町山智浩が万引き家族を擁護する本当の理由

 まず下記のURLから「万引き家族」の評論を引用する。

https://miyearnzzlabo.com/archives/50733

町山智浩)スーパーでほんの少し、家族全員が食べるご飯をとっているだけなんですよ。それで「万引きなんかしやがって! 万引きなんか犯罪じゃないか!」って……ちょっと待て。彼らは働いていてもご飯が食べられなくて、わずかな食べ物がほしくて万引きをしているんですよ。この映画の中でね。それ、スーパーとかで年間、どれぐらいの食料が賞味期限切れということで捨てられていると思いますか?

町山智浩)600万トン以上ですよ。600万トン以上の食料が廃棄されているんですよ。それをたとえば食べれない人たち、ホームレスの人たちに行き渡ったら、それだけで相当救われるでしょう? そういうことをしていないじゃないですか。

町山智浩アメリカやヨーロッパはしています。そういうのが無駄にならないように、全部タダで配っていますよ。

 

 映画の「万引き家族」についての町山智浩評だ。映画の中での万引き行為そのものを批判する気はなく、しかも最後の方では欧米のように賞味期限切れの食糧を無料配布しない日本のスーパーへの制度批判になっている……と読めてしまうのは私だけだろうか?

 町山智浩は言質をとられるようなヘマはしないので、そう断定することはできない。

 ただ、そうゆうことよりも、なぜ町山がここまで万引き家族に感情移入し、また万引き行為を批判するつもりがないのか、食糧を無料配布しない日本スーパーを批判するのか、以上の3点を推測したい。

 ポッドキャストだかラジオだか忘れたが、町山は興味深いことをポロリと漏らしていた。米国在住で今ほどライターとして売れてなかった彼は、生活に困窮。米国のスーパーで廃棄処分にする食品をタダでもらって食いつなぐという経験をしていたのである。

 フードバンクというシステムで(それも町山が解説していた)、妻と娘も廃棄食品を食べていたのかはわからない。もし、そうだったら、優しい町山のことだ、心を痛め、妻子に申し訳なく思っただろう。

 妻子が廃棄処分される食べ物を口にすることはなかったとしても、町山本人はフードバンクに通ったのだ。ホームレスたちと一緒に、行列に並ぶこともあったのだろうか? 繊細で傷つき安いタイプに見えるから、プライドは傷つき、みじめでつらい思いをしたに違いない。

 ホームレスをバカにしてはいけないが、しかしホームレスと同じ扱いをうけるのは、屈辱的なものである。

 映画の「万引き家族」のような、ギリギリの貧困生活を町山本人が経験してしまったと考えてよかろう。その苦い体験が、彼のトラウマになってしまったのだ。

 さすがにこんな生活にウンザリしたのか、妻はマイクロソフト勤務になり、稼ぎの少ない町山に三行半をつきつけた。捨てられたくなかった町山は発奮。年収を3倍にし、ようやくセックスもさせてもらえるようになった。

 ……といった経緯があるのだ。

 全て町山がネットやラジオで話してたことである。

 スーパーから賞味期限切れの食品をタダでもらえるから、町山智浩は万引きしないですんだ。しかしフードバンクがなかったら、スーパーで万引きしなきゃならなかったかもしれない。

 家賃が支払えてる間はホームレスではないが、それすらできなくなったら、今度はホームレスになって、ホームレスと一緒にフードバンクに毎日通うことになる。恥ずかしながら、筆者も無職だった頃はホームレスになる恐怖と戦った。

 貧困ゆえに食料品を盗む万引き家族は、町山智浩にとって他人ごとではない。過去の自分の体験なのだ。

 そりゃ万引き家族に感情移入しちゃうよな。

 万引き行為を批判する気が失せるよな。

 ちなみに火垂るの墓でも町山は、餓死した妹に感情移入していたが、万引きでもしないと餓死するかもしれなかった自分たちを重ね合わせていたのではないか?

