、似た感じがあるなあ……と私は思った。
安倍晋三と阿部寛(2)
下町ロケットにおける阿部寛と、日本国総理大臣の安倍晋三は似ている。背が高いことと、演説上手なところである。
阿部寛は背が高く、帝国工業の財前部長と並んでも見劣りしない。むしろ吉川晃司よりもデカい。物理的に上から目線。だって身長190センチ越えだもんなあ……。
つまらない冗談はさておき、阿部が社長やってる佃製作所は、吉川晃司が部長やってる帝国重工の下請けでしかない。格下なのだ。
だが部長の吉川はおろか、社長の杉良太郎や神田正輝と並んでも、やっぱり阿部寛は見劣りしない。むしろ身長が高すぎるから、物理的に上から目線だ。
格下なのに、なぜか漂う格上感。
そんな阿部は、佃製作所の社員やドラマ視聴者、ひいては日本国民にとって頼もしいリーダー像を体現しているのである。
これは安倍晋三も同様だ。
安倍総理が特徴的だなあ……と思ったのは、世界各国の代表と並んでも、全く見劣りしないことである。日本の総理は各国首脳と並んだ場合、明らかに見劣りすることが多かった。相手は白人黒人なのだから、当然である。日本人は小柄だ。
しかし、安倍ちゃんは違う。
米国白人のトランプ大統領と並んでも、見劣りしない。むしろ国際政治の中で友達がいないトランプが、シンゾーに依存してるかのように見えてしまう。
米国の属国でしかない日本なのに、安倍トランプのツーショットを見ると、なぜか晋三のほうが格上に見えてしまうのである。彼は妻の安倍昭恵にすら、リーダーシップがないにもかかわらず。
そしてロシアのプーチン大統領と並ぶと、なぜか安倍ちゃんのほうがデカく見えてしまうのだ。プーチンていどなら、北方領土くらい戻ってきちゃいそうな気がしたのである。
実際にはプーチンは独裁者だし、ポロニウムで毒殺するくらいは平気という、とんでもない野郎である。晋三ごときにどうこうできる相手ではない。
こんな総理大臣、いたっけかなあ?
あまりに異色な総理大臣として、私は記憶してしまった。これまでいなかったタイプである。
しかもローマ法王すら40分も待たせるプーチンを(アスペルガーとされる彼に時間管理能力がない説もあるが)、逆に5分も待たせる大物ぶり。
もちろん中華人民共和国の習近平と比較しても、安倍ちゃんは見劣りしない。経済における日中のパワーバランスは完全に逆転。中国の方が上である。軍事的にもだ。
地球に超大国は3つしかない。
米国、ロシア、中国だ。
その3カ国の首脳と並んでも、ビジュアル的に見劣りしない安倍晋三。むしろ格上感すら漂う安倍ちゃんは、日本国民が求めてやまない「強いリーダーシップ」を、肉体で体現した男なのである。
そしてそれは、自社よりもはるかに大きい巨大企業の社長たちと並んでも、はるかにデカくて存在感のある、下町ロケットの阿部寛と同じなのである。
日本人が求めてやまない強いリーダーシップを、己の肉体で表現できた安倍晋三は高支持率を獲得。一方の阿部寛は高視聴率をゲットしたのではないかと私は考える。
ここまで安倍晋三と阿部寛、ふたりのアベの人気を身長という切り口で分析してみた。次回は演説上手という切り口で分析してゆきたい。
安倍晋三と阿部寛(1)
池井戸潤作品は、ついついチェックしてしまう。作品内容はすばらしいのはもちろんだが、なにより売れてるからだ。それも、現代日本の感情をとらえてる気配がある。
マーケティングしたくなるよなあ……。
なんて、よこしまな目線で視姦してしまう。自作の参考にしてしまいたくなるのである。自分は醜くて狡い人間だが、これはもうしょうがない。
その上でじっくりと下町ロケットと陸王を分析したわけだが、やはり今は「強いリーダーシップ」が求められていると感じた。池井戸作品で阿部寛と役所広司が表現しているのは、つまるところそれしかないのだ。
地上波ドラマの下町ロケットは一言で要約できる。
「阿部寛がひたすら演説と説教をする番組」
もう、ほんとそれだけ。それだけのために、この番組はつくられている。阿部寛の演説を輝かせるためだけに、全ての創意工夫が集約されているのだ。
そして阿部寛が体現しているのは、強いリーダーシップである。
ロケットを打ち上げるという、明確なビジョン。それが佃製作所を支え、全社員に浸透している。阿部寛は「技術には絶対の自信がある」と吠える。
思わず視聴者は感動してしまう。
しかしそれは「日本の技術はすごい」という、日本すごい教の信者になってしまったからではない。社員を信じる阿部寛のゆるぎない態度にしびれるのである。
阿部寛が「技術には絶対の自信がある!」と宣言するのは、社長としての自分の先見の明や経営方針を誇っているのではない。自分が経営する会社の、社員たちの技術能力と勤勉さを誇っているのである。
阿部が絶対の自信をもっているのは、技術ではない。自分が雇用する社員たちなのである。阿部が「技術には絶対の自信がある!」と宣言するとき、視聴者は裏の意味を無意識に読み取る。
「ウチの社員には絶対の自信がある!」
社長である阿部寛が、社員に絶大に信頼し、それを帝国重工であろうが自分よりデカいライバル企業であろうが、照れも恥ずかしがりもせず、正面から堂々とデカい声で吹聴してまわるから、視聴者はぐっときてしまうのだ。
熱いものがこみあげてくるのである。
ドラマの下町ロケットで象徴的だなあと感じたのは、吉川晃司と阿部寛が二人で語り合うシーンである。
吉川晃司はとにかく背が高い。そんな彼がロケットエンジンの前で、スーツを着こなしてイケメンぶりを表現している。そしてその横に立つ阿部寛は、吉川晃司よりも背が高いのだ。
吉川晃司よりもデカい阿部寛。
阿部のあまりのデカさに爆笑してしまったが、それだけ見栄えのある役者だからこそ、あの演説と説教が似合うのである。これがイケメンとはいえ、おチビちゃんだったら、何の説得力もない。
強いリーダーシップを感じさせないのだ。
一説によると阿部寛はあまりにも背が高く、チェ・ホンマンのような巨人イメージがついてしまうのを本人と事務所が恐れたそうな。なので実際には身長190センチを超えているにもかかわらず、身長を低くサバをよんでいるらしい。
そんな裏話がある。
リーダーとして見栄えのいい、高身長な阿部寛が演説するからこそ、あの演説に説得力が産まれる。主演を誰にするか考えた時に、迷わず阿部寛を選んだプロデューサーはすばらしい。
そして強いリーダーシップが求められていると、日本の状況を分析したとしよう。するとどうしても安倍晋三を思い出してしまう。
どっちもアベだしなあ……。
50音はアイウエオの「ア」から始まるから、日本の先頭をアベが立つのは、名前からして既にリーダーシップがあるよなあ……。
鼻くそをほじりながら、ついついユルい冗談をかましてしまうわけだが(しかも金玉をかきながら)、2018年の段階で日本人が求めていた「強いリーダーシップ」を体現していたのは、阿部寛と安倍晋三であり、それらは共通していたのではないか?
そんな論調で次回以降、掘り下げてゆきたい。
下町ロケットが視聴率不振
■下町ロケットが視聴率不振
下町ロケットが視聴率不振だそうな。そりゃ前回のヒットと比べれば少ないのだろうが、13.9%なら大成功じゃないの? これから視聴率も上がってくだろうし、まだまだ期待していいと思う。
その上で「仮に」視聴率不振ということにして分析すると、主な理由は飽きられたことなのだと思う。地上波放映では二回め。しかし同種の作品として陸王があるから、実質的に三回めの放映だ。
飽きられるのは無理もない。
むろん、それをスタッフは想定している。原作がそもそも趣向をこらしているし、シナリオライターを変えるなどして、変化をつけようとしている。キャスティングも色々と冒険している。
確かに下町ロケットのキャスティングには、色々と違和感がある。陸王の方が不自然ではなく、すわりがいいと感じた。
しかし冒険的なキャスティングの下町ロケットとはいえ、役者さんの違った魅力を引き出すことに貢献してると思うのだ。悪役のピーターには違和感があったし、陸王のピエール瀧のほうがおさまりはいいと感じた。鉄板の岸部一徳や國村隼で良かったのではないかとも思うし……。
とはいえ見慣れてくるとピーターの悪役も、なじんでくる印象もあるのだ。神田正輝の悪役も何か違うと思わざるをえないが、慣れてくると違う印象がわいてくるのではないか。
ピーターと神田の演技キャリアの上で、ターニングポイントになるのは間違いないし。本作によってステップアップするのは、間違いない。彼らの違った引き出しを開けられたのは現実だと思う。ベテラン役者ふくめて、育てるキャスティングと感じた。