 まして火垂るの墓は、兄と妹が疎開先で苦労する映画。

 兄妹の疎開先とは、在日韓国人町山智浩にとっては自分たちの移民先と感じられたのではないか? そんな場所で妹が餓死するのだから、町山的には身につまされてしまう。

 そして町山智浩には妹がいるのだ。皆さんよくご存じの、放送作家町山広美である。映画の中の兄妹の悲惨な体験が、他人ごとに思えなくなってしまったのではないか?

 しかも火垂るの墓でも、生活に困窮して畑から野菜を盗み(万引きだよな)、農家でボコボコにされるシーンがある。

 米国のスーパーは賞味期限ぎれの野菜をタダでくれるのに、日本の農家とムスーパーは野菜をタダでくれない! フードバンク制度のないニッポンは悪い国! 全てニッポンが悪い!

 フードバンク制度さえあれば、火垂るの墓の妹は餓死せず、兄は野菜盗んでボコボコにされず、万引き家族は盗まなくてすんだのに!

 ……と町山智浩がついつい感情がオーバーヒートしてしまっても不自然ではない。しかも彼はADHDで、ADHDは一般人よりも感情の量が多い傾向があるのだ。

 以上、ここまで全て私の推測である。

 町山が万引き行為をさほど批判する様子がないことに、怒っている人々のために分析してみた。悪意はない。町山智浩の過酷な体験を踏まえるべきだと考えたのだ。

 彼にはいろいろと同情の余地がある。

 ただ町山は映画評論家なのだから、そんな自分を冷静に観察し、それを読者やリスナーに伝える義務がある。「あの映画に描かれているのは、僕にとって他人ごとではなくてですね……」と語るほうが、より伝わるはずなのだ。

 説明不足な町山が悪いと私は考える。

 あと本人にも反省すべき点があると私は考える。

 そもそも町山家が米国で困窮するハメになったのは、キレやすいADHD体質を改善しようとしない町山本人に問題があるのだ。

 町山は宝島社から子会社の洋泉社に出向した。そうなった原因は、本人が語るのは「おねぇちゃんのせい」というもの。ネットかラジオでポロリと漏らしていた。確か宇多丸たちとの雑談の中でと記憶している。

 町山は女性関係で大失敗して出向させられたのである。

 まさか山口敬之やワインスタインのようなことをしたとは思えないが、正義ヅラして彼らを他人ごとのように批判できる立場ではあるまい。衝動的に女性にちょっかい出して、社内で問題になったのだ。

 万事が衝動的なADHD体質をここで反省すべきだった。

 しかし彼は何の反省もしない。

 映画雑誌編集者に批判された彼は激昂。たしか「このまんまじゃダメになる」と染み運動会の最中にキレ、パイ投げを決意。周到な準備を重ね、法的な罪に問われない手口を考案。実行した。

 これが社内で大問題になった。

 辞めてくれと頼まれ、退職。それが契機となっての米国移住である。そしてフードバンク通いするまで落ちぶれてしまったのだ。

 ちょっと批判されただけでキレてパイ投げという暴力行為を決意する衝動的なADHD性、そして刑事罰を問われないパイ投げの手口にこだわる高知能型アスペルガー性。

 発達障害が特徴的な例ではないかと思うのだ。

 こうなる前にとっとと病院でカウンセリングを受けとけばよかったじゃないかと、私などは思ってしまうのである。フードバンク通いは、町山智浩の自己責任でしかない。

 「このまんまじゃダメになる」とは、自分が老いてフヤけた行動力のない人間になってしまいかねないという危機感だったと私は記憶している。個人的には共感してしまう部分があるのだ。

 しかし皮肉なことに、昔からの町山読者で「町山が老いてダメになった」と嘆く人々が増えつつあるのも事実なのである。

 パイ投げするやんちゃさを失わなかったという意味では、老いに勝ったろう。しかし何かがズレていったという意味では、老いに負ける契機になったのも、またパイ投げ事件だったのではなかろうか。

 記憶違いだったら申し訳ないが、噂の真相で読んだか何かで読んだと記憶しているが、当時の私は絶賛した。男はこうでなければならないと思ったものだ。

 しかしオッサンになった私はそうは思わない。

 動機はなんであれ。暴力は暴力でしかないのだ。

 動機がなんであれ、万引きが万引きでしかないのと同様にだ。

町山智浩を語る上で、彼の発達障害はもはや無視してはならないレベル

 興味深いブログを見つけたので、そこから引用する。上記のブログである。

 

>>もちろん、だからといって「彼ら」が否定されるべき純粋な悪かといえば、それも違う。リリー・フランキーが名演を見せる「彼ら」のうちの父親は、虐待されている子供を見てさらって来て育ててしまいます。これは、まず、善意からの行動といって良いでしょう。

 

 上記の引用を読んでいただきたい。町山智浩は心優しい男だ。虐待されている子供に優しくすることは、町山にとって「善」なのである。虐待されている子供を誘拐することは「悪」なのだが、虐待される子供に優しくすることよりも、優先順位は低い。

 

>>ただ、問題なのは、そういう素朴な善意に長期的な展望がともなわないことです。「彼ら」の行動は徹底して短絡的で、中長期的な計画というものが存在しないのです。

 

 上記の引用も重要だ。町山智浩ADHDという発達障害がある。その特徴としては、衝動的というものがある。長期的な展望は、優先順位が低いのだ。だから虐待している子供を助けるために、善意で誘拐するのは町山的には善なる行為なのである。

 だって間違いなく善意でやってることだから。

 虐待されてる子供を助けるのは悪……とは、誰も主張できない。

 だってそれ、善でしょ?

 悪ではないでしょ?

 ここまでは町山智浩的には正しいのだ。おそらく、我々にとってもそうでしょう。

 しかし、以下の反論が考えられる。

 いやいや、虐待される子供を助けるためとはいえ、それを誘拐したあげく、その子供のために万引きするのは悪ではないかもしれないけど、善ではないよね? 悪といってもさしつかえないよね?

 これに対して町山智浩が反論できるなら、して欲しい。これは「長期的な展望」にかかわることで、ADHD町山智浩にとって苦手な論点なのだ。

 町山はADHD。衝動的だ。そして衝動的なのは善なのである。彼は衝動的なことを善としている。ロックやパンクは初期衝動に忠実だからいいと、町山は言った。これは衝動性の肯定である。

 町山は他人から見えそうで見えないとこで、女性にフェラさせるのが究極の愛だともいっていた。確かにそうだ。一般常識を無視して、愛やセックスをするのは衝動的でADHDみたいで善なのである。これは同意する。衝動的なのは善だ。

 発展して、黒人と白人が愛しあうのは、一般常識として悪な時代もあった。そんな中で白人と黒人が愛しあってセックスするのも善だ。ホモとレズが悪とされる時代があっても、ホモレズが愛しあうのは善である。

 たとえ当時の感覚では衝動的に見えても。

 町山は映画のマッドマックスにハマるあまり、50歳をすぎてるのに髪型をモヒカンにした。サンダードームごっこに興じるあまり、腕を骨折。頭おかしいとしか思えない行為だが、衝動的なので町山的には善なのである。

 マッドマックスは全ての登場人物が衝動的なので、町山にとっては登場人物の全てが自分自身だ。自分の分身ばかりが登場する映画には、ハマるしかない。

 町山智浩はそうゆう人物である。

 ……で、そんな町山が万引き家族を見た場合、「善」を「衝動的」に行う家族は町山智浩本人の分身だから絶賛するしかないのだ。善のために子供を誘拐することは、賞賛されるべき行為。ADHDっぽくて、自分みたいだから町山的にはナイスなのだ。

 誘拐しちゃダメでしょ……という批判は、優先順位として低い。

 長期的な展望がないはダメでしょ……という批判も、優先順位として低い。

 一般常識が間違っている場合、衝動的なのは善だ。白人と黒人が愛し合うのが間違っているとか、衝動的に愛し合う白人と黒人は善だ。同性愛が間違っているという一般常識がある場合は、ホモレズが衝動的に愛し合うのは善である。

 しかし万引き家族という映画の中で、衝動的に子供を誘拐するのは善だろうか? 動機さえ正しければ誘拐は善なのか? 長期的な展望がないせいで、誘拐した子供に食べさせるものがなく、万引きするのは善なのか?