何より他作品では見られない悪役として、ピーターや神田正輝は異色であり個性的と感じた。視聴者がミスマッチと感じざるをえないものを、個性的な魅力に変えてくのが大事なとこと感じた。
●成功しているバラエティ枠の役者起用
ネット世論を見ると、バラエティ枠のキャスティングが批判されてもいた。確かにバラエティ枠という「枠」を感じるし、それがゴリ推しや無理推しに感じてしまう人もいるだろう。
しかし下町ロケットにおいて、バラエティ枠のキャスティングは、上手く機能していると感じる。前回のバカリズムの起用も、主要な役者さんよりもほどよく地味で、メインの役者を食わないサジ加減はほどよいと感じた。
そのくせ、「仕事人」としての存在感はしっかりしている。
バラエティ番組の熾烈な競争で勝ち残って来た芸人枠の人々だからこそ、理系エンジニアの地味さを表現できる。また地味だが、職業人としての輝きと迫力を醸し出せるのだ。
いわゆるバイプレーヤーの役者さんとは、違った味わいが出せるのだ。イモトアヤコの地味なビジュアルながら、誇りをもって仕事に取り組む感じなど、身体をはって世界中でロケしてきた彼女とマッチしてると私は思ったのである。
そりゃ、色々と足りないところも感じる。
佃製作所の試作品を初めて手にした時は、もっとフェティッシュな感じで踏み込んだ演技でも良かったと思うのだ。理系女性の役なのだから、試作品をもっと目線でなめまわし、試作品の手ざわりを楽しむ様子があってもいいと感じた。
2話めの愛車を修理するシーンも、車を愛する様子が足りないと感じた。そこはもっと大げさでわざとらしくてもいいから、視聴者にもっとわかりやすく伝えるべきではないかと思う。
役者頭や役者脳は、まだまだだと感じた。
しかしイモトアヤコがここまでやるとは私は想定しておらず、期待以上である。伸びしろのある楽しみな女優と感じた。地味女子役の中で、メインキャストを食わない範囲内で味わいを表現してく女優に大化けしそうなのである。
●石原プロダクション枠の起用も成功では?
帝国重工の配役にも注目している。杉良太郎、神田正輝といった顔ぶれで、歴史ある名門企業の大物感を出ていると感じた。佃製作所の徳重聡がいるとこからも、石原プロ枠のようなものがあるとの感触を受けてしまう。
とはいえ徳重聡、やるではないかという印象だ。
ぶっちゃけデビュー時の石原プロのゴリ推し感には、顔をしかめた。無理して売ってる感はあったのだ。顔もいいし、背も高い。役者としての華はある。とはいえ演技力は足りないでしょ。
そう思った。
しかしドラマの「相棒」でのテロリスト役が良かった。武器を持って戦う姿が絵になり、さすが刑事ドラマの石原プロ出身! と印象ががらりと良くなったのである。
そして本作での変人理系エンジニアの怪演。
これがあの大根役者だった徳重か!?
……という変貌ぶりに衝撃を受けてしまった。主演の阿部寛が扱いかねているヤバい感じがビンビンで、イケメン感はゼロ。別人になりきる演技力に、うなってしまった。
いつのまに、演技派に大化けしちゃったの?
デビュー当時の大根役者っぷりに辟易とさせられたものだが、キャリアを積んで成長。今ではすっかり演技派に。才能を見抜けなかった、当時の私の見識のなさを、お詫びしたいくらいである。
黄金を抱いて飛べ
黄金を抱いて飛べを鑑賞。
●取捨選択を間違った作品
取捨選択を間違った作品ではないか。長編小説をそのまま映画にするのは映画の尺は足りない。何かをバッサリ捨てなければならない。それに失敗してしまったのではないか?
本作で重要なのは、浅野忠信と妻夫木聡のボーイズラブ的な友情と、西田敏行の父子関係だ。この三人に焦点をしぼり、そのために必要なエピソードがあれば原作になくても追加すべきだ。
チャンミンは実は不要なキャラで、時限爆弾を制作するのに必要なだけ。バッサリ削除すべきだったと感じた。皆で韓国や北朝鮮に逃亡するのかと思ってたら、そうでもないし……。
全ての登場人物を均等にとりあつかったら、均等に中途半端になってしまった。説明不足である。
●映画そのものはスリリングで退屈はない
ひたすらダイナマイトの力押しで、金庫の中に黄金があるか否かすら不明……って、いかがなものかとレビューにあった。
しかし見てる限りでは退屈はなく、ハラハラさせられた。緊張感のあるエキサイティングな映画で、見て損するものではない。そこはわざわざ指摘するところでは、ないかもしれん。