 この問いに町山智浩は誰もが納得する回答はできないだろう。

 衝動的なことは善とする町山の感覚は万能ではない。

 町山智浩を語る上でADHDという彼の個性は無視してはならないレベルに達しているし、その限界も見えてきたのではないか?

町山智浩が高須克弥を侮辱。リベラルがそんなことしていいの?

https://twitter.com/TomoMachi/status/1008242843960291328

https://twitter.com/TomoMachi/status/1008242843960291328

https://twitter.com/katsuyatakasu/status/1008274774454255616

https://twitter.com/katsuyatakasu/status/1008305691419860992

https://twitter.com/TomoMachi/status/8086927105

https://twitter.com/katsuyatakasu/status/959434336540942337

 必要に迫られてアスペルガーADHDについて勉強することになった。といっても検索したり書籍を立ち読みするていどだ。付け焼刃の薄い知識で発達障害に言及するのは、危険である。

 危険なんだが、目にあまるというか、いたたまれないというか、悲しすぎるものを見てしまったので、筆をとることにした。

 発達障害(アスペルガーADHD)について勉強するうちに、「もしかしたらアノ人はそうなの?」と疑いたくなる有名人が沢山でてきたのだ。

 例えばやしきたかじん横山やすしなどは、ADHDっぽい人物である。キレやすく、感情の量が多い。それゆえ情愛が深い。凝り性なので横山やすしはボートの世界でチャンプにもなった。

 そんな怪しい人物は沢山いる。

 高須クリニック高須克弥先生なども、アスペルガー(発達障害の一種)なんじゃないかと私は思った。調べてみると高須先生ご本人が、自分の見立てでは発達障害と公言なさっている。名医の見立てだ。間違いはあるまい。

 サヴァン症候群(レインマンみたいなやつな)とまで高須先生の恋人である西原理恵子が言及していて、事態の深刻さに私は凍りついた。ぞっとしたとゆうか。

 おつらい人生だったろうなあ……。

 悲しくなってしまったのである。他人の人生で悲しくなるというのも、身勝手な話なんだが。高須先生から見たら、ワーキングプアをやってる私のほうが、よっぽど悲しい存在に見えるだろう(笑)。

 高須先生の動画を見ていてつらくなったのは、食事のシーンを見た時のことだ。セレブ名医らしく特上寿司を注文したが、それをハシでぐちゃぐちゃにかきまぜ、お茶漬けにして食べるのである。

 明らかに違和感があったので、アスペルガーは身の回りに頓着しないというけれど、高須先生もそうなのかなあ……? とゆるい疑惑と同情がわいてはいた。

 身の回りに頓着しないとは、髪型や服装だけではなく、食事のしかたも含まれるのかなあ……? と。

 しかし疑うだけにして放置した。

 それが急浮上したのは、町山智浩高須克弥の食べ方をツイッターで侮辱したからである。「うわー、これはキモい。しかも、箸がちゃんと持ててない」と。

 発達障害者の町山智浩が、発達障害者の高須克弥を侮辱って、人間としてどうなの? ましてリベラル系文化人の町山が、発達障害ネタで侮辱するって、どうなの?

 悲しい怒りがこみあげてきたので、「発達障害 食事 マナー」で検索してみた。すると出るわ出るわ。発達障害の人が食事のマナーが悪いのは、よくあることなのである。

 それをもって高須先生の食事スタイルが発達障害のせいと断定してはならない。

 ならないんだが、これは町山智浩高須克弥発達障害っぷりを嘲笑したとみなして充分じゃないの? てゆうか、これって差別なんじゃないの?

 町山智浩といえば、ウザいくらいにポリティカルコレクトネスを主張してるリベラル文化人だ。そんな人物が発達障害ネタで他人を侮辱してもいいの? それはポリコレに反することではないの?

  ありえないほどの自己矛盾ではないか。

 しかも町山智浩発達障害者なのである。自分でもADHDと公言しており、実際にキレやすい。番組収録中にキレたことが3回もある。

 そんな発達障害の町山が、発達障害ネタで高須を侮辱ってどうなの? それとも町山は発達障害だから、他人の発達障害を嘲笑しても許されるの?

 いや、ちょっとまて。

 そもそも発達障害町山智浩高須克弥発達障害なトコを侮辱したと見なしていいケースなの? 悪いケースなの?

 なんかもう、ワケがわからないし、自分でもどう判断していいのかわからないので、皆さんのご意見を拝聴したいのである。もう、みんなで考えるしかないと思うのだ。

 特にリベラルな皆さんのご意見をおききしたい。

 事態が深刻すぎて、断定を回避したうえに、質問形式で問題提起することしかできない。すまん。

 この項目は続く。

秘密(2)

 ●近親相姦しようとする妻を批判しない女性の奇妙さ

 内容がキモチ悪いと指摘する女性の意見が見られた。中年男性がJKやってる娘とセックスするかもしれない作品だから、女性が生理的にダメで当然だ。近親相姦であり、ロリであるから、ダブルでキモかろう。

 しかし気になったのは妻が娘の肉体で旦那とセックスすることを、嫌っていないことだ。むしろ、そうするのが当然くらいの勢いなのである。

 この部分に女性が違和感をもたない方が私には不思議で、旦那がキメぇとは感じても、妻がそもそもおかしいとは感じることはないってのが、奇妙に感じた。

 父親としか間違っているのは事実だが、母親も間違ってることを女性が指摘しないのである。この状況下では、たとえ近親相姦であろうとも、旦那とセックスしようとするのは、女性として当然という認識なのだろうか?

 そこまで頭がまわらなかっただけなのか?

 あるいは妻にそこまでやらせる前に、妻がそんなことしないように旦那のほうで誘導しとけってことなのか?

 オッサンの私には女心がよくわからないが、なんだか日本人女性に特徴的な印象を受けた。

 女性が娘をつれて再婚したものの、旦那が娘とセックスしはじめてるのに見て見ぬふりする母親……って、残念ながらよくあることなのだ。

 現実世界でありうる似た状況を探すとそれになるのだが、「女ってそうゆうもん」みたいな認識が、女性の側にあるとしたらひっかかるよな。

 女性はそうゆうもんなのだから、男である旦那が事前に防ぐべきってそんな認識なのだろうか?


 ●妻は近親相姦の拒否感が希薄

 気になったのは妻の方からセックスに誘ってることだ。女性的な行動という気もしないでもない。夫婦だからセックスして当然だし、セックスしたほうが夫婦関係は良好になるのは、はっきり口にはしないが女性ならよくわかってること。

 また、関係が壊れそうな場合、セックスで修復できることも女性はよく知っている(男性よりもね)。まあ、一時的で疑似的な修復でしかないわけだが……。

 映画の中では、旦那のためにセックス。あるいは夫婦ふたりの良好な関係のためのセックス……という体裁で、妻が夫に抱かれようとしている。しかも積極的に。

 この場合は夫婦関係が壊れようとしているので、一時的にでも関係修復しようとしてしまうのは、女性心理として当然なのだ。男性心理としても当然だし。

 しかし、よく考えたら、この場合は近親相姦というタブーを侵してまでセックスしようとしてるのは妻のほうなのだ。夫婦関係は極めて良好で仲はいいのだから、妻が旦那に抱かれたがるのはむしろ当然なのである。

 愛する人に抱かれて何が悪いの?

 愛し愛されることの何が悪いの?

 女性が最初に考えそうな、ド正論に従って行動してるように私には見えてしまうのである。もちろん近親相姦なんだから、最終的には妻は断るだろう。旦那に抱かれたがるのは女の本能だが、子供を守ろうとするのも女の本能だからである。母性本能だよな。

 ただこの映画のこの状況の場合、妻や女としての本能が最初に来て、かなり遅れて母性本能がやってくるように見えた。最終的には母性本能の方を選ぶのは間違いないが、ただ母性本能のほうが遅れてやってくるタイプの女性なのも間違いない。

 そのへん女性たちが完全スルーしてるのは、奇妙に感じた。心の中で「愛する人に抱かれて何が悪いの?」という最優先事項があり、それを優先してしまっているように、中年男性である私には見えてしまう。


 ●妻が「私もセックスしたい」と発言したら、旦那はどうしたか?

 映画を見る限り、旦那も妻とセックスしたがってる。近親相姦なんだから、迷わず断るべきところだ。なのに断るどころか、やろうかやるまいか悩んでいるのだから、明らかに娘の肉体をもつ妻を抱きたがっている。

 岸本可世子と広末涼子に血縁はない。演技派女優とアイドルだから、顔のつくりに共通点はない。二人は似ていない。

 しかしそれはキャスティングの問題でしかなく、あくまで作品上では母娘だから似てたりするのである。旦那的にはタイプの顔した娘かもしれないのだ。

 ロリ性癖の男性がロリ顔の中年女性と結婚。連れ子の娘はロリ顔で、現実にロリなもんだから、どストライク。ついセックスしちゃいました……というのも、よくあることなのである。いや、幼児レイプなんだけども。

 そして母親は旦那との関係性を優先し、見て見ぬふり……。

 残念ながら、よくあることだ。

 話を戻すと、映画の中ではセックスしたがってるのは、旦那ではなく妻のほう。肉食女性……というよりも、夫婦愛を最重要視するタイプの女性なのだ。

 そんな彼女が「あなたのために」と抱かれようとするのだから、旦那は断ることができた。

 しかしここで、「そもそもアタシが抱かれたいの。妻を幸せにするのは旦那の義務ではないんですか? 悪いのはアタシで、アナタは悪くない。アナタのためではなく、アタシのために抱いてください」という理論を展開した場合、旦那は断れなかったかもしれない。

 映画の中では妻自身は欲情してはいないが、欲情している旦那と夫婦のためにセックスしようとしている体裁である。しかし実際には抱かれたがってるのは妻のほう。

 だったら正直にそもそも自分が抱かれたいのだと発言し、旦那のためではなく、妻のためにセックスするという言い訳を与えてやれば展開は違ったのではないか?

 それで作品が深まる……ということは特にないが(笑)、ちと気になってしまった。

何もない男の死(2)

 彼は利用されていた。

 政治運動には使い捨ての鉄砲玉が必要だ。彼は意見の違う人たちに暴力をふるうのがウリだ。逮捕される危険があるのに、沖縄のデモ現場まで出かけていた。彼が金をたかれば、5万円を支払って支援する女性弁護士もいた。

 逮捕までされたのだから、「愛いやつ」ということで左翼系新聞に顔写真つきでインタビューが掲載された。韓国からも撮影クルーが取材に来た。死んだことも沖縄の左翼系新聞で報道されるほどだ。

 英雄あつかいだ。

 出たがりな性格の彼は、喜んだろう。

 暴力がウリのグループをつくり、ホームページまでつくっていた。彼の顔写真がデカデカと掲載されている。組長を名乗り、刺青を見せびらかしていた。

 超大手のヤクザ組織の構成員だと大嘘ついてもいた。

 そんな彼だから、マスコミ取材を楽しんでいたはずだ。自己顕示欲、承認欲求、観客へのサービス精神、そんなものが入り混じっていたはずだ。

 生活費に困窮し、バイトも続かず、金に困れば政治運動で暴力をふるって日当をもらうていどの人間だ。

 政治運動で知り合ったパヨク女性に、性的いたずらをするというオマケまでついた。それが原因で組織を追われる。仲間はずれにされたのだ。

 そんな何もないダメ人間が英雄あつかいされるのだから、ありがたいものだ。それが政治運動の現場である。だから人はそれにハマり、抜け出せなくなる。

 困ったことに、それを観察するのは面白いのだ。

 興味深く見物しながら、それにハマって抜け出せなくなってしまう自分がいる(苦笑)。

 政治運動はアスペルガーADHDにも深くかかわってくることなので、これからもちょいちょい書いてゆきたい。

レボリューショナリーロード

 レボリューショナリーロードを鑑賞。

 企画はいい。しかし失敗作じゃないかなあ?

 ヒロインが唐突にパリ行きを言い出したように見えるし、旦那への愛情が冷めた理由がピンとこないのだ。口論もWWE調の舌戦に見え、興ざめしてしまう。

 そうゆう映画ではないはずなんだが……。